「ひぃ…ッ!」








深夜の某研究所。

ある一室に、灯りが僅かに見えた。
その部屋には、頭に銃を突きつけられている白衣の研究員と、その銃を突きつける当人。


「そろそろ、言う気になったか?」
冷たい声に、研究員は震えながら首を横に振った。
「言う気も何も…!わ、私はそんな心臓など…!!」



パシュ…ッ。



消音装置が静かに響く。
研究員の足元には、小さな穴。


「う…や…やめて、くれ…!」
「答えるのなら。」

本当に知らないんだ、と言う研究員の表情には嘘が見られない。
命の危機に直面しながら演技をするとは到底思えない。
そんな事は、銃を持つ男にも解っていた筈。

しかし彼は普段の平常心を既に失っていた。
愛しい女を事故で亡くし、その心臓を何者かに奪われた。心が残る訳がない。


「言え。」
「信じてくれ!」
「あと5秒待つ。」
「分からない!本当に!!」
「4…」
「確かに私は非合法な研究もしたことがある…!」
「3…2…」
「でも…!待て!!」
「1…」









白い筈の床が赤く、広く染まっていく。
ゆっくりと男は研究室を後にする。









――男の名は、冴羽僚。





















野上冴子は頭痛に悩まされていた。

ここ1ヶ月、まともな休暇を取っていない。
睡眠時間は削られるだけ削ってきた。
痛む頭はアスピリンで無理矢理抑えている。
そこまでして、やらなくてはならない事があったからだ。
今彼女が動きを止めてしまうと、ここ数日間連続している殺人事件があらぬ方向へと動いてしまう危険性があった。



「またやってくれたわね…!」



冴子は現場検証を終え、警視庁へと戻ってきたばかりだった。

先刻見た被害者は出血性ショック死。
悶え苦しむ時間が充分に与えられる、そんな撃たれ方をしていた。
さぞ辛かったに違いない。

「あれを僚が…」
できれば、考えたくなかった。
しかし証拠が一切残されていない現場でも、僚がやったものと断定できた。少なくとも彼女だけには。


おもむろに、テレビをつける。
どの局でも、例の殺人事件を取り上げている。
一番聞き易いアナウンサーの局にチャンネルを合わせ、耳だけを傾けた。

『最近連続して起こっている、臓器ブローカーを狙った殺人事件ですが、取り引き上で、何らかのトラブルがあったものと思われ、警察では…』




「…そうよ、大変なのよ、警察は。」

ズキリ、と頭が一層痛んだ。

「もう一仕事ね…。」


そして彼女は、容疑者の元へと向かった。













−*−*−*−*−












「殺人の次はハッキング?随分と罪を重ねるものね。」
パソコンに向かう僚に、呆れたといった口調で声をかけた。

「…冴子か。」
振り向きもしない。モニターから目を離さず、手は取り憑かれたように動かしている。

「そうよ。遊びに来ちゃあ悪いかしら?」
「…逮捕しに来たかと思ったよ。」
ボソッと、抑揚のない声で僚は昨日の事件を匂わせる。冴子は一瞬、躊躇したがしっかりと僚の背中を見て口を開いた。
「解ってるなら話は早いわ。…言いたくないけど」




――本当に、言いたくないけど




「最近の貴方の行動、滅茶苦茶すぎるわ。片っ端から臓器密輸、臓器系で法に触れた研究をしている人、当たっては殺しているじゃない!どうして…」
「何も言わなかったからさ。」
「……………」



冴子は暫く言葉を失った。目の前の彼を『怖い』とも感じた。
それ程までに今の彼の言葉には心がなかったのだ。
あったのは、わずかな殺意。


「で…」




「でもね、僚。何も言わないんじゃなくて何も知らなかったのよ彼等は。お願い。もう無茶はやめて」


僚の手が止まった。


「やめてこれ以上…。私も今、必死で捜査を進めているわ。全ての足取りは掴めなくとも、何とか断片的な情報だけは手に入れることが出来るかもしれない。そうすれば…」


僚が、初めて後ろを振り向いた。


「何度も言ってるだろう?法の枠内でしか動けないんだ。裏の世界で動いているこっちにさえ入ってこない情報をお前が掴む事なんてできっこないよ。」


諭す様な、ゆっくりとした口調だった。


(大分、痩せたわ…)


目を背けたくなる程に、僚の姿は変わっていた。
目は落ち窪み、頬骨や顎のラインが以前よりもはっきりとして見えた。
多分…否、自分以上に睡眠をろくにとってはいないだろうと冴子は思う。


「そ…そこをがんばっているじゃない!何も貴方が手を汚して歩く事ない!」
哀れな男の顔を見ているうちに、冴子は徐々に感情が高ぶってくる。

「第一、今の貴方見て香さんが何て―――――――…!」




言いかけた冴子は、慌てて自分の口を抑えた。


…言ってはいけないと、思っていたのに。


僚が静かに立ち上がる。
「冴子…」
「…なら、どうすればいい?」

俯いたまま、冴子に近づいてくる。
「りょ…」
「お前が香の代わりになってくれんの?」

言うが早いか、背後のベッドに押し倒される。

「冗談やめて、僚。」
「冗談に聞こえるか?俺は本気だよ」
あまりにも落ち着いた口調。
なのに、あまりにも感情の無い声色。
冴子の放った一言への怒りも感じられなければ、今から行おうとしている行為への喜びも感じられない。


「僚!」
「そういや貯まってたよな、ツケも。」

いくら衰えが多少あるとは言っても、男の力に適う筈もない。
荒々しく衣服を脱がされる。
脱がされるというよりは、引きちぎられるといった様だ。

「やめて!僚!!」

叫んだ冴子の声も虚しく、その行為は続けられていく。
言葉では僚を拒否していたが、下腹部に触れられ、思わず体が小さく震えた。

(…違うの、嫌なのよ)
(香さんの代わりだって、解っているのに。)

「あっ!」
僚の手が太股をなぞり、やがて核心に触れようとすると、思わず甘い声が漏れた。
「だ…めよ、りょ…」
快楽に流されそうになりながらも、必死でそれに耐える。

(だって私がこのまま流されてしまったら、僚は…!)






「貴方は…まだやるべき事、あるでしょ…う?」





必死で出した声に、僚が反応を示した。

「相手を間違っているわ。貴方の愛した女は私じゃない。」
「………」
「りょ…」
「香…ッ!」

苦しそうな、その声に冴子の心臓が鼓動を早めた。
久しぶりに聞く、僚らしい声。
感情のこもった、呼び声。







「かお…り」






冴子の顔は見ず、その体だけを抱き締める。
何度も、愛しい女の名を苦しそうに呼びながら。


冴子は目を閉じる。
彼の声に応えるように。
彼女なら、きっとこうしただろうと思ったように。
僚の背中に手を回し、何度も、優しく撫でた。

「香…!香、香、香…!!」
背中に体温を感じ、僚は増々狂ったように愛した女の名を呼び続ける。

「お前しか……っ!」

冴子の体に、涙が滴り落ちてきた。








「香…ィ………!」

















−*−*−*−*−*−





















「起きた?」


朝日と共に、目に飛び込んでくる女の姿。
微笑んで、こちらを見ている。



「かお…り?」



「僚?起きた?」
はっきりと目を見開くと
「何だ、冴子か。」
「…失礼ね。折角添い寝してあげたのに。」


香と見間違ったのは、冴子の着ている、香のシャツのせい。
白く大きめのそれは元々僚の物だったが、いつの間にか香の所有物になっていた。
いつも、これを着たまま隣で眠っていた。
大きすぎると言い、袖をぷらぷらさせて笑っていた。

「悪い冴子。…それ、着ないでくれるか」
「え?…あ、ごめんなさい。」
「いや……。」
普段、依頼人が宿泊した時に貸せるようにと用意していた服を冴子に貸す。
香はそれに腕を通した事がない。



『香の持ち物は手離したくない』



言葉で言われなくとも、その気持ちは冴子に充分伝わった。




「お腹すいてない?何か買ってくるわよ?」
香と違って『作る』とは言えない自分に少し幻滅しながらも僚に聞く。
「いや、いい。」
「じゃ、私はコーヒーだけ頂くわ。飲むでしょ?僚も。」
返事を待たずキッチンへと移動した。
返事を待ったらきっと彼はそれさえも口にせず、また彷徨うだろうから。




インスタントコーヒーを見つけ、適当な分量で淹れた。
それなりの香りがしたことを当たり前とは思わず、上出来と言い聞かせ、テレビを流すように見続けている僚の元へと運ぶ。

「はい、どうぞ。」
「サンキュ」

冴子の目に、無表情な僚の顔が映る。
昨日の苦しそうな表情を忘れたかのように静かな顔。

…だったが。
コーヒーを口にした僚は一瞬顔をしかめた。

「…何よ、文句なら聞くわよ。」
「いや…」
「薄かった?」
自分では上出来と思った物に対しての反応が悪い事につい感想を聞きたくなった。
「いや…ただ…」
言いにくそうに僚が口を開く。

「インスタントコーヒーが久し振りだったんで、な。」



――――――そうだった。


自分がどんなに厄介な事件を持ち込もうと、香は必ずコーヒーでもてなしてくれた。
インスタントでおかまいなく、と言っても豆から挽いた香りのいいそれを出してくれた。


聞かなければよかった。
コーヒーを入れなければよかった。


「あの、ごめんねりょ…」
「悪かった。」
謝ろうとした途端、先に僚から謝罪の言葉が出た。冴子は余計慌てる。
「あの、私が悪いの、インスタントとはいえ…」
「コーヒーの事じゃなくて、昨日の事さ。」
「……あ、ああ…あれ、ね。」

話が噛み合っていなかった事と、昨日の事を思い出した事で、冴子の体は熱くなる。

「気に…しないで。」
沈黙が二人を包む。

ボリュームを絞っている筈のテレビが、やけにうるさい。







『――という事で我々○×テレビが独占取材に成功しました。以前、臓器密輸、売買に関わった事のあるというMさんの証言です。』
「!」

僚が荒々しくカップを置き、急いでボリュームを上げる。
画面いっぱいにモザイクがかかり、音声も、もちろん変えられている。
証言者のプライバシー保護だ。
しかし、手早くテレビ下に設置されていたデッキのスイッチを入れ、ボタンを幾つか押すと画面いっぱいに広がっていたモザイクは消滅し、音声の機械音も肉声に変わった。

(臓器密輸、なんていうから裏の世界の人間。男性かと思ったけれど…)

雄弁に語るのは、女性。
『最近の事件に関してですが、巷では物騒な噂が流れています』
『それはどのような…?』
『ここではさすがに詳しくお話しする訳にはいきませんけれど、裏の世界では有名な人物が、ある臓器を捜している、と。きっとその人物の仕業だとおもいます。』
自分の持っている情報を、勿体付けながら、口の端に笑みを浮かべて語っている。


さすがにここでは…とは言っているものの、口の軽そうなその女性がいつどこで何を公表するかは時間の問題と思われた。


「冴子、この女洗ってくれ。」
画面に見入り、女性の顔を記憶する僚。

……まさか。

「洗ってどうするの。」
「…決まってるだろ。知っている事を吐かせる。」
「吐かせたら…?」
「消す」
「僚!」

自分の知っている冴羽僚は女に銃口を向ける事を嫌った筈だ。
こんなにも変わってしまうのかと冴子は愕然とした。

「…それなら、あなたに情報は提供できないわ。民間人の身の安全を保障するのが私の仕事ですもの」
「冗談だ、殺さない」
「…信用できないのよ、今のあなたの言葉では」
「本当さ。」
「………」



暫く、睨み合いが続く。
冴子は一歩も譲るまいと、無表情な僚に強い視線を返す。
その時だった。








「リョウ、いるか?」
部屋に入って来たのはミック。

「おっと、サエコもいたのか?お取り込み中、失礼」
二人のただならぬ雰囲気に気付き、一歩引く。
「…いや、いい。何だ?」

手にはメモを握っていた。
「さっき○×テレビ見ていたら、ちょっと怪しい女を見つけた。元ブローカーだ。」
「ち…ょ…っ」
「俺も丁度それを見つけたところだ」
「Oh,グッドタイミング!」
「待ってミック、それって…!」

冴子が必死にミックの行動を制止しようとするが、徒労となる。

「サンキュ、ミック。じゃ、ちょっくらお話ししてくるわ」
僚は銃の確認をすると、ジャケットを羽織り、後も見ずに部屋から出て行った。






「…ミック…」
怒りの矛先は勿論ミックへと向けられる。
「あなたね!今の僚にあんな情報流したら、何をするか…」
「解ってるよ。」
「…え?」
「あの女、どっから情報掴んだかは知らないけれど、ある程度知っていると見た。なら消すのが妥当じゃあない?」

ミックは事無げもなく、サラッと非情な発言をする。

「あなたね…!」
まくし立てようとしたが、それをすぐに遮られた。

「君はない?人を殺したいと思った事。ヒデユキだっけ?リョウの昔のパートナー。彼が殺されたって分かった時、君はどう思った?」
「……」
「リョウがあの組織を潰していなかったら、君はどうしてた?仇、討とうと思わなかったかなあ?」

冴子は何も言えなかった。
ぐ、と喉を鳴らしながらミックを睨む事しかできない。

「それと同じだよ。奇麗事言っていると損するだけさ」
「……」

「俺だって…カズエがそんな目に会ったら…」
「……」




「カズエがそんな目に会ったら、誰だろうと撃ち殺す。」




先刻までの僚と、同じ目をしていた。
止められないのだ、と冴子は改めて悟った。

一度狂った歯車は
もう、元には戻らない。










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