ミックの洗い出した住所を辿ると、瓦屋根の厳めしい建物がそこにあった。

「まるで暴力団の家だな」

多分繋がりはあるだろうと僚は睨む。だがそんな事はどうでも良かった。
人通りは多少あるが、夜中までどうにも待つ事ができず静かに呼び鈴を押し、真っ正面から敷地内に入る事を決めた。







「どちらさんで?」
予想通り、その筋と一目で分かる面構えの男が応対に出る。

「この家の女主人を」
「悪いが今、取り込み中だ。帰った帰った…」
邪険に追い払おうとした男の表情が固まる。





「予約がなくて悪かった。だが、急用なんでな。」





男の腹に容赦なくパイソンを突きつけ、そのまま中へ侵入した。
案内など無くても、この手の造りは大体居場所は知れている。
見当つけたその部屋は丁寧に鍵が掛かっていたが、ドアを弾丸数発で吹き飛ばして入室した。









「富樫里子…だな。」

家の外観からは想像のつかない科学的なその部屋、むしろ実験室といった感じの部屋で、白衣を纏った女性は覚悟したように、それでも優雅な笑みを浮かべて振り向いた。


「来たわね冴羽僚」
「来る事を予測していたようだな」
すでに銃口は彼女に向けられていた。それを知っているが彼女は口調までもが余裕だ。

「だってあんなにテレビで挑発したのに来ない方がどうかしているわ。そうじゃない?」
「確かにな」



「何のために挑発した。何を知っている?」
質問を投げかけた途端、富樫と呼ばれた女の表情が緩む。

「……ふ。」
「何がおかしい」

「天下のシティーハンターが恋人亡くしてどんな顔しているか見たかっただけよ」
「……」
「裏の世界では専ら興味の的よ、貴方」
「いい迷惑だ」
「人気者の宿命よ、仕方ないわね」

一つ一つの物言いと皮肉な笑みを浮かべたその表情に嫌悪感を覚える。
余計なおしゃべりをしながら室内を歩き始めた富樫に向かって、僚は容赦無く照準を合わせた。

「動くな」
「待って」

彼女は足を止め、資料の並ぶ棚から、一冊の黒いファイルをゆっくり抜き取った。

「ご覧なさい。私が独自のルートで途中まで調べたの」
「…何を」
「心臓の行方」

見て、と富樫は言いながらもファイルを自分の側に置いた。
見たいならこちらへ来い、という合図なのだろう。



「残念だけれど貴方の恋人の心臓、多分もうこの国にはないわよ。」



踏み出そうとした僚の体がピクリと反応する。

「噂で聞いたのよ。心臓強奪したのは、中国系の男だった、って」
「どこで聞いた」
「知りたい?」
「是非。」

富樫の口の端は不自然な程につり上がる。

「教えない」
「死にたいか?」
「殺せないくせに。女は例外なんでしょう?」





パシュ……ッ





軽い音が室内に響く。
相反して女の声は甲高く、気が狂ったように叫びだした。


「あああああああっっっっ!!」

富樫が呻き、床を転げ回る。

「女だから?それが何だ」

富樫の履いていたヒールは白かったが右足のつま先には穴が開き、そこから徐々に赤く染まっていった。



「そ…やって!」

呻きながら富樫は苦しそうに叫ぶ。



「そうやって…彼も殺したのね!?」



彼女は叫んだ。自分は昨日殺された研究員の恋人だった、と。



「自分の恋人が死ねば何をしてもいいの?見当違いな人間を殺して満足かしら!?」
「………」
「―――彼を返して!」
「……」
「返してよ!何も知らなかったのに…何もしていなかったのに殺された、かわいそうな彼を今すぐ返して頂―――――」


女の甲高い声が頭に張り付いてくるような感覚に耐えきれず引き金を引く。
腹の底から叫んでいた途中で女は簡単に床に伏し、やがてむせるような血の匂いが立ち篭もった。





「アイツだって何もしちゃいなかったよ。」





彼女の耳にはその言葉が届かない。

既に息絶えた女の胸元からは短銃が覗いていた。
『女は殺せない』
シティーハンターの噂を聞いて一方的な復讐ができると睨んでいたのだろう。

無差別に何も知らない人間を殺している事。
そんな事は今の僚には大した問題ではない。
香の心臓を捜す事。それが彼の原動力だった。

屍を跨いでデスク上に置かれたファイルに目を通すと、およそ無関係な文字記号ばかりが並んでいる。
これが何の意味も持たない事は一目で分かった。

「…チッ」

暗号には到底思えない。
僅かな情報をもっともらしい餌に見せておびき寄せられただけだったと気付くと、僚は舌打ち一つ。それから乱暴にファイルを投げ捨てた。
ビチャ、とファイルが水音を含み床に落ちる。血の溜まった場所だった。
僚は苛立たしげにそれを目で追う。


『返して』
見開いたままの目はそう言っている。

「……」
『彼を返して!』
「無理だ」

一度死んだ人間は二度と戻らない。
自分に言い聞かせるように僚は呟いた。
それでも女は恨みがましく自分を睨む。

『返して』
「死んだのさ、仕方ない」
『…仕方ない?』

問われたような気がして肩が震える。







――――――死んだら仕方ない? 







自分の放った一言に愕然とする。

それならどうして俺は。




「………違う」
『違わない』
「違う…!」
『同じよ。彼女も死んだのよ、仕方ないわね?』
「…………!」


反射的にトリガーを引く。
軽い音と共に女の頭が弾かれ、首の位置が真逆に動いた。




「香……。」










それから何処をどう歩いたのか、僚は覚えていない。
いつの間にか見慣れた通りの路地裏に倒れ込んでいた自分に気付いたのは陽が落ちて大分経った頃だった。







「香」




此処にいれば或いは迎えに来てくれるのでは。そんな錯覚さえ覚えながら名前を呼んで暗闇の中、手を伸ばす。

「どこ行ったんだ、お前。」

おまえがいないと俺は只のゴミなんだよ…と呟き、僚はそのまま目を閉じた。











−*−*−*−












あれから丁度1年。
僚は全く進展のない心臓探しに自暴自棄になっている自分にやっと気付いた。
しかしそれに気付くのはかなり遅かったらしく、捜査情報を流していた冴子は音信不通。
協力的だったミックでさえ徐々に僚の堕落した姿に呆れ、自分の仕事へと専念するようになった。海坊主も然りで、店に顔を出してもコーヒーの一杯さえ出すことはなかった。




探しても見つからない。
探す当てもない。
こんなにも情報が入らない事件は今までになかった。





「……腹へった…。」

久しぶりに声を出した。
無理もない。ベッドの上でこうやって既に3日は経っている。



「何か作ってくれよ…香…。」



そこにいないのを知っていても出てくるのは愛しい女の名前。
ゆっくり立ち上がると汗臭いシャツを3日ぶりに脱ぎ捨て、ノロノロと着替えをする。

冷蔵庫を開けると中には何を作ろうとしたのか、食材が溢れるように詰め込まれている。既に原型を留めていない肉や野菜・果物類が異臭を放っていたが捨てる気にはなれなかった。
その食材は、香がいなくなった時のままだ。





『明日は写真撮るでしょ?結婚記念日って事で!』
『ああ…いいんじゃねぇの?』
『もう、僚ったらもっとよく考えて返事しなさいよね!』
『考えるも何も…お前が決めたんだろ?反対しましぇん』
『そう?そうよね!よし、明日は記念に何かおいしい料理作るから!』
『単純なヤツ…』
『僚は何が食べたい?』




「………!!」




腕まくりをする香が目の前にいるようで、僚は頭を強く横に振った。
少しだけはっきりしてきた目で再び冷蔵庫を物色する。しかし食べられそうな物は到底見つかりそうになく、諦めてビールだけを取り出した。


「昼間っからビールかよ…。」

ビールを開け、気を紛らわせるように呟きながら足でドアを閉めた。



『一日一本、飲み過ぎ注意!』
『お前ね、1日にビール1缶ってどういう事だよ!足りるか!』
『文句があるなら今度の依頼受けなさ〜い!』


「やなこった。」


次の行動も返事さえも無意識だった。
テレビを付け、ソファーに座ると香が隣に座った様な気がする。

テレビに映るのは天気予報。




『明日は曇りのち雨だって。本当かしら』
『恵ちゃんが言うんだ、間違いぬぁい!』
『はいはい。…傘持っていかなくちゃ』




ぐきゅ、とノドが異様な音を立ててビールを飲み下す。
ブラウン管の向こうにフラッシュバックしてくる記憶に、飲んだばかりのモノがじわじわと込み上げてくる。




『アタシ依頼人に昨日の報告して報酬頂いてから行くから、現地集合でいいわよね』
『俺も行くか?』
『大丈夫よ。それに誰かさんが依頼人に最後のもっこり報酬要求したら困りますから!』
『信用ないのな…。』
『あったりまえでしょ?彼女に何回夜ばいかけたのよ!』
『あはは…3回だったかなぁ…僚ちゃん覚えてないの』
『5回よ!5回!!…僚、アンタ本当に結婚するっていう自覚あるワケ?…ああ、考え直そうかしら。』
『何?香ちゃんマリッジ・ブルー?』
『……』
『……大事にするさ。』
『…本当?』
『本当』


『もう離さないわよ?』
『おい。それ、俺の台詞だろ。』
『嘘よ、言う気もないくせに。』
『一生離さないぜ?香。』
『……!』
『どしたの香ちゃん、顔真っ赤にして』





「………一緒に行けば良かったのにな」





室内を動く度にそこにいた香が鮮やかに蘇り、自分を見ては微笑む。
できる事ならそれを見ないように、動かず生きていたかった。
しかし人間の体はそれ程都合良く作られているものではなく、食事・排泄、とせわしなく動くものだ。
その度にちらつく香の幻は今もソファーに一緒に座り、結婚記念写真の話を嬉しそうにする。
手を伸ばせば消え、知らずと横を見れば現れる。



「どうしろって…。」

手の平で顔を覆う。





ビールはいつの間にか温い。








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