知りたい。



知りたいと香は思う。
この男のどこまでもを知り尽くしたい。



知りたくない。



反面、知りたくないとも香は思う。
この男をどこまでも知ろうとすれば、行き着く先はきっとお互い地獄でしかない。

見えない境界線を越えるべきか否か?
彼女は今、結論を考定させようとしていた。






















知られたくない。


知られたくないと僚は思う。
自分の醜い思想も、所業も過去も全て。


知らせたい。


知り尽くされたいとも僚は思う。
何一つ隠すこと無い、裸の自分でさえアイツは受け止める、絶対に。

だがお互い深く傷つくのだろう。

自分の築いた境界線を壊すべきか否か?
彼は今、結論を考定させようとしていた。



























遠距離射撃というのがやはり好きになれない。
ビルの屋上から数百メートル先の人影を捉えながら、僚は眉を顰めた。

スコープ越しに写るターゲットは安価な人形の様に陳腐だ。

引き金を引けば確かに手応えはある。
だが確実に自分が与えた死の感覚は別なものだ。

―――悪いな。 
そう呟いた自分の口に、舌先だけだなと苦笑する。

真顔へ戻ったその時には既に男が一人、死んでいた。
数百メートル先の路上。
中東系の顔立ちをした男が眉間を撃ち抜かれ、転がった。
気付いた群衆が騒ぎ出す。


「3人目。」
誰に言うでもなく、一人呟くと屋上を後にした。

























「たっだいま〜」
「おかえり、早かったのね。」

この街に武器を隠す場所はごまんとある。
アパートへは手ぶらで戻った。

「お、うまそう」
「先に手を洗ってらっしゃい。」
「俺はガキか。」
「あんまり変わらないわよ。」
「へいへい」

いつもと全く変わらないやりとり。
ノロノロと洗面所へ向かう僚に香は「早くしてよね」と一言告げた。
「わーってるって。」













現代人は潔癖すぎる。
日本人は特に。
蛇口を捻りながら僚はそんな事を考える。

目に見えない汚れなら、少し位は目を瞑ってもよかろうものを。
本当に目に見えた汚れだけを拭えばいい。






――――例えば、血がこびり付いていたのなら。





そこまで考えると僚はハンドソープのポンプを乱暴に押した。
白濁した液がひゅ、と掌に飛ぶ。



目に見えない血の汚れ。それに香は気付いている。
確信したのはもう何年も前の事だ。

最早、真っ新な素人ではない。
この仕事がどんな意味を持つのか、香は嫌というほど知ってきた筈だ。なのに彼女は何も知らない風をする。
とどめを刺そうとすれば『殺さないで』と立ちはだかり、決闘の挙げ句の死には涙する。






不殺の精神で勧善懲悪の慈善事業。







冗談じゃねぇ、と僚は一人毒づいた。
自分はそんな綺麗で高尚な事はしちゃいない。
今こうして泡立っている自分の両手は、目に見えない赤で爪の間までもが染まっている。

どこまでも目を背ける香に見せてやりたい。
『こっちを見ろ』と頭を掴んでやりたい。
『これが俺だ』と吐き出してしまいたい。







流した泡は綺麗に排水溝へ流れ込んでいく。
目の前に掛かっている生成のタオルには気付かなかった事にした。

「面倒臭ぇの。」


・・・・何もかも。


濡れた手をジャケットの裾で拭きながら、僚はキッチンへと戻っていった。


















−*−*−*−






















「お風呂空いたわよ。」

パタパタとスリッパの音が響き、それから目の前にパジャマ姿の香が現れた。

「んー。」
「早く入りなさいよ。」
「もうちょい。」
「TV消すわよ?」
「うわーっ、タンマ!あと数分後にはもっこりムフフ番組が!」
「・・・バカ。」

慌ててリモコンを胸に抱いた僚を見て、香は盛大な溜め息を吐いた。




『ニュース フレッシュ、お別れの前に速報です。先程新宿にて発砲事件があった模様です。身元不明、中東系の男性が頭を撃たれ即死―――』





早いモンだ。

興味無さそうな風を装いリモコンと共にソファーに沈みながら耳だけでTVに集中した。
自分の予測通りの報道のみが流れたのを確認すると、僚は目を細め、わざとらしく無い様にリモコンを手から放した。

「やべ・・・!」
「はい、没収。」
「げ」

案の定電源を切る香。
ブラウン管の前に仁王立ちになると「早くお風呂入っちゃってよ!ガス代が勿体ないの!」とがなり立てる。
「おーおー、嫌だねケチの言う事は。」


「誰の所為だと思ってんのよ!」
「す、すびばしぇん・・・。」
お約束通りにハンマーが振り下ろされる。

「まだ深夜番組が見たい?」
「入ります入ります!」
「よろしい。」

やっとで100tの重みから開放されると僚は立ち上がる。

「しょうがねぇ、行くかな。」

「じゃ、アタシ今日は先に寝るわね。」


そう言われてしまえば
「・・・おう。」
これ以外に返事のしようがない。

遠回しにセックスの拒否をされた事に嫌でも気付く。

大して気にも留めない風を装って首の後ろを掻き、横目で香を盗み見た。
顔を背けた香。表情は見えないが、頬から耳たぶにかけて真っ赤に染まっているのは湯上がりの所為だけではないと思った。


「・・・香ィ」
「な、によ」
「おまぁの後の風呂ってさあ・・・浮いてるのな。」
「何が?」
「あのケ!」
「んな・・・ッツ!」
「はは、頭髪に似て癖の強ぉ〜い・・・」
「この・・・デリカシーゼロのもっこりバカ男〜!!!!!」

壁に僚の頭がめり込む。
同時にさっきまでの気まずそうな赤面を忘れたかのような香が、涼しげな顔で部屋へと戻っていった。


「お・や・す・み・!」
「・・・あい」

返事をしたものの、激痛で暫く動けない。








「・・・良い夢を。」


香の部屋のドアが閉まる音を聞きながら、僚は小さく呟いた。
道化もなかなか、辛いものだ。

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