香は部屋に戻ると、それまで詰めていた息を思い切り吐き出した。



・・・・・苦しかった。














あの男―――冴羽僚とパートナーを組んでどれぐらい時が経ったのだろう。
もう簡単には思い出せない程の年月の中で、香には知り得た事が幾つかあった。

トラップを含めた銃器類の扱い方、護身術、情報の得方、それから自分のパートナーのエトセトラ。

冗談と冗談の合間に見え隠れする本音は実は至極読み易い事 

自分が思う以上に彼は自分を愛している事



 意外と嘘が下手な事。



躰を重ねる事でそれはより一層強く伝わるようになってきた。

嘘に気付かないふりをする。
香はいつしかそんな術を身につけた。さっきの茶番だってそうだ。






ベッドに倒れ込み静止すると、ドアの外で僚の動く気配がした。どうやらそのままバスルームへ向かったようだ。
香はますます息を大きく吐く。






言葉に言い表せない何か。
それは日々大きさを増す錘となって自分を押し潰そうとしている。

このまま潰れる訳にはいかないと香は一人、藻掻いていた。
























「これ、何。」

朝食の代わりに置かれた物を見ると、僚は一瞬動作を止めた。





前日に飲み歩かなかった事もあり、普段よりも少しばかり早い起床。
新聞を広げながら朝食を待っていた僚の前にそれは突然差し出された。



「・・・・・・」
「ねぇ。」


直ぐに返事をする事が出来ない。

何故ならば、それは此処に有るべき筈ではない物だったから。
昨日狙撃に使ったライフルだった。



「これは何。」

それに手を付きながら香が畳みかける。
自分を見ようとしない僚に少しだけ苛立ちを感じながら。

「何って・・・まあ、朝食には見えんわな。」

平静を取り戻した僚が何事もなかったかのように返事をした。ちらりとライフルに目をやると、直ぐに新聞の活字を追う。

「・・・・・」

質問の意味に気付かない筈はない。
まるで答える気配のない僚に苛立ちが募る。
怒鳴ってしまいたいのを堪え、香は唇をぐっと噛んだ。










香が睨み付ける事数分。



「・・・何処で見つけた?」

新聞から目を離さないまま、僚が静かに問う。

「廃ビルの空っぽの貯水タンクの中よ。」
「それはそれは。宝探しが上手くなったな、香。」
「茶化さないで。」
「それより俺、朝飯食いたいんだけど。」
「僚」

静かに名を呼ぶと、やっとで僚が新聞から目を離した。
紙面を畳み、香を見る。






――――追いつめたつもりが形勢逆転されてしまった。





香はそう思う。
抑揚の無いその眼差しで見つめられてしまうと今度は言葉が出てこない。

「あ・・・」
「・・・・・。」
「アタシだってシティーハンターよ!こ、これくらいあんたのパートナーしていれば見つけること位――――」

「香」
「な、何よっ」

「・・・成長したな。」
「・・・・・」
「それだけ解れば充分だ。」
「・・・・・」
「さ…もういいだろ?腹減って死にそう、俺。」






もういいだろ、って いい筈ないじゃない。






まだ肝心の質問にさえ辿り着いていない。
ライフルの隠し場所を探り当てた事を誉めて欲しい訳じゃない。

言いたい諸多は腹の底から込み上げて、喉元で綺麗に留まる。



「・・・すぐ用意する。」
それでも差し障りのない言葉だけ、喉から唇へとせり上がる。

「何だよ、用意してないのかよ。」
「あるわよ、シリアルが。」
「冗談!それ位で俺の胃袋が満たされるか!」
「全く・・・仕方ないわね。」
「手ぇ抜くなよ。」
「誰に言ってるの?」
「悪うございました香サマ!」




ああ、また繰り返す。
何事も無かったかの様なやりとりが、

一日が。





















――――数時間前。
香はアパートを抜け出し、朝靄の掛かる新宿をくまなく歩いた。

まだ朝陽も昇らない。そんな中道路脇のゴミを拾いながら歩く男の一人を捕まえた。


「おっ、何だ香ちゃんじゃねぇか。」
「お願い、教えて欲しい事があるの。」
「香ちゃんの頼みとあっちゃあ断れねぇなあ」

初めはそう言うのだ、誰も彼も。

香は心の隅でその台詞を厭だと思いながらも
「中東系の男が狙撃されたのを知ってる?」
そう問いかけた。

「ああ、そういえばもう暗い中をうまーく脳天撃ち抜かれてたな。プロ中のプロの仕業さ。」
「・・・・・」
「汚い格好した男だったよ。ありゃ不法滞在の労働者だな。」

その情報屋の身なりは誰かを笑えるようなそれでは無いのだが、彼はへへ…と笑うと言いたした。

「きっとヤクか何かの密売人だったに違いねぇ。」


「何処で狙撃されたの?」
「ホラ、丁度あそこだよ。」

情報屋の指さす先には交差点があった。
まだ車通りの少ない其処は、横断歩道が朝靄の中で見え隠れしている。

「渡ろうとした瞬間、真後ろにぶっ倒れたよ。」
「真後ろ・・・。」



「お願い、殺された男の事、洗っておいて頂戴!」
「お、おいおい香ちゃん―――」
「ちゃんと報酬は払うから!」
「いや、そりゃいいんだけどよ・・・」
「じゃ、お願いね!」
「オイ、待ってくれよ香ちゃん!」


返事を待たずに香が駆け出す。
残された情報屋は心底困った様に頭を掻いた。

「僚ちゃんに何て言やいいんだよ・・・。」


















男が狙撃されたというそのポイントに香が立つ。
朝靄が徐々に晴れ、足下はくっきりと見える。
血痕が生々しく残る其処を、まるで仇か何かの様に睨み付けた。



「・・・・・」



それから顔を上げ、弾が跳んできたであろうその方向に目を凝らす。


「此処から1〜2q以内・・・」

もしも自分だったら。
否、僚であったなら。




ビルの隙間から朝陽が覗き始める。
照らされた一つのビルに目がいった。

―――いや、違う。まさかこんな目立つ場所から。

少し目を細め、朝陽を避ける。
と、見えたほんの僅かばかりのその空間。
先刻目星を付けたビルの真後ろに、少しだけ顔を覗かせる屋上の一角。




これだけあれば撃てる。
僚ならば。











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