「僚ちゃん、どうしたんだい」

声をかけてきたのは情報屋だった。
背負われて意識の無い香を見ると驚いて指さしてくる。

「んー?酔いつぶれたんだよ、みっともねぇ。」
「はは、僚ちゃんに言われちゃおしまいさ」
「そうかもな。」
「…きっと辛いのさ。ヤな事がありゃ酒には簡単に呑まれちまう。そうだろ僚ちゃん?」
「……」
「今朝、俺の所に来たよ。撃たれた男の情報くれ、ってな」
「すまな―――」
「いいんだ、どうせ大した情報をくれてやる事ぁできなかったしな。それよりも僚ちゃん」


「優しくしてやんな」










−*−*−*−








それにしてもよく寝ている。
自分でさえも既に目が覚めてしまう時間だ。

「香」
返事は返ってこない。僚は少しだけ口元を緩めた。
まさか狸寝入りではあるまいと念の為毛布を抓んでみる。
香の場合演技がこの上無く下手だからこれだけで解ってしまうのだ。

ん、と掠れた声が聞こえただけだった。

「…大分お疲れで。」

うつぶせで眠る香の背中には幾つものみみず腫れ。
こうして朝陽を受けて見える傷は罪悪感を抱かせる。
僚は毛布から手を離すとそれを隠した。




昨夜。
僚はあのまま香を抱いた。










ドア一枚隔てた向こうには呼吸をしない人間が横たわっている。自分が始末した男の死体だ。
ミックに時間稼ぎを頼んでおいたが、何かを知ろうとする人間の勘は野性的でやけに鋭い。まさかとは思ったがこうして辿り着いてしまった香を見てしまえば観念するしか他になかった。


「何処まで知りたい」
そう訊くと
「全部教えてよ」
当然のようにそう返ってきた。

アルコールの匂いは自分からか、それとも上気した顔のパートナーか。







高揚した気持ちのまま香を壁に押しつけた。
突き上げると背に当たる壁の凹凸が痛いらしい、顔を歪める。

「痛いか」
「い……たく……ッ…な…あッ……」

そんなワケはないだろう、と思う。だが衝動は止められない。
ずず、と壁に肉が擦れる音がする。それでも香を押しつけ、突き上げ続けた。
酔っているなとは思ったが、体を揺さぶり続けているうちにますますアルコールが回ったらしい。香の目が少しずつ焦点定まらない虚ろな様を見せてくる。
躰は敏感に反応しながら僚を受け入れ続けるのだが。



「ろ…りょ……ッ…」
「……」
「僚……」
「何だ」

呂律の回らない香が必死で名前を呼ぶ。
あと何度か揺らせばきっと香は意識を手放す。動きを緩めながら僚は返事をした。

「僚……りょ…う…!」
「香」
「僚、僚……!」

返事をしてやってもその次は返ってこない。
僚は少しだけ苛立ちを覚え、繋がったままの腰を強く引き付けた。
あ、と香が甲高い声を上げて震える。
少し後に僚も続いた。













突然着信音が鳴り響き、ハッとして自室の子機に手を伸ばす。やはり香は起きようとしない。

「……はい冴羽商事」
それだけ言うと受話器の奥で「すぅ…」と大きく息を吸う気配。
僚は静かに部屋を出た。








『公然猥褻は犯罪だ!見せつけろなんて言った覚えはないぞ、リョウ!』

部屋のドアを閉めたのと同時に電話の主はがなり立てた。

「なんだミックか」
『何だとはご挨拶だな』

今は別の伴侶がいるにしても昔に惚れた女だ。
よっぽど悔しかったらしい、
【やるなら家でやれ】
【俺だけ損していないか?2度も酒をかけられたんだぞ】
【羨ましいぞリョウ】
次々とまくし立ててくる。
挙げ句の果てには
【カオリの胸は意外に大きい】
【セクシーな声】
だの何だの。

撃ってやろうかと苛々しながら僚は受話器を握り直した。

「覗きをしろなんて言った覚えもないがな、ミック。」
『………』
「ついでに言えば俺は香を頼んだ筈だがね。」
『……、………。』

受話器の向こうでミックが声にならない声で呻いている。効いたようだ。

『すまないリョウ。まさかカオリがあんなにも――――』


聞きたくない、今は。


「ま、迷惑かけたよお前には。」
『…ソーリー』
「いや、お前の所為じゃない。」

『……ところでカオリは?』
「まぁだ寝てるよ。お陰で朝飯も食えないってのに。」
『来るか?今カズエが帰ってきた。』
「遠慮しとくわ。かずえちゃんと僚ちゃんの二人っきりなら行くけどな。」
『ノー!いいか?来るな、絶対!俺のカズエに……』
「わーったわーった。じゃあな」
『あ…っと、待てリョウ』
「あん?」

『今日はカオリに優しくしろよ?』

「……冗談じゃねぇ。朝飯も作らないようなヤツに!」



どいつもこいつも同じ台詞を吐くもんだ。


「香に優しく」


そんな事位解っている、とは言えずにいつもの悪態を吐きながら僚は受話器を置いた。












−*−*−*−












「おはよ……」
「『遅よう』の間違いだろ?」

香がキッチンに現れたのは昼過ぎの事だ。

「何やってんの?僚」
「見りゃ分かるだろ。昼メシ作ってんの僚ちゃん。」

優しくしろと言われたものの、昨日の今日でどうしてやればいいのか分からない。とりあえず何もなかった風を装ってフライパンを握ってみたのだった。

「似合わない……」
ぷっ、と香が吹き出す。
「お前ね…」
「いいわよ貸して…あ、いい匂い」
炒め途中のチャーハンが入ったフライパンをひょいと奪われた。
「僚は座ってて。」
「あ…あ」




「起こしてくれればよかったのに。」
塩胡椒を足しながら香が呟く。
「涎垂らして大いびきかいて寝てるんだもんなぁ、起こすにも起こせないってんだ。」
「え、嘘!?」
「嘘」

ゴン、という鈍い音と共に頭にはフライパン。

「あづ…熱ッ!」
「自業自得!座って待ってなさい。」
「お前…作ってやったんだから礼とか言えねえの?」

優しくするつもりがやっぱりこのザマ。
俺には無理だなと思いつつ香にいつもの調子でからかいかけると


「……ありがと」


ややあって香が口を開き、素直に礼を言ったので僚は拍子抜けしてしまった。

「でもいいわ。これくらいアタシにやらせて。」
「……」
「それでなくてもアタシにできる事ってそんなに多くないからさ…」
「香」
「へへ…」

名前を呼ばれると香は自嘲した。



「はい、出来上がり。僚、そこのお皿取ってちょうだい?」








−*−*−*−








いただきます、と言った割に食が進んでいない。
ダイエットか?とからかうと二日酔いなのだと言い、香は頭を抑えた。

「食えば楽になるぜ?」
「アンタの胃袋と一緒にしないでよ…」
ミネラルウォーターを流し込む香は、目の前で大口開けて食事する男を見ると「おえ」と軽くえづいた。

「う〜、気持ち悪い。」
「もう少し寝たらどうだ?」
「冗談言わないで。誰が伝言板見に行くの?」
「仕事なんて来てる筈ないだろ?もう2週間もこの調子なんだぜ。」
「2週間ぶりに依頼が来ているかもしれないじゃない!」
「パース!」
「僚ぉ!」
香は叫んだと同時に頭を抑えた。大声を出して頭痛がしたらしい。
「ほれ見ろ」
「うー…」

何とかこの状態から抜け出そうと香はチャーハンを口に運ぶ。食えば楽になる、という僚の言葉を信じる事にしたらしかった。
しかし二口目まで食べようとは思えず、豚肉代わりに入れたウィンナーをスプーンでコロコロと弄んだ。

「…やっぱりダメ。」
「じゃ、僚ちゃんいっただっきま〜す♪」
「ハイハイ、どうぞ。」
自分の皿を押しやると香が立ち上がる。
「コーヒーでいい?」
「おう。」


空いた食器を手に立ち上がる香の背中を見送る。



『香に優しく』



これでいいのかと僚は葛藤する。
そして





「香」
スプーンを置くと自分も立ち上がった。


「昨日の……」
「…い、いいわよそんな事は!それよりコーヒーはアイスの方がいいかしら――――」

「香」

逃げようとした香の手首を強く握る。
あ、と香が言う間もなく、食器が手から離れて落ちた。





―――――ガシャン。






「昨日殺した男はテロリストだ。」
「!?」

香から血の気が引いていくのが判る。
目をかっと見開いて自分を凝視しているその視線から逃れずに僚は続けた。


「V国から7人、入国した。宗教上、事を起こすまでにあと数日ある。潜伏している今のうちに殺っておくのがベストだ。それで俺は動いている。」
「………そ…んな…」
「昨日で4人目。あちらさんも今頃焦っている筈だ。まとまっている所を今日で片付ける。」
「……」

「香」




『香に優しく』




これが自分なりの優しさだと僚は思った。
誤魔化したまま、道化じみた生活を送るよりは求められた答えを与える事が。



「…テロリストなら警察に……」
香が動揺している。
勘付いていただろうが本人の口から聞くとなると話は別だ。ついに僚の真っ直ぐな視線から目を逸らし、呟きながら俯く。

「分かってるんだろ?依頼してきたのは警察だよ。勿論冴子な。」
「な…んで…」
「あいつは俺達との関係を勘付かれている。ごく一部の機関にだろうけどな。俺達がこの街から消えるか、アイツが警察から消えるかの二者択一だよ。…ただし逃げ道はある。」
「テロリストを……」
「そ。」
「だから……」
「ま、一番それがてっとり早いんだから仕方ねぇわな。」

「じゃあ、冴子さんを――――」
「勿論、時間があれば冴子に圧力をかけているヤツらを排除してやるんだがね。その前にテロリストが動いちまう。時間が無かったんだ。」
「………」


「香」

名を呼ばれて肩がビクリと跳ねた。

「俺はお前とこの街を出るつもりはない。かといって冴子を見捨てようとも思わん。」
「僚……」
「だからこの依頼は最後までやるよ、お前が止めようとしてもな。」
「…………」
「軽蔑するか?」

香が大きな動作で首を横に振る。
首を振る度に涙が零れ、弾け飛んだ。

「軽蔑なんて………!」






泣きながら香が言う。
「ごめん」と。


それはこっちの台詞だよ、と僚は思った。




















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