「ちょっと頼まれてくれるか。」
その一言を絞り出したミックの表情は、酷く歪んでいた。
【 滴 】
「なぁ、リョウ。」
その日は射撃場にまで足を踏み入れてきた。
気配を殺していつの間にやら背後の壁にもたれ掛かっていたミックを背中で感じる。
(珍しい事もあるもんだ。)
それでも気付かないフリをして撃ち続けた数発目。
ミックはもう一度、名を呼んできた。
「……」
呼んだ相手が相手だ。
僚は再び聞こえない風を装った。
「お前…暗〜い、地味〜な作業が得意だったよな。」
「……」
「日本人の典型的なタイプだな。せこせこした――」
「こんなトコまで嫌み言いに来たってのか?わざわざご苦労なこった。」
振り返らずに僚は答えた。
実際その言葉だけの所為ではなく、嫌な予感がして振り返りたくなかったのだが。
「性能良くて、俺にも引ける……引き金軽い銃を作って欲しいんだが…」
「………。」
僚はイヤープラグを耳から取り除いた。
「―――……何ー?僚ちゃん、聞こえなかった。」
「お前のソレは安物か。」
プラグを指さし再び嫌味を浴びせかけると、やっとで僚は振り返り、パイソンをホルダーに収めた。
「…悪いがお前に銃は持たせられんよ。」
「……どうしてもか。」
「お前の指で引けるトリガーなんて、危険すぎる。…それに銃を作るなら他を当たるべきじゃないか?」
目で問うとミックは舌打ちをした。
それから、やっと聞き取れる程の声で、呟いた。
「ちょっと頼まれてくれるか。」
その一言を絞り出したミックの表情は、酷く歪んでいた。
答えが至極読める程の表情。
直視できずに僚は掛けていたジャケットを、態とゆっくり羽織った。
「殺したい奴がいる。」
「最近ミックがおかしいのよ。」
「……?」
M.ANGEL OFFICE 。
コーヒーの香りが柔らかく漂っていた。
ソファーに座ってコーヒーを受け取るのは香。
依頼確認に伝言板を見に行った帰り道、アパートのドアに手を掛けようとして向かいのビルからかずえに声を掛けられたのだ。
「おかしいって…どんな風に?」
真面目に悩んでいる様子のかずえに、まさか『いつもおかしいでしょ』とはさすがに言えない。
香は月並みに聞き返した。
「先週末の朝から…何て言ったらいいか…尋常じゃないの。」
「どんな風に?」
「怖い位仕事に没頭していたり…」
良い事じゃない。
初め、香は何の気無しにそう思った。
「仕事への自覚がでたんじゃないかしら?今までの裏稼業を忘れてきている証拠じゃない?」
「…って思おうとしたんだけど何か違う気がする…。」
「笑っているのに…目が…………怖いの。」
香は悟った。
かずえの其れは杞憂ではないのだ、と。
女の勘か同業者としての勘か。
「触れる唇さえ…いつもの彼じゃない気がして……!」
きっと今、かずえの見ている彼は、裏世界のかつての姿のミック・エンジェルなのだろう。
「駄目よ。」
「香さん?」
「ダメよ、かずえさん!」
「彼を信じて。彼は絶対…貴女を裏切らない。もう二度と馬鹿な真似はしないって彼は貴女に言ったんじゃないの!?」
「そう…よね…そうだったわ…。」
「大丈夫よ。ホラ、男には色々あるのよきっと。」
「…香さん、それ自分に言い聞かせているみたい…」
「…そうかも」
フフッ。
香が照れた様に笑い、
「お互い大変ね」
と。
口にするや否や、ドアが開く。
「ただいまカズエ!…お、カオリ!来ていたんだね。」
タイミングの良さに、思わず女二人、顔を見合わせて吹き出した。
「ん?何の話だい?」
「いいえ、こっちの。」
「?」
解らない、と首を傾げるミックの目をしっかりと見つめながら香は笑い、ソファーから立ち上がった。
(やっぱり気のせいなのかもしれないわ。)
きょとんとしたミックの目は、それはそれは穏やかで、かずえの言うその低温が感じられなかったから。
「じゃ、アタシこれで。」
「下まで送るよ。」
「やだ、必要ないわ。」
「いやいや、ジェントルマンですから。」
ミックは恭しくドアを開けた。
「カズエ、コーヒー入れておいてもらってもいいかい?」
「解ったわ。」
かずえは送りに出たミックに、笑顔で返事をした。
「じゃ、かずえさん。」
「ええ、また。」
―――ドアが閉まる。
「………!」
ひんやりした通路の所為だけではない。
香は悪寒が走るのを感じた。
「…サンキュー、カオリ。」
言葉の意味はすぐ解った。
口調は優しさを含んでいたが、きっと目は『あの目』なんだろう、と思うと視線を合わす事が出来なかった。
「聞こえていたの?」
「少しだけね。」
「盗み聞きだなんて趣味が悪いわ。」
「何となく、入れなかったんだ。」
「君はあいつのパートナーだから正直に言っておく。」
「…な、に?」
「殺したい男が―――いる。」
「ミック、あなたやっぱり……」
「そして俺は…シティーハンターに依頼した。」
「……な……」
コンクリートの階段が、長く、長く。
こんなに長く、冷たく感じたのは初めてかもしれないと香は思った。