『やっぱりそうだったのね。おめでとう香さん!』
「美樹さん?」
『冴羽さん見て確信しちゃった。まさか先を超されるとは思っていなかったんだけど…盛大にお祝いしちゃう♪』

弾んだ美樹の声が刺さるように痛い。香は耳に当てていた携帯電話を胸の前で握りしめた。

『そうだわ病院、ちゃんとお医者様に診断してもらわないと』

それでも美樹の声は頭にまで響いてくる。




「病院…」




『もしもし、香さん?』
「だめよ…」
『ねえ、聞いてる?香さん』
「だめ…」




握りしめていた携帯電話をやっと耳に当てると香は言った。

「美樹さん誤解よ、ちょっと体調崩してただけ」
『うそよ、そんな筈ないわ。だって冴羽さんだって―――』
「僚には言わないで」
『それじゃあやっぱり…』
「わからない。わからないんだけどまだ僚には何も言わないで」
『香さん…?』
「駄目よ、絶対だめ。だってあたし、それでなくても僚の荷物―――」


『香さんっ!』


強い語気に思わず手がビクリと跳ねる。






『冴羽さんが本当にそう受け止めてるとでも?違うでしょう!』
「だって…もう守らなければいけないものを増やすことなんかできないわ」
『冴羽さんが守りたいって言ったらどうする気!?守らせてくださいって彼に言わせれば満足するの?』
「ちが……」
『今更何を思ったって、貴女もう母親なのよ!?しっかりなさい、香さん!』
「…………」






「うん…ごめんなさい美樹さん…」
『さっき、冴羽さん帰っていったわ。そろそろ着く頃でしょうから彼にちゃんと―――』
「もう大丈夫。私のタイミングで…言えるから…」
















電話を切ると涙を拭いた。
両手をそっと腹の上に当ててみる。当たり前に何の反応もなく、本当に自分には子が宿っているのか実感が湧いてこない。
香は小さく呟いた。


「……僚」
「おう」
「!?」



香は目を見開き振り返る。
思わず声が上擦った。





「り、りょうおっ!いつの間に帰ってたの!?」
「んんん、んなびっくりするこたないだろうがっ!」
僚の声も上擦った。









「あ、あのね僚」
「お、おう」

今しかない。
香は覚悟を決めて僚を見上げる。













「……」













どうしても言葉が続かない。

ごまかすように正座すると、僚もつられて背中を丸めながらの正座をした。












「……あの、あのさ」
「………」
「あた、あたし――――」
「………」


僚の沈黙に耐えられず、香はきつく目を閉じた。








「き、今日!そうよ今日変な依頼が来たの!」
「…………へ?依頼?」
「そう…そうよそう、依頼!」


逃げ道を見つけ、香はホッとしてまくしたてた。
僚は思いがけない話の内容にぽかんと口を開けた。




「ヨウコさんっていう綺麗な女の人から封筒を預かったの」
「はあ」
「でもそれだけなのよ、ヨウコさんも誰かに頼まれたから渡すだけだって言うし、これ以上は何も言えないって言い出すし…ちょっと気持ち悪い依頼だったわ」
「はあ」
「そ、それだけ!おやすみ!」
「…………お、う」






僚はホッとした顔でそれを見送ろうとしたがそれも一瞬。
首を思い切り横に振ると香を呼び止めた。


「………香、」
「んんんな、何!」
「その…なんだ…体調は」
「あ、ああごめんねさっきは!吐いたらもう元気になっちゃって!いや〜、昼間のヨーグルトが賞味期限切れてたみたいなのよね!大丈夫大丈夫!って事でおやすみ!」

「……………」












無理矢理その場を切り抜けると香は自室に戻り鍵を掛けた。
ベッドにダイブしようとして我に返る。

ゆっくり腹に手を当て、それから横になる。
何も考えたくないという心理が香をすぐに眠らせた。














−*−*−*−*−*−




























起きてすぐに昨日の事を思い出す。

「………」

気分は相変わらずすっきりしない。もう一眠りしようかと思案したが、すぐにゴミの日だった事を思い出し起き上がる。




「………」

よりによって、と香は腕組みをした。古紙の日だ。
新聞はともかく僚のコレクション(探し出せた分だけ)を両手に抱えて歩かなければならない。
なるべく露出の少ない女性が表紙のものを選び上に置くと紐で縛る。
いつもの香なら簡単に運べるが身重かもしれないと思えば躊躇われる大量のそれ。だが捨てなければすぐに持ち主は回収に来るだろう。

「…たはは」

仕方ないか、と香が両手にそれを握ろうとすると
「お前なあ、弁償して新しいの買ってくれるんだろうな!?」
背後から悲痛な声。

振り向けば僚が涙目で雑誌を抱えた。




「あ」
「ったく…安くねえんだぞ」
「……そ、そんな事言ってそれどこに持っていく気だバカ!」
「出せばいいんだろ?ゴミに」
「あ………うん……」
「ま、新しいの買うから僚ちゃんいいもんねー♪」

階段を下りていく僚の背中にいつもと違った雰囲気を感じ、香は気圧され口ごもった。
振り返らずに僚が言う。


「そのままちょっくら出掛けてくるわ」
「わかった……あ、朝食はどうす――――」




「!」




わっ、と香が小さく叫んだ。
僚を追いほんの数段踏み出したところで足を滑らせ、咄嗟に腹に手を当てた。












「………」


衝撃が無い。気づけば腕の中に収まり、顔を上げれば険しい顔つきの僚と目が合った。




「……りょ…」
「バカ」
「………」

返す言葉が見つからず、香は目を逸らした。


階段下に散らばる雑誌。


「……あ、あーあ、結び直しじゃないのよ」
「……そうだな」

もう一度雑誌類を纏めると僚がそれを持ち上げた。


「ほんじゃ」
「あ、僚」
「あん?」









「か、帰ったらさ……話、あるんだけど」
「――――――ああ」











気のせいだろうかと香は思う。
僚が一瞬、笑んだような気がした。
瞬きをしたほんの一瞬でそれは消えてしまったが香は言いようのない感情を覚える。



















行ってくると言い残し、アパートのドアが閉められる。





「……そっか」
手を当てた腹からむずむずと沸き上がる言いようのない感情。
「いいんだ」

もう一度香は呟いた。

「いいんだ」
























「――――――よかったね」
「!?」




突然ドアが開く。
しまった、と反射的に閉めようとしたが間に合わない。


ネイビーのスウェード素材。
見慣れない靴のつま先がドアの隙間に割って入った。

訪問販売よろしくドアの隙間に足を挟めこじ開けたのは若い男だった。






「こんにちは」
身なりの小綺麗な長身の男。
無表情だが彫りの深い顔立ちはモデルか何かのように整っている。
初めて会ったにも関わらず男は言う。













「久しぶりだね。会いたかった」













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