「君さ、忠告しとくけどあれヤバいやつでしょ?やめな」

「歌舞伎町(ココ)で働いてるコならバカでも知ってるよ、シティーハンターの噂」

「モノ渡すだけっていうから引き受けたけど、いたずらでもマジでヤバイからねこーゆうの。何も知らないからこんなバカやってるんだろうけど」

二度目の『バカ』に瞼が痙攣する。

まくし立てる目の前の女は金髪に紫のカラーコンタクト、胸元丸出しに近い服を着て、まるでバカそのものだというのに、と苛立った男は舌打ちをした。


「何しようとしてんだか分かんないけどこの街出た方いいよマジで」

「煩い、売春婦」

「はア!?あんた来た店キャバクラだったよね?あたし体売った覚えないんだけど!バカじゃないのマジで!」

三度目のバカ呼ばわりで男はナイフを取り出した。

「何も知らない癖にそういう事――――」






『あんたは結局何も知らない!』


父親の愛人の言葉がよう子の言葉と重なり、頭を鈍器で殴られたような痛みを覚える。

咄嗟にナイフを突き刺すと散瞳したよう子と目が合った。

「ひ…」

殺しは初めてではないが直接手を下す事に慣れていない男は思わず声を漏らした。

どうすればこの視線から逃れられる。

焦った手はナイフを抜くことができない。

腹に突き刺したままのそれを力任せに上下左右と揺らしては抜き差しを図るが、それをする度によう子の半開きの唇から空気が奇妙な音を立てて漏れ出る。

途切れそうな意識を何とか保ちながら、男は携帯電話を取り出した。









-*-*-*-*-




 

 

『ごめんなさいね、急な仕事が入ったの。聞いてよ海外からの取材なの!しかもウィークリーニュース誌!』

「そんな大手に!よかったですね。ついにサチコさんの会社も海外進出かな」

『ありがと、忙しくなりそう!だから今日は行けないけど、いい子にしてて』

「はい、待ってます」

『本当にいい子にしてるのよ?そうでないと歌舞伎町でのアレも庇いきれなくなるから』

「…どうにかなりそうですか?」

『懇意にしている会長さんが暴力団組員を一人出頭させてくれる事になったから安心して』

「ああ、流石はサチコさんだ。本当にありがとう」

「だから暫くはそこから出ちゃダメよ。必要な物があれば私に連絡して」

「はい」

『お楽しみはまた今度。じゃ』


通話を終えると、それまで柔和な笑みを浮かべていた男の顔は一変した。

「…はっ、何がお楽しみだっての色欲ババア」

それまで纏っていたバスローブはたった今まで通話していた女社長からの贈り物で、それを着て待てという指示でもあった。

毟る様にそれを脱ぎ捨てると男はクローゼットの扉を開ける。

Tシャツにジーンズの無難な服装を選び着替え終えようとした時、やっと男はある事に気付いた。


アパート向かいにあった看板の会社名は確か。

「ウィークリーニュース………?」

呟きと同時に間接照明が消えた。


「は?」

窓の外に目をやると相変わらずの夜景が広がり、停電の様子も無い。

「嘘だろ…32階だぜここ」

自身の気付きと停電のタイミングの良さに体が火照りだし、額に汗が滲んでくる。のどの渇きで声は掠れた。

「や、無理だし」

パトロンから与えられたこの高層マンションのセキュリティは完璧な筈だと自分に言い聞かせる。

異常があった時には警報が作動するようになっている。

訪問者と認められた者だけに手渡されるカードキーが無いと入る事はできない。警備員も常駐している。

それから。

それから。

額の汗がダラダラと流れ落ちる。

「や、無理だし」

もう一度同じ事を呟くと手探りでクローゼットを閉め、リビングルームへ向かう。

やはり暗闇のそこを夜景の灯りを頼りに歩き、テーブルのミネラルウォーターを掴んだ。

手が震え、蓋が開かない。

「…ンだよ…っ」

ありったけの力を込めてペットボトルを握った瞬間、玄関口へと続くドアのノブだけが派手な音を立てて目の前に転がった。

しくじった、と男は思ったがそれも一瞬の事だった。

蹴破られたドアから冷気が流れ込み、鳥肌で粟立った全身が硬直する。

「寒――――」

違うこれは殺気なのだ、と悟った途端にペットボトルと自分の手に穴が開き、それぞれの液体が飛び散った。





「ッでああああああああ!」


突然の痛みに我を忘れて転げまわると頭上から声が落ちてくる。

「あまり喚くな」

髪の毛を掴まれ無理やり上半身を起こされると薄暗い中、写真で見た男と目が合った。

「シティー…ハンター……!」

「ああリョウ、間違いない。コイツだよカオリを酷い目に遭わせてくれたのは」

「そうか」

「おまえ…ウィークリー…」

僚の背後から含み笑いの低い声が響いてくる。顔は見えないが日本語のイントネーションで昼間邪魔に入った外国人なのだと悟った。

「残念だが君と話をしたい気分じゃない。これから君のパトロンと偽取材の予定が入っているんでね」

あとは任せた、と言い残し去っていく背中を見て、全てがシティーハンターに繋がっている事にやっとで気付く。

殺した女の一言が今になって自分に刺さる。


『いたずらでもマジでヤバイからねこーゆうの。何も知らないからこんなバカやってるんだろうけど』


 

「どうしてここが…」

「おいたが過ぎると足が付くもんだ」

「は…俺を殺したらあんたのパートナー、一生あのまんまだぜ」

「ガキの遊びに付き合ってる暇はない、一つだけ訊いておく。何故香を使った」

「平然としてるけどよ…悔しいんだろ本当は…自分のオンナ…あんなにされてよ―――――」

自分の髪の毛が毟り取られる音を聞きながら床に叩きつけられる。穴の開いた掌を容赦なく踏みつけられた男は必死で悲鳴を堪えた。

「ぅ…あ…!」

「答えになっていないな、やり直しだ」

「…っるせえ…!お前の一番大事なモン…壊してやりたかったんだよ…ざまぁみろ……!」

痛みに抗うように吐き捨てると目を瞑る。

殺される、と覚悟したが一向に銃声が聞こえず、今以上の痛みが訪れる気配もない。

ゆっくりと目を開ける。銃口と冷たい視線に見下ろされ、意識を手離す事ができたのならどんなに楽だろうと男は絶望した。

 

「お前の事は全て洗った。父親を憎んでいたようだな」

「それが…どうかしたかよ」

「死ぬ前に楽しい昔話を聞かせてやる」

「……?」

「あの組織で所帯持ちで平和に暮らそうなんざ不可能だった。だがお前の親父は妻子を捨て切る事ができなかった」

「……」

「組織内で検挙に繋がるヘマがあった時、係わったやつの多数が身内を消されてお前の母親も見せしめに殺された。あとは血の繋がりがある実子を残しておけば本人は死に物狂いで組織に貢献する。お前の存在は組織が父親を飼い殺しにするいい条件だったんだよ」

「……!」

「いつ実子を殺されるかと恐怖した父親は、なるべく自分の側から息子を遠ざける事を選んだ。そのためなら暴言暴力も厭わなかった。――――結果がこれだ」

「は………」

「ま、てよ…待てよ…ぉ!何でお前からそんな事聞かなきゃいけねぇんだよ…何で今…!」

急に聞かされた父親の話に感情が混交する。

堪え切れず男は泣いた。

自分自身が何の涙なのかを解らないまま嗚咽が漏れる。

それを見て、やがて笑い出すのではないかと思われそうな声音で僚が言い放った。

「死ぬ前に知りたかったろう?色々と」

「じゃあ…じゃあ俺、何で今まで…俺の所為でオヤジ、無駄死にじゃねェかよ……俺の…俺のした殺しも無駄じゃねェかよ…!」

「正解。これで未練なく旅立てるだろ」

「ふざけんな…何の為に死ぬんだよ…俺」

「さあな。お前が殺した女も同じ事を思ってただろうよ」

「くそ…クソォ……っ!」

「親の心子知らず、ってな。そこは同情する…が」






「俺のパートナーに手を出した落とし前はつけてもらう」








 

『速報です。港区のマンションで男が拳銃自殺を図ったとみられ救急搬送されました。警察の発表によると男は意識不明の重体、歌舞伎町の雑居ビルで起こった殺人事件に何らかの関係があると見て捜査を進めており―――――』

 








速報が飛び込んでくるとミックは取材の体で持っていたメモ帳をそっと閉じた。

即死を選ばなかったのはリョウにしては良い判断だ。

てっきりそれを選んだかと思っていたが予想が外れ、忍び笑いをしつつ目の前の女の反応をちらりと見る。

取材対象の女は真っ青な顔で画面を凝視していてミックが立ち上がった事にも気づいていない。

「ああ失礼…煩かったようだ。消しましょうか」

ミックがテレビを消そうとする素振りを見せると、女はやっとで我に返り小さく首を振った。

「…ィ…いいえ…」

「性分でね、申し訳ない。常に新しい情報を耳に入れておきたくて。いつも点けっぱなしなんですよ、だらしのない事だ」

「…き、気にしないで結構よ」

「おや、顔色がお悪いようだ。このニュースがそんなに気になりますか」

「何でも―――」

唇が痙攣し始めた女に秘書らしき男が駆け寄ると耳打ちをした。

「んな、警さ―――っ」

言いかけた口を慌てて抑え、女は震えた声で断りを入れた。

「ごめんなさい、急用ができたの。今日はここまでに…」

「残念ですがそうしましょう、調子もお悪いようだ」

ミックは穏やかに微笑んで見せると手を差し出した。

「次の約束はまだしないでおきましょう、お互いに」

 

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