時間が経つにつれて詳細が明らかになっていく。

男の名前が公表され、やがて女社長の任意の事情聴取が報じられたところで美樹はテレビを消した。

「結局犯人は生かしたのね、冴羽さんたらこんな時にまでお人よしなんだから」

「いや、逆だよ逆」

「え?」

「ケーサツの発表以上の傷負わせてるだろ?リョウのヤツ」

冴子が無言で頷くとミックはやっぱりね、と首切りのジェスチャーをして見せた。

「意識取り戻したとしても心体共に廃人なんだろう?あんな生かされ方するくらいなら俺は自分で命を絶つね」

カオリの事となると見境いないんだぜ、アイツ。

ミックはそう言って笑うが海坊主は呟いた。

「いや…最後に何処かで救いを与えたかったのかもしれん。相手にも自分にも―――な」

「ファルコン…」

「さ、どっちにしろ今日は店じまいだ。早く帰れ」

ごちそうさま、と冴子が立ち上がりショルダーバッグから財布を取り出そうとする。

美樹が「いいの、今日は奢り」とそれを止めながら見送った。

「お前は払って行け、ミック」

「なぁ~んでだよ!」

「2杯目は別料金だ」

「チェッ、ちゃっかりしてやがる」

ぶつくさ言いながらも椅子に座ったまま動こうとしないミックを見て海坊主が眉をひそめる。

「どうした」

「ハハ…何だか帰りにくかったりして」

「あらどうして?」

美樹は首を傾げる。

「何というか…事件の性質上?いや、カズエも多分…ああ、日本語で何て言えばいいんだろうな…イタタマレナイ?…ハハ」

珍しく歯切れの悪いミックを見ると海坊主は「そうか」と頷き、カウンターの下からバーボンを取り出した。

「……飲んでいけ。ただし深夜料金だ」

「oh,ココロの友!」

「誰が友だ!…ただ」

「お前達の気持ちが分からんでもないだけだ」






-*-*-*-






 

治療室に連れていかれるかと思いきや、教授が香を通した場所は客間だった。

「とりあえず今日は何も考えずに眠りなさい」

そう言われて素直に従った翌日、今度こそと思えば縁側に呼び出されて香は小さく安堵の溜息を吐いた。

庭園は秋の訪れを見せ、トンボが飛び交う中を教授が杖をつきながら歩き始める。


「教授!」

「ああかずえくん来たかの。あれを」

「はいはい、待ってくださいね」

「ちょうどエサの時間なのよ」

かずえがエサ袋を香に手渡して縁側でパンプスを脱いだ。

「教授、お茶ですか?それともコーヒー?」

「今日はほうじ茶の気分かのう」

「了解です」

あとはお願いね、とかずえにウィンクされた香は池を覗き込む教授の後を追う。

二人の姿が水面に映ると池の鯉達は一斉に集まり口を開け、我先にと体をうねらせる。水しぶきが派手に飛び散った。

「それを」

香は促されるままに教授の手にエサ袋を握らせる。

「ホッホッホ、見事じゃろ?」

「……」

エサを撒けば一層水しぶきは激しさを増し、必死でエサを求める鯉が連なりあう。

香は頷くと微笑を浮かべた。




「ゆうべはよく眠れたかの」

「はい」

「その様子では、もう自分で暗示も解いておるのじゃろう?」

「……」

「お前さんは強い女性(ヒト)だから」


教授は海原の船から戻った後の香を思い出していた。

一時の混乱もすぐに落ち着き怪我の回復も早かった。

記憶が戻った事を僚に伝えようとした教授を止めたのも香自身。様々な要因が重なったにせよ香の精神力が多少なりとも影響した事は目に見えていた。

「僚にはここ数日の記憶が無いようだって事にしておいてください、お願いします」

やはりそうきたか、と教授は嘆息しながら

「お前さん、またワシに嘘を言わせる気かの」

そうぼやいた。

「なにもお前さん、自分でそんなに鍵をかけんでも良かったのにのう」

「……」

「本当は分かっていたんじゃろう?だから逆に暗示にかかってしまった――違うかな?」

「……」

「一度、僚としっかり話し合いなさい。いつもいつも…まるで化かし合いじゃよ、お前さん達」

それまで微笑を浮かべていた香の表情が歪んでいく。やがて溢れた涙は頬を何度も伝っていった。

「暗示にかかった時…つわりかもしれないと思った時…そうであって欲しいと自分から深みに嵌まりました。だって…だって教授あの時言っていたから。知っていたから」

「…そうじゃの。確かに言った」

エサの時間が終わり、静穏の戻った池の上をトンボが飛び交い始める。

連結したトンボが打水産卵をすると小さな波紋が幾つも揺れた。

「お茶でも飲むかの」

再び杖をついて歩き始めた教授の後に続くと、その背中が言った。


「『新宿の種馬』とは良く言うたもんじゃ。あやつに種なんか何処にもありゃせんのに」


「……」

「前にも言うたが僚はゲリラ軍にいたあの頃、タチの悪い感染症を何度も罹患しておる。勿論高熱にうなされる事なんぞ一度や二度ではなかったわい。それに加えてエンジェルダスト…あれの生殖機能はとうに死んでおるよ」

「そう…聞いていたからあた、あたし…一度は諦めた筈なのに…もしかしたらって…」

「うむ」

「望んじゃいけないってわかっていた筈なのに…心のどこかで…こんな事考えていたなんてこんな自分勝手でひどい事、僚には絶対―――」

「もう良いじゃろう、自分を責めるのはやめなさい」

ふと何かに気付いた様子の教授は香の手を取ると数歩先に見えていた腰掛待合まで香を連れ、そこへゆっくり座らせた。

「教授…?」

「さて、かずえくんは何処まで茶を淹れに行ったかのう」

「?」

「待ちきれんから、あとはあやつに頼むとするかの」

「え?」

「迎えじゃよ。二人で帰りなさい」




「―――――僚」


石畳をこちらに向かって歩いてくるパートナーに心臓の強い鼓動を覚え思わず立ち上がる。

まだ何の準備もできていない。無防備な自分を見られてしまい、香は演技をしようとしていた事も忘れて拳を固く握った。

「香」

名を呼ばれてから自分が泣いていた事を思い出し、見られてはいけなかったと慌てて顔を乱暴に擦る。

いたたまれなくなり思わず目を逸らそうとした刹那、しゃがみ込んで顔を伏せるかずえが視界に入ったが今はそれどころではない。

「り、僚、あたし…」

「大丈夫か」

「…ッ、」

何と答えたらよいのかが分からず、香は首を横に何度も振った。

「ごめん、あたし―――」

「お前が無事ならそれでいい」




そうだ。

れだけでよかったのにと香は思う。

生きて互いの誕生日を重ねていく。

それだけで他に何もいらないと願った筈が、今では日に日に欲深くなっていく。

生き抜くだけでは事足りず、その先を求めてしまっていた事が悔しくて、香は

「ありがとう」

それだけ言うと唇を噛みしめる。

涙はもう込み上げてはこない。

泣けたのならどんなに楽だろう、と思いながら香は精一杯の笑顔を浮かべると僚の胸に顔を埋めた。



fin

 

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