嫌な予感がした。絶対に当たるという自信があった。最近の彼は、おかしい。












「例のホシが動き出しました!」
新人の刑事が興奮を隠しきれずに息を弾ませながら報告する。
乗り込んだ覆面パトカーには私を含めて3人。
多すぎると思うけれど教育係も兼ねているから仕方がない。

「予想通りね。」
「ああ、単純な犯人で助かった。」
「単純…?」
どこがですか、と新人刑事が突っ込む。
「あら解らない?あれでよく人が殺せたわと思う程よ」
「あれだからこそじゃないのか」
「言えてる」

二人で笑い会う姿を見て
「はあ…」
ついていけないとばかりに新人刑事が首を傾げた。

「何首捻ってるのよ。複数犯なんだから気を抜かない」
「えぇ?だってあいつが犯人じゃないんスか!?」
「確かに殺したのはあいつだろうけど、共謀者がいるわ」
「ああ。それも今日中に此処へ来るはずだ」

言った直後に数メートル離れたアパートには人影。

「ほら、ね」
「本当だ…は〜……すごいッすね」







あれから数年たった。私と槇村は署内でも名コンビとして名を馳せていた。
実際私と槇村が組めば大抵の事件は解決する事ができた。地位ばかりが名売れしているどこぞのオヤジ達よりもよっぽど使えるのだ、彼は。
実際その日も見事に犯人逮捕。検挙数ならどこの署にも負けない程だ。
犯罪とは憎むべき卑劣な行為ではあるけれど、それを阻止して検挙する事は私の生き甲斐となっていた。俗に言う「キャリアウーマン」になっているのだろう、私は。
私は僅かずつながら自分の地位をモノにしてきた。
陰では『総監の娘だから』とか『体を武器にしているんだ』とか。そんなくだらない噂が立っているのも知っていたけれど、それでも私は進めるだけ進んだ。
何の為かは、残念な事に自分でも分からない。
きっとそれは彼も同じなのだろう。





「おかしいとは思わないか?」

時々彼は、そう呟いて力無く笑う。
その日もそうだった。

そんな事を言い出したのは何時からだったか。
とにかく彼はその言葉を好むようによく口にしていた。
気づいていたのに止めようとしなかった事を私は今、後悔している。











−*−*−*−*−*−















「おいみんな、聞いてくれ。」

汗狸が大声を張り上げた。


「例の事件、本来ならば管轄外ではあるが応援要請が出た。そこで今、同行者が一人欲しい。誰か――」
「それだったら野上はどうスか」
誰かが呟き周りも頷いた。悪い気はしない。
「私でよければ」
そう汗狸に伝えれば彼はうん、と頷き賛成の意を示した。
彼はもう私を蔑視したりはしない。寧ろ私の力量を正当に評価し、私に意見を請う事さえもある。

だけど。

隣のいかにも偉いんですと言わんばかりの男と目が合った。

「女は、いりません。」
「……な…っ」
「ああ、大丈夫ですうちの野上は――――」
「もう一度言いましょうか。私は有能な男性刑事が欲しい。」

私は反射的に声を荒げた。
「ふざけな―――」
「あぁ〜、いいからいいから」
汗狸が割って入る。

「槇村、お前代われ。」
「あ…いや…自分は別件で」
「いいから行け、ほら」
それでも渋る槇村に汗狸はたたみ掛けた。
「ほら、お待たせするな!」

「ちょっと、私は――」
「野上ッ」
「………」
珍しく汗狸は私に対して声を張った。

「解ってる。解ってるよ私らは。」

いいえ、解っていない。

「それなら――――」
「ただ……な?」



「お上は女にゃ無理だと仰せだよ、俺だって言いたくねえんだこんな事」



足下がぐらつく。
『女には無理』
女って何?
女である事が仕事の妨げ?
憎むべきは男尊女卑のこの社会か、それとも女である事か。
私は殺人犯の気持ちが解るような、そんな不謹慎な感情に支配されていた。









−*−*−*−*−*−












「……それで…何で俺が呼ばれるんだ」
「暇そうだったからよ」
「勘弁してくれ」

つれない台詞だったけれど彼の顔は笑っていた。
…いいえ、そう思いたいかった。

「だって同行今日で終わりだったじゃない」
「そりゃそうだが…」
「明日は?」
「非番。」
「奇遇ね、私もよ」
「参ったな」

数日で彼は戻ってきた。予想以上の結果を出して。

その日私は初めて彼をこの部屋に入れた。
恋人だとか、男女の関係だとか、そういう下心はない。…ってそれ、男の台詞よね。

「何飲む?何でも出すわ。」
「…ウィスキー。」
「モルト?グレーン?ブレンデット?バーボン?」
「待て、何でそんなにあるんだ。」
「好きだからに決まってるじゃない。言ったでしょ?何でもあるって」
「……お見それしました」

槇村が額に手を当てたのを見て私は軽く笑った。

「ロックでいい?」
「頼む。」


自分にも同じ物を作ると、一つを彼に手渡した。
「何に乾杯?」
「そうだな…夜中に同僚を呼び寄せる野上の、その天真爛漫さに乾杯ってのはどうだ?」
「ふふっ、いいわね。乾杯!」

嫌味を嫌味と思わず私は彼のグラスに無理矢理自分のグラスを重ねた。











「なーにちびちび飲んでるのよ!男ならぐあーっと行きなさいよ、ぐあーっと…」
「おい、お前…酔ったんだろ。」

言われて初めて自分が酔った事に気付いた。

「え?」

素面のような槇村が呆れた視線を私に投げかけてくる。




「あんた…ほんっっっと出来た男よねえ」
「……」
彼が無言でグラスを空けた。

「仕事もできるし、気は利くし?これで家事もできたら言うこと無しだわ」

そういえば槇村の家は何処にあるのだろう。今更すぎて聞けやしない。
そういう意味で考えてみれば、私は彼を全く知らない。

「……」


槇村は無口だ。
でも決して根暗とかそういう類の生き物ではなく、ただ 必要以上を語らない男だと思う。
自分を決して飾らない。


「何だって程々さ」
「またそうやって謙遜する。嫌なヤツ」
「……」
「貴方がそんなに出来た男だから私が過小評価されるのよ。」
ちょっと苛めたくなってそう言った。
「悪い」
槇村はそう言うなり更に閉口した。


………冗談なのに この男は。


「…やめてちょうだい、ちょっとからかっただけなのに」

余計惨めになるじゃない。

「俺は野上を評価している」
「……」

今度は私が閉口した。


「女だからって出来ない仕事だとは思っていないぞ、俺は」
「……」
「実際、野上は良くやっているよ」
「……」
「だから―――」
「………ってる」
「ん?」
「解ってるわよ、そんな事。」

槇村のグラスをひったくり、並々とウィスキーを注いでやった。

「解ってるんだから」
「………」
ついにお互いが閉口してしまった。
これではまるで通夜だ。

私は話題を探す。


「ところでどうだったのよ、同行」


何気ない仕事の話をしたつもりだった。
まさか彼がこんな目をするとは思わずに放った一言だ。





「少し…酔ったな…」

目を逸らしたまま。
彼は質問に答えず呟いた。顔を真っ赤にして、首を左右にゆっくりと振る。

「水を持ってくるわ」
「ああ、いい。」
「倒れられたら私が困るのよ」
自分のグラスを置き、立ち上がった私を彼が止めようとする。

「のが――」





「み……」





掴まれた右手首。
可笑しい程にそこに全神経が集中する。













「――――――あ」












そのまま私は抱き寄せられた。

洒落っ気の無い安物のYシャツ。

男特有の匂いがするその胸。

ぎこちない腕。




其処に埋まった私は突然の事にどうして良いのかが解らず言葉さえも失った。







ああ。
違う。




どうしていいのか解らないのではなく 

次の行動を、待っているのだ。







仕事仲間?
大切な友人?



違う 





こうされたかった。


抱かれたかった。


彼をパートナーである前に一人の男として見たかった。











ああ











「冴子」





お願い













「辞表を――出してきた」














彼が、器用な人間だったなら。










「やらなければいけない事が、出来たんだ」











彼が器用な人間だったなら警察を辞めなかっただろう。
その手腕で上まで上り詰めた事だろう。
彼が器用な人間だったなら仕事を辞める負い目など感じなかっただろう。
どんな世界に踏み込もうとも私に言ってくれたのだろう
「愛している」
と。























私を抱き締めた腕がふるりと揺れて、それから離れた。

「おかしいと思わないか」

彼が言う。
今更名前で呼んでおいて突き放す。
当たり前におかしい行為だったが、そのことを言っているのではないことは厭になるほど分かった。


「………何を…考えているの…?」
「自分にも分からなくなるよ。だが」






「後悔はしないつもりだ」

言い切った彼が憎らしい。

私は思った。

いつか後悔すればいい。
私の腕を

 離した事を。










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