「お世話になりました。」
彼が深々と頭を下げると一斉に拍手が湧いた。
その拍手の多さは今日で退職する男――槇村秀幸 の今までの貢献度を物語っていた。


「えー、今日は槇ちゃんの送別会って事で!皆さん20時にいつもの店でお願いします!」
お調子者の万年幹事が手をメガホン代わりに叫んだ。





途端。






『新宿ゴールデン街にて殺人事件発生』

「何だ何だぁ?」
「今日は中止ですか」
「だなぁ」
「悪いね槇ちゃん、また今度!」
口々にそんな事を言いながら出動準備をする。


「野上、新人連れてってくれや」
「了解」
「いいか?絶対現場汚すんじゃあねえぞ!」

前科のある新人に汗狸が念を押している。


「俺も行く」
当たり前のようにそう言った槇村も何もかも見ないふりをした。


………なのに。








「出してくれ」

助手席に乗り込んできた彼を見て私は言葉に詰まる。

「貴方のお仕事はもうおしまいよ」
「ちゃんと許可は取ってきた」
「……新人くんがまだ来ていないの」
「松さんと乗るそうだ」
「………そう」




ガ……




『負傷者が“サエバリョウ”という男の名を口にしている。銃を所持している可能性あり。』

「ビンゴだな…」
「え?」
「いや、独り言だ」


絶対何かを知っている。


「これと貴方の退職は…何か関係が?」
「……」


不器用者。
返事は期待せずにハンドルを切った。

其処で黙ったら関係あるって言っているようなモンじゃない。










−*−*−*−*−*−*−











「まぁ…綺麗に殺られちゃったわね」
死体を目の前に、こんな軽口を叩けるようになった自分をどうかと思うが、今はそれどころじゃないわと思い直す。

射殺死体だった。
「一人は息があり搬送されましたが今連絡が入りました。ダメだったそうです」
「そう」

うえ、と新人刑事が嘔吐いている。
やっぱりな、と誰かが呟やく。

「バカ、現場を汚さないで」
「すいま…ぇ……」

情けない声を背中に、ゆっくりとしゃがみ合掌した。


被害者はどこにでもいそうなその筋の匂いがする男が二人。
アロハシャツの男が紫のスーツを着た男の上に覆い被さるようにして絶命していた様は、舎弟が兄貴分を庇いきれなかったのだろうと誰もが推測できるような格好だった。

「遺留品は?」
「はっ、今」
「野上、此処を頼む」
「んなっ、」


しゃがんだまま振り返るともう其処には槇村はいなかった。




「……」




何を知っているの。


「何年付き合ったと思ってるのよ…」

要所要所に穴の空いた男達を一瞥すると私は立ち上がった。

「野上刑――」
「ココお願い」
「や、俺無理っすよ」
「しっかりなさい!」


いい加減にしなさいよ。
怒りが沸々と込み上げてきた。新人刑事にではない。
今日までコンビを組んできた男に対してだ。









新宿ゴールデン街。
老朽化の進む店舗が立ち並ぶ夜の街。
味があっていいと槇村はよく言っていたけれど、私はどうしても好きになれなかった。


「今!此処を眼鏡掛けたトレンチコートの男が通らなかった!?」

怒り任せに胸倉掴んで警察手帳を突きつけた男はどこかで見た顔だ。きっと何かの映画監督だったと思う。

「い…今あっちに…」
威厳ナシ。テレビではあんなに偉そうだった男が弱々しく路地裏を指さす。
私は礼も言わず駆けだした。










ジャリ……




ビール瓶か何かの破片をヒールで踏みながら路地裏へと踏み込む。


「……」


猫一匹いやしない其処をただ進む。
気配は感じられない。
だけど確信は何故かあった。

彼は此処にいる。

一つだけあったドアにゆっくり手を掛け空いた手で太股からナイフを抜き取った。
心の中でゆっくりカウントダウンをする。

「……」

3・2・1――――――――




「はい、一名様ご来ー店ー♪」
「きゃあッ!」




飛び込もうとしたドアが勝手に開き、私の体がフロアに投げ出される。
槇村ではない男の声に死を覚悟した。






「ようこそスナック『もっこり』へ。美人さんは大歓迎だぜ」

小汚い格好の男。
彼がドアを開けたらしかった。
ゆっくりと体を起こした私に笑いながら銃を突きつけてくる。

銃口は額のど真ん中。

へらへらしている様だが目が笑っていないのは明白だ。




「……貴方が…やったのね」
「ああ、アレ」

…やっぱり犯人だわ。

「しつこかったからな、殺しちゃった」

さらりと言って退ける男に恐怖を感じた。

「……人を何だと…」
「じゃあお宅さんはあいつらを何だと思った」
「…チンピラね」
「ご名答。ゴミはゴミ箱へ。これ、基本でないの?」

飄々と笑う男には隙がない。
投げ出されたナイフに一瞬だけ視線をやったがすぐに気付かれ足でそれを踏みつけられた。

「それから、ヒミツを知っちゃった人も消してるの、俺。」


相変わらず額で光る黒いそれがカチリと鳴った気がする。


「もっこりちゃんを消すのは忍びないんだがね。」

悪いな。 
男が鼻で笑った。






―――――殺される





「野上…?」

鳴ったそれは撃鉄ではなくドアが開け放たれた音だった事にやっとで気付く。
男の背にあったドアの向こう。

「槇……」









どうして。

どうして?


血も涙もない様なこの男と槇村。
これで彼が大怪我をしていたならまだ良かった。
此処が捕り物現場だと思いたいのに、何もかもがどんどん厭な繋がり方をしていく。


「……どうして…貴方…」
「おや、槇ちゃんの知り合いだったの」
「いや………」

言い淀んだ彼が恨めしい。

「もしかしてコレぇ!?」
男が下品に小指を立てて見せる。

「いや違う」

今度はきっぱり否定した彼が更に恨めしい。

「同僚、だ。」

まぁ、間違ってはいないのでしょうけど。

「へ〜ぇ刑事。どうりで」
鼻が利くモンだ。
感心した様に2、3度頷いてから
「じゃ、殺せねぇわな」
言って額に当たっていた物を避けた。

「口封じの下手な殺し屋ね」
そう言うと男はクククと笑った。

「殺すだけが口封じってわけじゃないからな。例えば熱〜いキッスとかぁ」

腰を抱かれ唇を求められそうになり、反射的に男を投げ飛ばす。


「何するのよっ!」
「ぐえっ!」

大袈裟に転がったかと思えば直後に起き上がり、楽しそうに笑う。


「借りは作っておかなくちゃ。なあ?槇ちゃん。」
「僚」
「なはは、悪ィ悪ィ」




『サエバリョウ』
無線の声が頭の中で蘇る。


「貴方…サエバ…リョウ……?」
「なんだ、そこまで割れてんのね」
「大騒ぎだ。」

槇村が溜め息を吐いてサエバリョウに声を掛けた。

「俺ぁただ、槇ちゃんの退職祝いをしようとだなぁ…」
「そんなに盛大にやらなくていい」
「つれないなぁ〜、槇ちゃん。祝い金まで用意したってのに」

小さな何かがヒュッと目の前を飛ぶ。

「マイクロチップ」
「そ。さっきのお兄さん達から貰ったの」

ニイッ、と笑う彼の表情はまるで子供のようだった。

「…野上、これをそのまま署に持ち帰ってくれ。」

槇村が私の手を取り、マイクロチップを手に包んだ。


「…」
「最近まで追っていた麻薬ルートの一部のデータが此処にある。これさえあれば―――――」




「……で」

「ん?」











「ふざけないでッ!」












これ以外に、言える言葉があっただろうか。
私はそれだけを叫んで其処を飛び出した。




槇村秀幸はもう、こちら側の人間ではない。





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