ノックをしてから警視総監室に入り

「お父様、御用は?」

そう訊くと

「公私混同するな!総監と呼びなさい」

しかめっ面が私を迎えた。こういう時の父はきまって面倒な事を言う。

今日は何なのよ…。

 

「はいはい、御用は何でしょう?総監」

「冴子、お見合いしなさい」

 

ガタン!

手を掛けようとしたテーブルが派手な音を立てて倒れた。

 

「こ、公私混同はどっちよ!」

「うるさいこれは総監命令だ!」

「どう見ても野上家の家長としての命令でしょ!?」

「お前もいい歳だ、そろそろ家庭に入りなさい」

「…はい?」

唐突な話に眩暈を覚える。

「あのねお父様、私やっと仕事も軌道に乗ってきたの。今ここで辞めるわけにはいきま―――」

「軌道から外れたから言っているんだ」

「?」

「槇村だったか。あれのように責任を取らされたいのかお前は」

お見合いは流石に予想外だったけれど、どうやら汗狸の言った通りの展開になるらしい。

責任を取って辞める、ではなくて寿退職に持っていきたいわけね、父親の立場としては。

「…お父…いえ、総監」

「何だ」

「総監は彼の懲戒処分についてどうお考えになったんでしょう」

「妥当だ」

「妥当!?彼は全くのノータッチで直接指揮を執ったのが全く別部署の人間だったとしても!?」

「私に上がってきている情報が全てだ、プロセスは必要ない」

「お父様!」

「総監だ!なあ冴子」

 

そうだった。父は元々そういう人間だ。

娘の将来を必要以上に憂う人間味溢れる男かと思えば無駄な物には情けの欠片も見せない非情さと鈍感力を併せ持っている。

初めはどうしてこんなに頓珍漢な父親が警視総監になれたのだろうと心底驚いたものだったが今では成程これくらいの神経がないと務まらないのだと納得がいく。

父親の言葉なのか警察の人間としてのそれなのか、彼は私にとどめを刺した。

 

「お前は元々この仕事には不向きだ。麗香は私に似ているから適職だと思ったがそれも間違いだった。麗香でさえ続かなかったのをお前が苦労して続ける事はない」

「んな…っ」

「こんな事でさえ看過できないお前は真面目過ぎるのだよ冴子。このままではお前が辛い思いをするだけだ、家庭に入りなさい。それが一番お前の幸せの為だ」

「……」

「で、お相手なんだがな冴子!●●党の若手議員の一番人気でよくテレビにも出ているだろう、あの若者がお前の写真を見せたら是非にと早速明日――――」

流石は総監室。

ドアの造りも防音がしっかりしているのねと感心する。

こっそり扉を閉めて外に出ると面倒な見合い話がシャットダウンされた。

汗狸には悪いけれど、本当に今日は仕事をさぼろうと心に決めた。

 

 

その足で新宿駅東口の伝言板に立つと迷わずチョークを手に取った。

大きくあの3文字を書き、店の名前と時間を。

何をどう依頼したいのか自分でも分からない。

ただ、逢いたかった。

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

高級ホテルのバーを指定したにもかかわらず、槇村は当然のように刑事時代のくたびれた格好そのままに現れた。

手を挙げて彼を呼ぶと遠目でも大きく目を見開いたのが分かった。

 

「お前…野上」

あの夜、私を名前で呼んだ男は私を見るなり立ち尽くしてしまった。

「そんなに驚かなくてもいいじゃない」

失礼な反応に素面じゃなくてよかったと心底思う。

私はもう何杯飲んだか分からないカクテルを飲み干した。

 

「……」

ちょいちょい、と指で呼ぶと狼狽えながらも向い合せの席に槇村が腰を下ろそうとする。

「XYZ。やり方はこれでいいのよね」

「あ、ああ」

「じゃあお願い」

「何だ」

「私を攫って逃げて」

 

どんがらがっしゃん!と古典的な音がする。

周りの色々なものを巻き込みながら槇村はその場に倒れこんだ。

ああ、本当に素面じゃなくてよかった。

 

「んな…の、ののの野上」

「バカね、フリでいいのよ。お見合いさせられそうなの父親に」

「父…総監に?」

「そもそも貴方の所為なんだから。責任とってちょうだい」

「野上」

「まさか相棒の辞職理由を親から聞かされるだなんて思ってもみなかったわ」

「そうか…聞いたのか」

「全部話して。それが依頼」

 

言いにくそうに、それでも誠実に槇村は話し始めた。

法で裁く事の限界を感じ始めた頃にサエバリョウと出会った事。

こんな悪の裁き方があるのだと心を動かされた事。

自分はこのままで良いのか葛藤していた矢先に起こった婦警殉職の件で腹が決まった事。

全てを話し終えるとマティーニを水の様に飲み干した。

「どうしてそれを在職中に話してくれなかったの」

「どうしてって…」

急に槇村は咳き込むと、苦笑いを浮かべて見せた。

「話しちゃあいけないと思った」

「その程度の信頼関係だったって事ね」

「違う、逆だ」

慌てた槇村が咄嗟に私の手を取った。

 

「!」

「俺は野上が警察官でいるからこそ安心して辞めることができたんだ。野上ならこの先どんな事があってもあの組織を変えていってくれると信じたからこそ、俺は裏の世界で出来る事をしようと思えたんだ。決して信頼していないわけじゃない、俺はお前を――――…あ」

 

握った手を慌てて離す槇村の顔は真っ赤だった。きっとそれは私の涙に呼応したんだろう。

顔が熱い。

槇村の目を見ていて解った。

 

彼は私を。

 

分かってはいたけれど確信が欲しかった。

それが得られた今、もう私は。

 

 

「ありがとう。でも…それでも私を連れて行って欲しかった」

「そう言うと思っていた。だから余計言えなかったんだ」

「槇村…」

「野上は真面目だから苦しませてしまうのが分かっていた」

 

かちり、と頭の中で何かが鳴った。

 

ああ、気にしない様にしていたけれど

きっと今日この一言は私にとって禁句なのだ。

 

 

 

「貴方が評価してくれている私はね、槇村」

 

ダメ。

ダメだと分かっている。

けれど。

 

「警察で一番偉い人に今日言われたばかりなのよ?『この仕事には向いていない』って」

「そんな事は―――」

「真面目すぎるんですって、私」

「………!」

自分の失言に気付いた槇村がハッと表情を変え、それからごまかすように俯き加減で眼鏡を抑えた。

 

「明日のお見合いに備えないとね。帰るわ」

「野上、その…本当に行くのか」

「ダメかしら」

「いや、その」

「じゃあ攫いに来てくれる?」

「……お――」

 

俺は、と言いかけた槇村の言葉を遮って私は立ち上がった。

それが私の欲しい一言ではなかったら、私はきっとすぐにでも泣いてしまうから。

 

「おやすみなさい」

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

 

 

「どうして着物で来なかったんだ」

「あら、ごめんなさぁい♪」

ふざけた返事をすると思い切り睨みつけられる。

急なセッティングの見合いに応じたのだから文句を言われる筋合いはないと思うんだけど。

 

大体

『着物で行きなさい、是非にだ!』

と父親から留守電メッセージが入っていた事に気が付いたのは家を出るギリギリの時刻だった。

いつもより若干柔らかい色味のカシュクールワンピースに小ぶりのダイヤがついたネックレスとイヤリングを合わせて遅刻登場した私を見ると父親は盛大な溜息を吐いた。

 

「大体なんだその紫のワンピースは!お前いつもの仕事着と変わらんじゃないか!」

「紫でひとくくりにしないで頂戴、ラベンダー!」

「もう少し女らしい色を着られんのか、あの…あれだ、ピンクとか水色とか!」

「趣味じゃないわねぇ」

「冴子ォ!」

 

「親子の仲がよろしいのね」

仲人の中年女性は間を取り持つように言うと頷きながら笑いかけてきた。

「いやいやお見苦しいところをお見せして申し訳ない」

「こちらこそ、当の本人がまだ到着していないんですもの、申し訳ないわ」

「選挙前ですからな、仕方のない事ですよ」

私の上を行く遅刻に、思わず(もう少し遅刻すればよかったわ)と後悔する。

「こら冴子、どこへ行く」

「ちょっと化粧室へ」

「…早く戻りなさい」

きっと相手はこのまま来ないだろう。

私は化粧室でルージュを引き直すとエレベーターへと向かった。

 

ボタンを押そうとして不意に手首を掴まれる。

 

「!?」

「もうお帰りで?冴子」

「あなた…サエバリョウ!?」

 

 

 

 

 

 

「で、どうして貴方がここにいるのよ」

誰もいない喫煙室にサエバリョウを押し込むと早速胸元に手を伸ばしてくる。

手の甲をきつく抓ると諦めたようにホールドアップして見せる。

本当に最低な男。

「どうしてって…槇ちゃんに頼まれたんだよ」

「――――!」

「『今日冴子の見合いがあるから阻止してきてくれないかー』ってな」

「…何だ、嘘ね」

「あらバレた?」

「槇村がそんな事言うもんですか」

「心では言ってるぜ、多分な」

「……」

「分かってやれよ、不器用なんだよアイツ」

「知ってるわ」

「で?お相手はどこどこぉ?僚ちゃん見定めてあげる」

「何が分かるっていうのよ」

「もっちろん!もっこりの大きさを――――」

「帰るわ」

「ったくお固いな、冴子ちゃんは」

「……」

「なあ冴子」

「何よ!」

「いい情報やるよ」

「え?」

「10分後にこのホテルで銃持って暴れるヤツが出てくるからぁ」

「んな…!」

「まぁ最後まで聞けよ。そん時はこうやって、こう」

サエバリョウは私にしなだれかかると右肩を露わに「うっふん」とウィンクをした。

「で、敵さんがもっこりしたところを…こう!」

「!」

反応が一瞬遅れたその隙にサエバリョウは私の太腿をまさぐってナイフを一本抜きとった。

「いやぁ~、いいフトモモちゃん!」

「離しなさいバカ!第一そんなに間合いを詰められるわけないでしょう!?」

「簡単簡単、そん時ゃ―――」

サエバリョウは自分の胸を揉みしだきながらオカマ口調で吐息を漏らした。

「あっは~ん、胸が苦しいのォ」

「……」

 

本当にバカな男…。

 

私はナイフを回収すると無言で見合いの席へと戻った。

サエバリョウが言う通りの事件が起こるのならば、ここで帰るわけにはいかない。

そしてサエバリョウの言う事が本当ならば、私は期待をして良いのかもしれない。

 

 

 

 





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