「あら」

 

席に戻ってみれば来ないだろうと踏んだ相手が着席している。

仲人から鈴木さんと呼ばれた端正な顔立ちの男はにこやかに握手を求めてきた。

まるで選挙活動の一環の様に。

どんなに間違ったとしても、この男とは結婚話に漕ぎ付く事はない。

 

 

 

 

 

 

…そう思っているのは私だけだったらしい。

10分もしないうちに、とんとん拍子に話は進み(進められたのだ、強引に)後は若い二人で、とお約束の時間が訪れる。

 

「冴子さんは結婚後もお仕事を続けられるのですか?」

ホテル内のラウンジは人もまばらで静穏が心地よかった。さっきまでは。

その場にそぐわない彼の声は、やはり選挙活動のトーンで心底うんざりしてしまう。

「仕事…ねぇ」

辞めてくれなくちゃ困るとでも言いたげな質問。

首を傾げて曖昧に笑って見せると一瞬相手の表情に苛立ちが見えた。

それだけで彼の二面性を察知できる程に露骨な苛立ちだ。

 

「あの冴子さん、僕はできれば貴女に家庭…」

同時にドン、という発砲音と女性従業員の叫び声。

 

(まさか本当に―――!)

 

ラウンジを出て発砲音のしたフロントへ向かうと銃を女性従業員の頭に突きつける男の姿が目に入った。

 

「早く出せよ!このホテルに泊まってんのは分かってんだよ!ぶっ殺してやる!」

「お、お客さま落ち着いて―――」

「うるっせえええ!」

 

人質は一人。

近くには身動きの取れない従業員が3人とチェックイン直後であろう老夫婦が一組。

「お願い殺さないでお願い殺さないで、おねがい…ィああああ」

人質の女性が取り乱し始めた。

(まずいわ、どうにかしないと)

「うるせえ騒ぐんじゃねぇ!」

「いや、殺さないで…いやあ!」

「黙れ!」

「冴子さあん!」

「え」

追いかけてきた見合い相手は空気を読まず、大声を上げながらロビーに駆け込んで来る。

 

 

・・・・・・・・・・・。

 

 

政治家なのにバカなのかしら、と思わず知らんふりをしてしまった。

「あ、れ?冴子さん?」

静まり返るロビーの中、キョロキョロと私を探す見合い相手の顔を見るなり銃を持った男が笑った。

「おいお前、確か…」

「ひっ!」

「鈴木先生よォ、あんたいいところに来てくれたなあ」

来いよ、と言われた見合い相手は即座に

「いやあ、それは!」

と千切れんほどに首を振って愛想笑いをした。

「いいから来いって言ってんだろうがよォ!」

「はひぃッ!」

「……」

見合い相手がやっとで私を目で捉え、その視線は『助けて』と言っている。

けれど今、気になるのはそこじゃない。

さっきから誰かが私の事を監視している。

殺気はない。あくまでも視線を送るのみ。

 

気配を感じて振り返るとソファーで新聞を読んでいる―――読んだフリの男と目が合った。

(サエバリョウ!)

私と視線が合ったサエバリョウは、発砲男を指さして唇を動かした。

『行けよ』

『待って』

まだそのタイミングじゃない。

もう少し発砲男が落ち着いてからの方が…

 

サエバリョウはゆっくり自分の肩に手をやった。

赤いシャツをずり下げ、『うっふん』とウィンク。

そしてもう一度『行けよ』を言った。

それを今ここでやれと!?

「バカ言わないで!」

 

しまった。

つい大声をあげてしまった私を見逃す筈はない。

 

「何だお前!」

案の定発砲男は私に咆哮した。

「……!」

よくもやってくれたわね。

睨みつけた先のサエバリョウは新聞紙を広げ、ご丁寧に私の視界に入らないようにしてくれている。

本当…腹立たしい男!

「ささささ、冴子さあん!」

そしてこの男も腹立たしい。

腰が抜けて動けなくなったらしい、大股開きで座り込んだまま動かない見合い相手に嘆息する。

 

 

 

仕事よりも結婚が幸せだと決めつける男親。

惚れた女を攫いにも来ない男。

無責任に色仕掛けを迫る男。

口は達者なくせに腰が抜けて動けない男。

ついでに発砲男。

何だって私の周りにはロクな男がいないのだろう。

最悪の状況に私は考える事を放棄した。

やってやろうじゃない。

 

 

 

 

 

「ねぇ、人質交換してみない?女の私の方が適役じゃなくて?」

「―――あぁ?」

着物じゃなくて本当によかった。

それでもカシュクールはこんな事をする為に着てきたわけじゃないんだけど。

 

肩を露わにしてわざとブラジャーの肩紐を弛ませ、指を絡めると

「お…ぉ」

露骨に男が動揺した。

目線が舐めまわすように肩と胸元を行ったり来たりしているのを肌で感じる。

(行ける)

 

「ぉ、お前…来い、ちょっとこっちへ来い!そんなに言うなら人質交換だ!」

そんなに言った覚えはないけれど、とにかく発砲男が近づいてきた私の手を掴み、代わりに女性従業員を突き飛ばした。

「あぁン」

引き寄せられてわざと艶っぽい声を上げると生温い鼻息が耳元に吹きかけられる。

「お前物好きな女だな」

興奮した声音でワンピースの胸元を更にはだけさせられ、ついには音を立てて衣服を破られる。

上半身は下着だけの露わな姿になったが、これも仕事と思えば不思議と羞恥心さえ起らなかった。

「あん…そんなに乱暴にされると胸が苦しいわ、さすってちょうだい」

「さ、さすっ!」

さっきから銃口はだらりと下を向いている。

「それからここら辺も、ね」

「おっ」

辛うじて下半身を覆っていたワンピースの裾をたくし上げると期待の声が漏れ、それから其処に仕込まれたナイフを見つけ、

「―――おぉ?」

男は混乱の声を上げた。

「おおお、お前!」

男が我に返り銃を握り直す。

 

「遅かったわね」

 

ナイフで男の上半身の衣服を切り刻み、それから喉元に切先を突きつける。

「そこまでよ。死にたくなければ動かないで」

「………ひっ!」

 

「お前もそこまでにしてくれないか」

「―――!」

男が戦意を失って銃を手離すと同時に私の背中にはコートが掛けられる。

 

「…槇村」

「あまり無茶をするな」

珍しく彼の言葉は怒気を帯びていた。

半裸にひん剥かれた男を

「は~い、あとはこっちでお話しようぜぇ」

訊きたい事があるんでね、とサエバリョウが腕を捻り上げながらエレベーターへと向かって行った。

 

「行こう」

槇村に手を掴まれて思わず胸がときめく。

ときめきだなんて今時女子中学生でも使わないであろう恥ずかしい言葉だとさえ思っていたのに、今はこれしか私の心を形容する術がない。

「ま、待って現場をこのままには―――」

「通報済みだ。後は任せたらいい」

「…私、お見合い中なんだけど」

こう言ったならば手を離すのだろうと。そう思っていた。

なのに

 

「このまま手を離してやれるほど俺は人間ができちゃいないんだ、諦めてくれ」

 

槇村は手を離さなかった。

手を引かれたまま見合い相手の目の前を通り抜ける。

「さささ、冴子さんその男は!?」

「………」

槇村は見合い相手を振り返ると一言だけ告げた。

「随分と恰好いいお姿でしたね、鈴木センセイ」

「ぐぬっ…」

 

「槇村、私―――」

「513号室に何か彼女が着るものを」

彼は私の話を聞こうとはしなかった。

呆然としているコンシェルジュに一言告げるとエレベーターに押し込むように私を乗せた。

 

「部屋…どうして」

「この件で動く為に取っておいた」

「この件――ああ」

「過激派の右翼団体さ。宿泊していた大物を狙っていると情報が入っていた」

「そんな事なら警察に―――…」

 

そうだった。

警察ではすぐに動けない事を知って彼は裏社会に足を踏み入れたのだった。

それにしても

「相変わらず損なお仕事しているのね」

「性分でね。それより野上は何時から宗旨替えしたんだ」

「え」

「そんな仕事をする性格だったかと」

「ああ…あれ」

 

さっきの騒ぎを思い出し、やっとで羞恥心が正常に動き始めた。

脱いだ挙句に見合いはお流れ。顛末を聞いたならば父親兼警視総監は卒倒するかもしれない。

「本当、バカな事しちゃったわ」

「らしくないな」

「もとはと言えばサエバリョウの所為よ!彼が教えたのよ、私に」

「僚が!?…あいつ」

 

エレベーターが5階に着いた。

それから部屋に着くまでの彼は無言で、513号室を開けるなり様が変わった。

 

 

 

 

 

 

「――――冴子」

 

狡い。

無意識だろうか。

今此処で、というタイミングで彼は私の姓でなく名前を呼ぶ。

少しだけ躊躇い、苦しそうに。

 

肩に掛けてもらっていた槇村のコートが床に落ちる。

拾わなければと屈もうとして肩を掴まれる。

やっとでそれが落ちたのではなく脱がされたのだと気付き、指先までもが朱に染まる。

 

だめよ痛い。

痛いのよ。

さっきの発砲男よりも女の扱いがなっちゃいない。

 

背後から乱暴に抱きすくめられながら頭の中でダメ出しをする。

そうでもしていなければ、私の理性は今すぐにでも飛んでしまう。

 

「槇村、」

「すまない」

どれに対しての謝罪なのか。

ただの布地と化していたワンピースはベッドに辿り着く前に爪先を通り抜けていった。

「どうして…」

「昨日の依頼を果たしに来ただけだと言わせてくれ」

 

『私を攫って逃げて』

 

真面目すぎるのはどっちなのよ。

あんな酔っ払いの一言なんか流してしまえばよかったのに。

 

「…逃げられないくせに」

「他に言い訳が思いつかない、許してくれ」

 

狡い、と。

言ってやりたかった一言は唇で塞がれた。

 

押し付けるだけの性急で不器用な口づけなのに、そこで私の理性は機能を失ってしまう。

 

「―――――秀幸」

 

ずっと呼びたかった名を口にすると、呼ばれた男は私をベッドへと、深く沈めてもう一度口づける。

 

「秀幸…ッ」

 

みっともなく、喘ぎにも近い声でもう一度名を呼びながら私は悟った。

きっと抱かれるのはこれが最初で最後なのだろう、と。

 

 

 

どちらからだったのか。箍が外れる音がした。

 

inserted by FC2 system