「なあ冴子、お前お仕事なんだっけ」
「一介の公務員よ。それが何か?」
「ただの公務員がどうしてこんなところでお仕事してるわけ」
「言ったでしょう?私、順調に昇進しているから自由が利くの」
「自由ったっておたくね…ここドコだと思ってんの」
「中国」
「モノは言いようだな…大体なあ!中国ならそれらしくチャイナドレスのフトモモちゃんを拝ませろってんだ!」
「いやぁよ、寒いから」
「ああそうだろうな、だってココは――――」
「ヒマラヤの奥地もいいとこだからな!!!!!!」
深追いはするなと言われていたけれど、麻薬組織の大物はどうしても見逃すことができなかった。
おまけにやってくれた人身売買は槇村の辞職以降、私が一番許せない罪状になっている。
容赦なく追い詰めれば末端は逮捕できたが元締めは国外へと高飛びしてくれた。それを見逃せるほど私はおとなしくできてはいない。
中国の奥へ奥へと頭を丸めて僧院に逃げ込んだ元締めを引きずり出したのは僚で、迎えのヘリを手配しに出て行ったのが槇村だ。
さんざん痛めつけられて白目を剥いた元締めを足枕にしながら僚がぼやく。
「ったく、なんだって中国くんだりまで」
「仕方ないじゃない、逃げちゃったんですもの」
「依頼料に交通費はちゃんと上乗せしてくれるんだろうな!?」
「あら旅行だと思えばいいじゃない」
「金を払う気がないならもっこりで支払ってもらうしかないな」
「え?」
「いざ!さーえーこーちゅわん!」
脳天にそこらにあったレンガを叩きつけると
「あが!」と情けない声で僚が沈む。
「後払い、ね」
「払う気ねえくせに……」
槇村を待つ廃寺の一室には窓ガラスが無く、もうすぐ日が暮れようとしているから肌寒い。
ヘリの調達は間に合っただろうか。
ブルッと身震いすると隣に座っていた僚が手を伸ばしてきた。
「あっためてあげ―――」
「結構」
伸ばした手を抓ってやると、僚はつまらなそうに目を閉じた。
「つまんないの、僚ちゃんふて寝しよっと」
どうぞ、とそれを促すと逆効果だったのか、僚が首をぐるりと向けてきた。目が爛々と輝いているのは下世話な話の前触れだ。
「なあなあ冴子」
「何よ」
「あいつ教えてくれないんだけどさ、槇ちゃんとのもっこりはどうだったぁ?やっぱあいつベッドの中でも真面目なの?なあ」
「さっさと寝なさい」
「はぁい……」
白象のオブジェを振り下ろすと、足枕にしていた元締めもろとも僚が床に沈む。
「それにしても奥手だよなアイツ」
まだ言うか。
キッ、と睨みつけてやったが当の本人は涅槃像さながらのポーズで目を閉じたままだ。口元が困ったように笑っている。
「ガキじゃねぇんだから好きな時に好きなだけ抱いてやりゃあいいのにな。そうだろ?」
「…一時の感情だけで動ければ苦労しないわよお互い。分かるでしょう?」
「いーや全然」
「………」
そういえば、と凝視すると視線を感じたらしく、僚が目を開けた。
「何だよその目」
「僚、あなた恋愛した事ある?」
「んー、あったかなあ」
「そんなこと言ったって、初恋くらいはあったでしょう?学生の頃とか」
「……どうだったか。記憶にないね」
「とぼけちゃって。照れてるの?」
「いんや。ほら、ボキって恋より愛よりもっこりが先ですから」
…納得。
そもそも、この男がまともに学校へ通っていたかも疑わしいわね。
きっとサボタージュの学生生活だったからロクな思い出も無いのだろうと思う。
「わかった!きっと本当の運命の相手に巡り合った事ないのよあなた。だからそんな事簡単に言えるんだわ」
「運命なら目の前に―――痛ぁ!」
この男はどこまでが本気なんだろう。
抓んだその手を高く掲げる。顔を近づけると私は凄んだ。
「貴方に『一生純愛に悩まされる呪い』かけておくわ。あなた、いつか絶対に恋愛で苦労するから見てなさい」
「はん、一生来ないねそんなくだらない人生!」
「そういう人に限って本命には『愛してる』すら言えなかったりするものよ」
「何を!愛してるぜ、冴子~」
「愛じゃないでしょ?私達のは」
「ありゃ、ボキ達三角関係じゃあないの?」
「とぼけないで」
そう、私達の繋がりは愛というよりは限りなく同盟に近い。
国と国が画策しあって形づくるそれのような、脆い一時の絆。
「どうして私の依頼を簡単に受けてくれるのか知っているのよ私」
「そりゃあ冴子がもっこり1発って言ってくれるもんだから」
「建前はね」
あれから私は随分な数の仕事を依頼してきたし僚はそれを面倒だと言いながらも全て受けてくれた。
その中で分かってきた事。
「あなたは私から槇村を奪って裏の世界へ引き込んでしまった事に罪悪感がある。贖罪が半分」
「あとの半分は」
「あなた、槇村を大事にしてくれているのが分かる」
「あん?何だよそれ気持ち悪ィ!」
「槇村が守りたいと思っているものを守ろうとしているだけなのよあなた。いわば義務感」
冴羽僚は一見飄々として本音が見えない男だけど、多分そういう事なのだ。
彼は優しい。
残酷なまでに優しい。
だから私はその優しさに遠慮なく付け込もうと思っている。
「……どうかな、わからんよ」
本音が、垣間見えたような気がした。
「あいつ不思議だよな。クソ真面目なお人好しだけど面白いヤツでさ…ほっとけないんだよな、何か」
「そうね…そうなのよね」
「ああいうヤツがいる世界も悪かねえな…って、そう思うんだわ」
彼は優しい。
残酷なまでに優しい。
だから私はその優しさに遠慮なく付け込もうと思っている。
「私ね、槇村はそう遠くないうちに死ぬだろうと思っているわ」
「――――…」
「あなたもそう思うでしょ?だって彼、あんなにも真っすぐで不器用なんだもの」
あれはいつの事だったか。
ある事件で被疑者が私に銃口を向けた時、槇村は迷わず私の前に飛び出して来た。
弾はあさっての方向へ跳んでいったけれどあの時、私は思ったのだ。
槇村は何時か、そう遠くない何時かきっとこうして死んでしまうのだろうと。
できる事ならば私の前で死んでほしいと、そう思ったのだ。
「敬礼で彼の棺を見送るんだろうと思っていたの…昔から何となく。でも墓場が変わった」
「墓場どころかドブに格下げだ。悪いな」
こうなってしまった以上、きっと槇村は私の目の前で死んではくれないだろうという予感と覚悟はある。
「私とあなたがお互い繋がっている理由はね、きっと槇村を生かしたいが為なのよ」
「随分と俺を買ってくれているんだな」
「そう。だからお願い、彼を―――槇村を少しでも長く生かして」
「冴子…。」
「死なせないでとは言わないから…少しでも長く」
「死なせるかよ、化けて出たら面倒くさそうなヤツを!」
「フフ…頼んだわよ」
「じゃあその依頼受けるから一発をば――――」
「来たみたい」
いいタイミングでヘリの音が近づいてきた。
「ちぇっ、いいとこで邪魔に入りやがって」
「そうだ、一つ確かめたい事があったの」
「あん?」
「私、あなただけは絶対死なないだろうって思ってるんだけど、どう?」
「あー…そうね、今んとこ殺されるつもりも死ぬ予定もないわな」
「でしょ?だけど一応確認」
「何の」
「いやぁね、野暮」
僚の頬に手を当てると小さく息を吹きかける。
のわぁ!と期待に満ちた声で僚がこちらに手を伸ばしてくる。指を絡めてフフ、と笑んで見せるとその手を引いて窓際まで誘う。
「いいのか?槇村に見られちまうぜ」
「問題ないわ」
「大胆だな」
「そう、ね!」
ガシャン!
「ん?ガシャン?」
絡めていた指を振りほどき、手首に手錠。
元々が逃走防止の作りだったのだろう、頑丈な窓格子にもう片方を掛けると
「な…なんのつもりかなぁ冴子くん」
鍵を窓格子の向こうに投げ捨てると、嫌な予感に僚が焦りだす。
「じゃ、日本で逢いましょ」
「ちょ、タンマ―――――」
「絶対生きて帰るって信じてる♪」
「す、すわ…冴子ぉぉぉぉ!」
「すまん、遅くなった―――…何をしているんだ、お前は?」
「槇村助けろ、冴子が急に…!」
「だって私の事、キズモノにしようとしたんですもの」
「…僚」
「おま、冴子!」
よよ…とか弱く見せかけてしな垂れかかると、槇村は素直に視線で僚を責めだした。
「バカ、誤解だ槇村!」
「って事でバーイ、僚」
「バーイじゃねえだろ、俺も乗せていけ!」
「時間が無い、急ぐぞ」
「ええ。被疑者はそこに」
「わかった行こう」
「だからぁ…俺も乗せてってくださぁ~い!」
ヘリに乗り込む寸前、こンの女狐~!とふざけたしわがれ声の絶叫が聞こえてきた。
うん、大丈夫みたい。
あなたは絶対に死なない。
だからお願い。貴方は槇村を守って。
槇村を少しでも長く生かして。
お願い。
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そんな風に願った事があったから、彼の死は意外にも取り乱すことなく受け入れる事ができた。
願いが叶わなかったのだと、ただ思った。
死んだ。
当たり前のようにヒマラヤ奥地から日本まで数日で舞い戻ってきた僚とは違って、槇村は戻らなかった。
シルキイクラブから自宅まで。
都内のたった数十分の距離さえ辿り着けずに彼は死んだ。
願いは 叶わなかった。