「遅かったみたいよ」
「!?」
香にも、そして立木さゆりも同じく怪我もなければ動揺も見られない。
だったら一体何が遅かったのか、と訊こうとしてハッと気づく。
怪我よりもたちの悪い事実。
立木さゆりは俺達が到着するなり射貫くように睨み付ける。目が血走っていた。
−*−*−*−*−*−*−*−*−
「さゆりさん、夕ご飯何にします?」
「とても食べられそうにないの、遠慮させてもらうわ」
「でも力出ないわよ」
「いりません」
「こういう時こそちゃんと食べなくちゃ」
「放っておいて頂戴…」
「?」
香は首を傾げた。
僚がすかさず口を挟む。
「お前ね、普通のもっこりちゃんなら誘拐されればこうなるのよ」
「悪ぅございましたね普通じゃなくて!」
「ま、自覚あるだけいいけどな〜」
「何を!」
「ああもう、うるさいっ!」
「はひっ!?」
後部座席の僚と香は手を取り合ってビクリと跳ね上がった。
「槇村さん」
「は……はぁい」
おずおずと手を挙げる香を振り返らず、彼女は運転席の俺を見た。
「貴女じゃなくてお兄さん。帰ったらお話があります。お時間を」
「は、はい…」
何だか俺まで怒られた気になり、声が上擦った。
約束通り二人きりになり、屋上の扉を閉めると彼女は切り出した。
「あの子、躊躇いもなく目の前に転がってきた銃を手にしたんです」
「………」
「撃つ前に冴羽さんが助けてくれたのだけど」
「……そうでしたか」
「あの子が人を殺すんじゃないかと思った時、ものすごく怖かったんです」
「…申し訳ない」
「怖かった…だから、だから……」
綺麗な体のうちに、ニューヨークへ連れて行きたかった。
そう言って彼女は泣き出した。
俺自身、香の生きる道を考えなかった事はない。
普通の女としての幸せを手に入れて欲しいと思うのは今も変わらない。
だが、願うばかりで何一つ香の為になる事はしちゃいない。
願うと共にこうして行動に移している彼女こそが正解だとさえ思う。
俺は――――――
「立木さん」
「はい」
「貴女からこれを渡してやってはくれないだろうか」
俺は懐から指輪の入った箱を取り出した。
「これは母から私たちへの」
「やはりそうでしたか。………俺はどういった経緯でこの指輪が香の手元に残ったのかを知らない。どんな意味が込められているのかも分からない。しかし大事な物だろうと」
「……ええ」
「俺はこの指輪と共に真実を告げる筈だった。香が20歳の誕生日を迎えたその日に。だができなかった」
「何故?」
「死にかけたんですよ。おかげで告白のタイミングを失いました…ハハ」
「………」
「あいつは俺と血の繋がりが無いことは知っています。だから後は貴女が真実を――――」
「伝えました」
「………」
「あの子にはちゃんと伝えたんです、監禁されている時」
「それで……あいつは…何と……」
勇気の要る質問だった。
途切れ途切れに尋ねる俺を見て立木さゆりは苦笑を浮かべた。
「笑われました」
「わら……?」
「『さすがは編集長だ 緊張をほぐすためにそんな嘘を吐かなくてもいい 心配するな 』って。まるで相手にしてもらえなかったんです」
「立木さん」
「いいんです。私……」
うっすら涙が浮かんでいたが、立木さゆりは俺に背を向けると力のこもった声を出した。
「NYに帰ります、少し早いけど」
「そうですか…」
「貴方達のおかげでずっと私を付け狙っていた輩も捕まったし……そうそうあの組長、アメリカマフィアとも密接に繋がっていたから困っていたのよ!」
「…立木さん」
「それにしても冴羽さんって何者?あの銃さばきはまるで映画のようだったわ」
「立木さん」
「大丈夫です、誰にも口外しませんから」
「聞いてください立木さん」
「いいんです、もう何も言わないでください」
「………」
「さっき部下にチケットを取らせました。本来の目的の打ち合わせも終わった事ですし、明日発ちます」
お世話になりました。
立木さゆりは涙を拭うと振り返る。そして深々と頭を下げた。
「これからも香の事、よろしくお願いします」
「―――――」
こんな時、何と答えるのが正しいのだろう。
結局、言葉を探すうちに立木さゆりは屋上を後にしてしまった。
−*−*−*−*−*−*−*−
空港へ見送りに行くぞと声を掛けると「今日は予定があるんだ」と返事が返ってきた。
「お前…もう立木さんと会えるのもこれが最後だっていうのに…」
「大げさねアニキは。依頼人とのお別れなんてもう何度も経験したから慣れたわよ」
「…………まあ…そうなんだが…」
本当にこいつは彼女の話を真に受けていなかったのかとがっかりする。
が、心のどこかで喜んでいる自分がいる。情けない話だ。
「あたしよりもさゆりさんとの別れを惜しむもっこり男でも連れていけば?」
「…確かに」
振り返ればこちらに向けた背が震えている相棒。
おまけに
「ぐっ……」
声を抑えて泣いている――――と思いきや
「ぐっふふふふ……もっこりキャビンアテンダントがいっぱい……!」
「……一人で行く事にするかな」
「それが賢明だわ…」
「残念だなあ、こんなもっこり美女が日本から姿を消してしまうなんて」
「フフ、大げさね冴羽さん」
「どお?いっその事香と交換ってのは」
処は変わって空港のロビー。
立木さゆりの肩を抱きながら僚は俺を振り返る。
が、彼女は先日まで向けていた僚への殺気をまるで出そうとはしなかった。
それどころか
「そんな事したら困るのは貴方自身だわ」
笑顔でそう切り返した。
「………」
二の句が継げない僚は困ったように俺を見た。(自業自得だ)
仕方ない。助け船を出してやるか。
俺は彼女に頭を下げた。
「それにしても申し訳ない。見送りくらいすればいいんだが香のやつ…」
「いいえ。来ないと思っていたから」
「?」
「あの子らしい」
俯きながら立木さゆりが笑う。
俺は慌てた。
「いや、本当は思いやりのある妹で―――」
「フフ、大丈夫よ『お兄さん』。そんな事分かってる」
「……え」
「きっとこれはあの子の優しさなのね。見送りに来てしまえば私が揺らいでしまうもの…未練を残さないようにわざと来ないでくれたんだわ」
「立木さん…」
「ほんの少しの間だったけど、あの子が真っ直ぐに育っている事が分かって幸せでした。感謝します」
差し出された手。
ゆっくり握手を交わす。
彼女の手は小刻みに震えていた。
泣き出したいだろうに、感情の抑え方はまるで香そのものだった。
「これからも香をよろしく」
「勿論です」
昨日は言えなかった一言が自然と口をついて出た事に自分でも驚く。
「でもあの子が不幸になるようだったらすぐにでも迎えに行きますのでそのおつもりで」
「肝に銘じておきます」
俺の返事を受け、彼女は満足そうに笑う。
それから―――
「貴方もね、冴羽さん!」
「んなぁ?」
突然振り向かれ、僚が素っ頓狂な声を上げた。
「私は貴方が心配だわ」
立木さゆりから笑顔が消える。
依然ふざけた顔をする僚に顔を近づけ、彼女は僚の胸ぐらを掴んだ。
「貴方に確認しておきたいことがあります」
「な…何かなさゆりちゃん…もっこりのお誘いは―――」
「『相棒の妹』という括りが無ければ貴方は香を愛してくださるのかしら?」
「またまたさゆりちゃんってば。ボキは…」
「貴方の言い訳がどうであれ、いずれ結論は出して頂戴」
「結論たって俺ぁアイツに恋愛感情なんて……」
「貴方に『ひどい人』と言ったのはそこなのよ」
私怒っていますから、と立木さゆりは目を細めた。
僚を折檻する時の香の目によく似ている。
「愛しているのなら誠実に。そうでないなら――――」
「しっかりと手放して。」
言いながら掴んでいた手を離す。
突き放すようなそれに僚が情けなくよろめいた。
「そしてあの子にとって一番良い場所へ導いてあげて」
「……………」
「な〜んてね、冗談よ」
「んな…な…じょうだ……ハハ……」
僚が引きつり笑いを浮かべるが、目も当てられない動揺ぶりだ。
「あの子に何があろうとも、最後はお兄さんにお任せしていきます」
「……」
「ああ、もう行かなくちゃ。じゃあ」
大きな爆弾を落とし、彼女は発っていった。
「は…はは……凄いシト……」
「なあ、僚」
「あん?」
「もし…香が20歳を迎えたあの日…俺が死んでいたら……香はどうなっていたんだろうな?」
「槇村……」
「きっとお前が真っ当な世界へ導いてくれていたんだろうな」
「……」
「そして立木さん……実姉と当たり前の再会をできていたかもしれない」
立木さゆりの存在を冴子から聞かされてから、ずっと頭から離れない問答だった。
彼女が発った今、再び考えてみるとどうしても思考がそこに辿り着く。
それどころか自分の父親のした事が果たして正しい行為だったのかさえも考えてしまう。
「僚……俺は―――」
「槇ちゃん」
「うん?」
「あんま自分の妹なめてると痛い目あうぜ?」
「僚」
「お前さん死んだところであいつの根っこは変わらんよ」
「……」
「あいつなら絶対言うわ。『この街を出る気はない やる事ができた』ってな」
「まさか……」
「だって考えてもみろよ?よりによって頑固でクソ真面目なお前の妹なんだぜ?『この街は私が守る』ぐらい言うだろうさ」
「僚」
「弟の間違いかもしれんけどな」
「……すまない」
「アホらし、帰るぜ」
「僚、出口はそっちじゃ―――」
「車出しておいてくれよ、俺はもっこりCAちゃん探してくるわ」
「…ったく、お前ってヤツは」
本当にお前ってヤツは…僚。