野上麗香が隣に越してから、俺達の生活はドタバタと慌ただしくなった。

獠は毎日地下の穴から夜な夜な通い、

香は荒れに荒れているところを刺激されてさらに荒れ、

冴子はこちらに丸投げときたもんだ。

そんな訳で今回の事件解決には底知れない達成感を感じている。




 

全てが終わり、お疲れ様!とビールで乾杯をしたのは我が家のリビングルームだった。

「お義兄さん」

「その呼び方はよしてくれ」

「じゃあ秀幸さん。本当にありがとうございました」

これで友村刑事の墓前に良い報告ができます。

そう言って麗香は深々と頭を下げた。


友村刑事とは直接の関わりは無かったが、彼は家族思いの真面目な刑事だと聞いていた。

その友村刑事を慕い職を投げ打ってでも真相を知ろうとしたのだ、彼女はきっと見た目の派手さとは真逆の心根を持っているのだろう。そういえば香も言っていた。『私…彼女の事誤解していたみたい』と。

全く、姉妹揃って外見で損をするというか得というか…。



「ねえ、秀幸さんは…在職中黒川とは?」

「ああ、面識はあった。…深町もそうだったが、仲良くはできそうにないと思っていたよ」

「そうよね、秀幸さんならあんなふざけた事はしない、絶対」

「ただ、ヤツに言わせれば同じ穴の何とやら、らしいが」

「何よそれ、許せない!」





-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*





『貴女は一応、事情聴取』

『いや~ん、お姉さま!』

『散らかしたまま帰る気でいたの?呆れた子ね』

冴子が苦笑している麗香の首根っこを掴み、取調室を後にする。

『久しぶりだな槇村』

続いて取調室から出てきた黒川は既に手錠を掛けられていた。それまで項垂れていた黒川は俺の顔を見るなり悪党の顔つきで笑う。警官に早く歩けと背を押されるが、わざわざ俺の前で立ち止まった。

『お前の仕業か。噂は聞いていたが裏稼業に手を染めたというのは本当だったんだな』

『どんな噂かは知らんがあんたのそれは自業自得だ』

『とぼけるな。同じ穴のムジナだろう!同じ人殺し同士助け合おうじゃないか!』

『――――――――――貴様』


俺が動く前に獠が口を開いた。

『お前さんと槇村じゃあ別物だよ』

『どこが違う!お前らも金で動く人殺しじゃあないのか!』



『もう一度同じ事を言おうと思わない事だな。次は額に風穴開くぜ』



塀の中だろうが何だろうが、な。

そう言って黒川の顎を掴んだ獠の表情はこちら側からは窺う事はできなかったが、

黒川の引き攣った声が喉から漏れたのを聞いた。




-*-*-*-*-*-*-*-*-




「そういえば、よく署内で騒がれなかったわよね?秀幸さんだって刑事をしていたのに。知り合いには会わなかったの?」

2缶空けた頃に麗香が訊いた。そういえば、と料理を取りに立ち上がった香も俺を振り返る。

「ああ、会うヤツが皆なぜか俺を『北尾』って呼ぶもんで、そのまま話を合わせたよ」

「へえ、似ている人でもいたのかしら?うまい事いったわね」

「アニキに似ているなんて…!」

「そうそういないわな、こんな辛気臭い顔!」

「…そこの二人、もう酔ったのか」

顔を見合わせて笑いを堪える獠と香を睨む。余計に面白くなったのか、二人はついに声を上げて笑い出した。お前達、この間までトラブルになっていた筈だが…

「おい」

「ごめんごめん」

香が笑いながらキッチンへ向かって行った。


「まったく…お前たちは男子高校生か」

「あー槇ちゃんひっでえの!妹に向かって男子高校生!」

「つるんでくだらない事に大笑いする辺り、どう見たってそうだ」

「戻ってきたら香ちゃんにチクっちゃお」

「いい加減にしろ」

 

「じゃあ話題変えちゃう?」

突然麗香が割って入った。

「?」

「秀幸さん、本当に警察に戻る気はないの?」

「何を突然」

「私、今回の事で冴羽さんの事、好きになっちゃったみたい」

「あら~嬉しい麗香ちゃん。じゃあ早速もっこりいっぱ―――――」

キスをせがもうとした獠の顔を両手で挟み込むと麗香は言った。

「だから私達、夫婦スイーパーにならない?」

「へ?めお…と…?」

すすす…と獠の顔が距離を取っていく。

「私達、公私共に結ばれたら秀幸さんは自由になれるでしょう?秀幸さんは姉さんと刑事をするの。姉さんだってきっとそれを望んでる」

「うん…?」

あまりにも唐突すぎて話が呑み込めない。獠の笑い声がだんだん乾いた音に変わっていく。

「香さんだってまだ若いんだから危険な目に遭わせる事ないでしょう?みんなにとって良い条件だと思うんだけど!」

「思うんだけど、ってあのね…」

「それともなあに?秀幸さんは姉さんの事、愛していないの?」

「いや、俺は……」

「冴羽さんは香さんの事を愛しているから手放したくないとか?」

「いやだなあ麗香ちゃん、なはははは…」




・・・・・・・・・・・・。




「あらみんな、どうしたの?急にお通夜みたいになっちゃって」

丁度良いタイミングで戻ってきた香がテーブルに料理を並べながら不思議そうな顔をする。

「返す言葉もないみたいよ」

事も無げに返事をしながら麗香が3本目の缶を開けた。そして

「うわあ、美味しそう!」

香がテーブルに置いた料理にも手を伸ばす。

「これ全部、香さんが作ったの?」

「え?ええ。お口に合うかどうか分からないけれど」

「すっごお~い!」

ローストビーフを一口齧ると麗香は納得したように頷いた。

「冴羽さん」

「は、はひ…?」

何でしょう、と笑う獠の顔はあまりにも情けない。

「私、ここまで料理上手じゃないけれど貴方と夫婦パートナーになれるならがんばっちゃう!だから本当に考えてみない?」

話の呑み込めていないが何となくの嫌な予感を察した香が「…何を考えるの?」と訊いた。

「香さんとパートナー交換」

「んな…なんですって?」

香のこめかみがひくりと動いた。こりゃあ来るぞ。

「私、夫婦パートナーとして夜もがんばっちゃう♪」

「よ、夜う!?」

麗香が火に油を注いでいく。

「それとも他に『心に決めた人』でもいるのかしら?」

「愛人…」

香が呟く。ダメだ、限界だ。

俺は諦めて目を瞑り歯を食いしばる。今からここは焼け野原になるだろう。






「―――――――心に決めた人ってのはいないが」


不意に肩を組まれる感覚に目を開く。気付けば獠が俺と香の肩を抱き




「『心が決めたパートナー』ってのがいるんだ、悪いね」

そう言って笑った。







「…………」

 

「……な~んてね…はは…これじゃダメ…?」

誰も何も言わない。沈黙に耐え切れず、獠が情けない声でごまかし笑いをする。



「っ…ふふふ…」

「ん?」

「ふふふ…あはははは!」

急に麗香が腹を抱えて笑い出した。

「冗談よ!姉さんからちゃんと聞いていたもの、『あの人達は貴女が何か言ったところで簡単にどうにかなる関係じゃない』って。ちょっとからかってみたくなっただけ!ああ面白いんだから!」

「じょ…冗談…そほれすか…」

肩を抱く力が一気に緩んでいく。俺は獠の腕から逃れるとずれ落ちていた眼鏡を持ち上げる。

「今日は本当にありがとう。依頼料はまた改めて持ってくる事にするわ」

麗香が立ち上がりざまにビールを一缶手に取った。

「いただいていくわね」

「あ、ああ…もう帰…」

「そうだ、冴羽さんへのあれは冗談だけど姉さんの事はもうちょっと真剣に考えてね、お義兄さま!」

「ん、な――――」

「じゃあね、ごちそうさま~!か、お、り、さん♪」


そうだ香。

麗香が部屋を出ていくと同時に香を振り返る。



「―――――――香」

香は肩を抱かれたまま泣いていた。

顔を真っ赤にして、唇を噛みしめて、嗚咽が漏れないように。

俺の表情を見た獠が慌てて香を覗き込む。

「ん、んなっ、かおりっ!?」

「…嬉しい…」

「あ、いやさっきのは麗香をだな―――――――」

「嘘でも嬉しい…あんたに愛人がいたって、カレーを食べてくれなくたって…もう…」

「いやあのな、愛人なんか…」

「アニキとあんたと…ずっとパートナーとして一緒にいられるならもう…何もいらない…!」

「………」

香がボロボロと涙をこぼしながら獠にしがみつくと、赤いシャツに涙の染みが広がっていく。


「槇ちゃん」

「自分の言質に責任をとれ、責任を」

俺に助けを求める視線を送る獠に素っ気なく言い放つ。



 

獠。

お前気持ちが揺らいでいるだろう。

さっきのがお前の本心だ。

本当ならば、もっと妹の行く先を考えてやらないといけないんだろうが今の俺には獠の気持ちが手に取るように解る。俺もお前と同族の『揺らぐ狡い男』だから。

立木さゆりの残していった重い一言


『愛しているのなら誠実に そうでないのなら しっかりと手放して』


全く同じ事を考えているのだろう、獠が俺を見上げると言った。

「……できる?お前」

「さあな」

もうお前を責める権利も何もあったもんじゃない。

お互い誠実にいこうじゃないか。

今はそう思うんだが…きっと明日にはまた違う思いが鎌首もたげてくるんだろうな。

本当に狡い男達だよ、俺達は。

 

 

 


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