二択なんだそうだ。

一人は、収入も将来性も安定している容姿端麗のいわゆるイケメン。しかしバツイチ子持ち。

もう一人は、収入も将来性も先が見えない綱渡り商売で女好き。でも死ぬ程惚れているし惚れられたい。

さあ、どっち?

 

 

 

 

 

 

「危なかった…」

げっそりとした青白い顔で香が呟いた。岩井善美の件が片付いた後の話だ。

 

「もうちょっとで殺人幇助するところだった!」

何があったんだと訊けば

 

空の注射器で注射しようとするわ、

点滴間違えるわ、

手術予定の患者を取り違えそうになるわ…。

 

指折り数える岩井善美のミスは看護師としては致命的なものばかりで聞いているこちらの血の気も引いていく。

「指導役というより後輩だな」

意外な事に香は首を横に振った。

「ううん、でもやっぱり先輩かな。すごくこの仕事が好きで、誇りをもってるんだなって…。そういうところは尊敬しちゃう」

「香…」

「今月末で退職するんだって、彼女」

「高塚秀司が看護学校を創設するからそこで勉強し直すとは聞いたが…学校が認可されるのはまだ先の話じゃないか?」

「それまで介護の専門学校に通うんだって。高塚さんみたいな老人をちゃんとケアできるようにって」

「……いい先輩だな、本当に」

「でしょ?――――あ!」

 

何気なく窓の外に目をやった香が小さな声を上げた。

視線の先には第二病棟がある。

屋上には小さな人影があって香はそれが誰なのかを知っている風だった。

「まゆ子ちゃんったらもう!」

「まゆ子…?」

「目が見えないんだけど好奇心旺盛な子でね…こないだもドアにぶつかって怪我したから『歩き回っているの見かけたら連れ戻せ』ってこっちの病棟にも通達きてるの。行ってくる!」

慌ただしくナースシューズを鳴らす姿はすっかり看護師だな。

事件も片付いて、今日でこの病院とはおさらばだってのに。名残惜しいが仕方ない。

 

さて香は何分であの屋上に辿り着くのだろうかとぼんやり考えながら屋上のまゆ子ちゃんとやらを観察した。

手探りで物干し台に触れ、それから金網フェンスに辿り着き、ゆっくりとフェンス沿いを伝い歩いていく。

屋上には彼女以外誰もいない。

「…ん?」

 

いや、一人いる。

黒づくめの帽子を深く被った男。

「何だ…?」

どんどん、少女との距離をつめていく。

嫌な予感がする。

 

「―――!」

 

自分も向かおうかと思ったその時、香の姿が見えた。わが妹ながら瞬足俊敏だ。

颯爽と現れると男が静かに消えた。男の存在に気付いていないのか香がまゆ子の腕を掴み、まゆ子は頭を掻いている。

二人は仲良く屋上を後にした。

 

「…何だったんだ、今のは…?」

「狙われてるな、ありゃあ」

「僚!」

いつの間にか背後のベッドに腰かけていた僚は、香が俺に差し入れした筈のバナナの皮を剥いていた。

「お前もやっぱりそう見えたか?」

「逆側のフェンスから歩いてたら今頃落とされてただろ、ラッキーな子だぁね」

あのまま香が来る前にフェンスに沿ってこちらの病棟から見えない処を歩いていたら…

第一病棟の裏手は職員駐車場。昼間で休憩時間が終わったであろう今、出入りはほとんど無い。

ふぉふぉふぃふ、と空気の漏れるような声を聴いた。

バナナを丸ごとほおばった僚に『どこ行く』と訊かれ俺は答えた。

「親御さんに身辺注意するよう伝えてくる」

「バカ、誰が信じるかよガキが狙われてるなんざ!」

「だが、」

「お人よしがすぎるぜ槇ちゃん。お前がお節介する時は決まってろくでもない事が起こるんだ、勘弁してくれよ!」

「失礼な―――」

 

「槇村さんという方の病室は此処ですか!?」

 

バン、とドアを足で開ける男が現れた。

手が空いていないのは抱きかかえているからだ、香を。

―――香を!?

 

顔を真っ赤にして俺を見た香は少し遅れて僚の存在に気付く。

「…足、捻っちゃった―――…って、僚ぉ!?」

「あ、香さん暴れないで」

「おおお、降ろしてください!もう大丈夫なので!」

慌てて男の腕の中から逃れた香はバランスを崩して倒れそうになり、また男は香を胸に抱き寄せる。

 

「!?!?!?」

 

香の頭に噴火した火山が見えた気がする。

足を捻ったのならば、まあ仕方ないだろう。

手を貸そうとしながらちらりと振り返った僚の顔は気味の悪い程にしらけた無表情。

顔色ひとつ変えぬまま、僚は口いっぱいに球体そのままのメロンを詰め込んだ。

勿論呑み込める筈もない皮つきのそれはどうしたって笑えない。

 

「それよりアニキ、僚。まゆ子ちゃん狙われてる。階段で誰かが彼女を突き落とそうとしたの。助けたい」

 

俺がお節介する時は決まってろくでもない事が起こる。まさにこれがそうなんだろう。

香に肩を貸しながら、男に尋ねた。

 

「失礼ですが貴方は?」

「まゆ子の父です。あの…貴方達は一体…?」

 

 

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

 

 

「浦上まゆ子、2年前の交通事故で視力を失っている。おそらく犯人は殺人現場を目撃されたと思い込んで彼女を狙っているようだ」

「かーわいそ」

「あからさまにやる気の無い声を出すな」

「だあってぇ、もっこりちゃんの依頼じゃねえもん」

「我慢しろ、香の取ってきた仕事だ」

「あいつ仕事じゃなくて単に浦上のパパさんが好みだったんだろ」

「まさか!」

「おい槇村。お前、妹の男の好みくらい知っとけな」

 

好み。

さてそういえば香の好みのタイプは?

 

「あいつ絶対あーいう線の細いの好きだぜ。だがそういういう男に限って短小ふにゃもっこだ。持続力もない!」

腕組みをしてうんうん、と頷く僚はふざけてはいるが言っている事はあながち間違いではないのかもしれない。(もっこりの話ではなく)

浦上と話をする香は常に声がいつもより高く、頬はほんのりバラ色だ。

香の強い希望で、浦上親子は手術までの4日間をこのアパートで過ごす事となった。

何度か香に連れ戻された事があったらしい、まゆ子ちゃんは臆することなく

「香さんと一緒に過ごせるなんて夢みたい!」

と大はしゃぎだった。

目が見えない事をハンデとは思わず、身の回りの事は進んでこなす。

視覚に頼らない分空気を読み、さっさと次の行動を考えて実行する。

母親を亡くして辛いだろうによくできた子だ。

―――ただひとつ、気になる行動を除いては。

 

この子は時々、とんでもない爆弾を投下する。

 

「いっただきまーす!うわあ、いい匂い」

「まゆ子ちゃん、ハンバーグ好きなんでしょう?おかわりもあるからね。はい、浦上さんもどうぞ」

「ありがとうございます」

「……」

「?どうしたまゆ子」

「んふふ~…何かママみたいだなあって」

「こ、こらまゆ子!すいません香さん」

「あ、いえ、その…大丈夫で…す」

「おい香ィ、俺らのメシまだあ?」

「あああ、あんたね客人じゃないんだからご飯くらい自分でよそえ!」

 

「本当に?本当に香さんの部屋で寝てもいいの?」

「勿論!あたしはアニキの部屋にお邪魔するから」

「すみません香さん」

お、お気になさらないでください!大丈夫なので」

「香さん、いっその事わたしとパパと3人で寝るのはどう?」

「まっ、まゆ子ちゃん!?」

「まゆ子、いいから早く風呂に入ってきなさい!」

「パパさん襲うなよ?香」

「あ、あんた子どもの前で何てこと言うのよ!」

 

 

本日最後の爆撃は香の不在と父親の入浴中を狙った、なかなかの重爆撃機からだった。

「ねえ香さんのお兄さん、この中で一番香さんっぽいと思うのってどれ?」

「?」

テレビには今何かと話題で俺さえもがそのグループ名を知っている程の知名度を持つ5人組アイドル。

目が見えなくなる以前からこのグループのファンなのだとまゆ子ちゃんは言った。

「あたし見えないから担当カラーで答えて」

そういえば彼女達は担当カラーなるものがあった。

「うーん…黄色、か?」

黄色の衣装を着た少女は他の4人がスカートを履く中、一人だけショートパンツ、皆が肩より長い髪の中、一人だけショートカット。

カメラを向けられると他がウィンクやら投げキッスをする中、一人だけ白い歯を見せてニカっと笑い、指でピストルのポーズを作る。

それから「ばん!」とカメラを撃ちぬいた。

「やっぱりねぇ。」

まゆ子ちゃんは返事を聞くとソファーに体育座りをして顔を埋める。横顔が笑っていた。

 

「お風呂、お先にいただきました」

廊下で香とすれ違ったらしい父親の声が聞こえてくると彼女は言った。

「覚えておいてね」

「どういう事だい?」

「パパね、色っぽい美人なお姉さんより元気でかっこいい女の人の方がタイプなの。ママもそうだった」

「へ…」

「パパは絶対香さんの事を好きだと思うの」

 

浦上さんが?

香を?

 

ぽかんとしているうちにドアが開き、濡れた髪を拭きながら浦上さんが入ってきた。

 

「まゆ子、先に寝ていなさいと言っただろう」

「それよりパパ、この5人の中ならパパは誰とつきあいたい?」

「つきあ―――お前はまったく」

「いいから!一番かわいいなって思う人でもいいから!」

「うーん、付き合う云々は別として、黄色の子は元気でいいね」

ね?と背中をツンツン突いてくるまゆ子ちゃん。

 

「うーん、僚ちゃんこの子かなぁ」

 

急にテレビの前に僚が現れ、親子はぎょっとした顔で叫んだ。

「冴羽さん!」

画面の中心に陣取り、指さしたのはメンバー5人ではなく、音楽番組のアシスタントをしているグラマーな女優だった。

「冴羽さんには聞いてないの!あっち行って!」

「んな邪険にする事ぁないだろお!?」

 

 

母親がいない寂しさを香で紛らわせているのか、それとも本心なのか。

彼女は、とかく自分の父親と香をくっつけようとする。

香は翻弄されて赤面する。

4日間これが続くのかと思うと

 

「地獄だ……」

 

俺ではない。僚の一言だ。

珍しく僚が俺の部屋に押しかけ愚痴を吐き始めた。(いつもは逆の筈だ)

 

「もう僚ちゃん限界」

「まだ初日だ」

「ったって、ガキ一人の所為で俺ぁさんざん迷惑かけられてるんだぞ!」

「迷惑って…どんな」

「リビングでもっこり雑誌が読めん。もっこりビデオもだ!」

「子どもがいない時でもそれはやめてくれ、香がいるんだ」

「そうだよ香!あいつも浦上パパが来てからうるせえっての何の」

「……」

 

俺は色恋に疎い、自他共に認める、いわゆる鈍感男だ。

そんな俺にでもわかる。これはきっと。

 

「いつも通りがさつにハンマー振り回してりゃあいいものを、猫かぶっちゃってまあ―――」

「僚、もしかして」

「あん?」

「お前もしかして…妬いてるのか?」

「んなっ、何でそうなるんだよ!」

「いや…何となくそんな気がしてな」

「ばあか!大間違いだよ」

いや、あながち間違いでもないと思う。

浦上親子と香の会話には、必ず混ぜ返す僚の姿があった。

 

「なあ槇ちゃん。浦上パパってやけにチャラついたスーツ着てるけど何のお仕事してるわけ?」

「テレビ局のプロデューサーだそうだ。時間が不規則だからまゆ子ちゃんといられる時間はまちまちらしい」

「…ふぅん」

「どうした?」

「いや、立派なカタギさんだと思って!」

「……?」

「案外あのガキんちょの狙い通りになったりしてな」

「まさか」

 

そのまさかが4日間の間で起こってしまった。

信じられるか?

 

 

 

「ねえアニキどうしよう…。あたし…浦上さんに告白された」

 

「槇村。お前は浦上派ってワケやね」

 

 

 

 

俺はパートナーと妹をいっぺんに失おうとしている…らしい。

 

 

 

 

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