「おはようお兄さん!」

浦上まゆ子の発するその言葉には年上男性に使う呼称というよりは「義兄」のニュアンスが含まれているようでならない。

そして今日はやけに甘ったるい呼び方で、それが嫌な予感でしかない。

 

「お兄さん、私お願いがあるんだけど」

「…何だいまゆ子ちゃん」

「あのね、香さんの事を借りたいの!」

「借りるって…どうして」

「勿論!パパとラブラブデート大作戦のため!」

ポニーテールが軽快に揺れる。自分の作戦名に「いや~ん!」と照れながらまゆ子ちゃんは続ける。

「それでねお兄さん!この作戦にはお兄さんの協力が必要なの!」

「俺が?」

「作戦はこうよ!今日の検診、パパの他にお兄さんが付き添ってくれるって言ったでしょう?そこに香さんも連れていくの。口実は私が考えるわ。そして検診が終わったあと、私とお兄さんはこっそり先に帰って二人にデートをさせるってわけ」

「……」

はは…子供らしいというべきか。

安直な作戦にまゆ子ちゃんも年相応だったかと安心するが…いや、今はそれどころじゃないな。

「あらお兄さんは作戦に不満?」

「いや、その前に君のお父さんの気持ちを確認した方がいい。俺は君のお父さんが香の事を恋愛対象として好きだとは思えない」

「えーっ、絶対好きに決まってる!私これだけは自信あるの」

「…はは」

「まだ不満そう。あ、もしかしてお兄さん、パパじゃなくて冴羽さんと香さんが結婚したらいいと思ってる?」

「ええっ!?」

「だって冴羽さんとお兄さんって仲良しでお仕事仲間なんでしょう?冴羽さんの方が安心?」

「いやそういう…」

「でもうちのパパ、高収入よ。ママが生きていた頃よく言ってたもん『カイショウがある』って」

「か…甲斐性…ね」

「パパのテレビ局、ヒット番組をたくさん飛ばしてて景気がいいんですって。香さん一生ロトーに迷わないわ!」

「路頭に…はは…」

…やっぱり話す事が子供らしくないな…。

反応に困っているとまゆ子ちゃんがチャンスとばかりにまくしたてる。

「それに冴羽さんっていつもお仕事さぼって寝てばかり!今日だって昼まで寝るから起こすなって言ってたんでしょ?そんなだらしがない人より絶対パパの方がおススメよ。カッコいいし、おしゃれだし!」

子どもから見たらそうなのかもしれないな。

表面だけの僚を見てしまえば、唯々だらけた毎日を送ってるようにしか見えないのかもしれない。

だがこの子相手にそうじゃないんだ、昨夜の僚は君を殺そうとしている相手をつきとめる為に情報収集をしていたんだ…なんて口が裂けても言えやしない。

「それともパパがコブツキだから?ねえそうなの?」

「コブって…落ち着くんだまゆ子ちゃん」

「落ち着けない、無理!お兄さんは冴羽さんとうちのパパならどっちが香さんに似合うと思ってるの?答えて!」

「いや…あの」

「答えて!」

半開きのドアを見ながら此処から逃げてしまおうかと考えているとまゆ子ちゃんは畳みかけてくる。

「お兄さん、早く!」

 

「パパ!立派なのはパパだな、うん!君のパパは立派だ!」

「でしょう?それじゃあ―――」

「……ん?」

気のせいか?今半開きのドアが僅かに閉じた様な…

 

「しかしまゆ子ちゃん。香の気持ちが一番じゃないか?」

「…あ」

「わかった、今日一日は君の作戦に付き合おう。それで香と君のパパがそういうつもりなら俺は反対しないし、そうでなければ君は諦めるんだ。いいね?」

「……うん。絶対大丈夫」

少しだけ不安そうに眉が上下するが、それでもまゆ子ちゃんは絶対だと断言した。

俺の読みでは恋愛感情は絶対に無いと思ったが、これは本当にもしかしてもしかするのかもしれない。

この作戦、安請け合いするべきじゃなかったかな…。

 

がんばるぞ、と握り拳を作るまゆ子ちゃんを見ながら考えていると足音が近づいてきた。香だ。

「おはようアニキ…あらまゆ子ちゃん、もう起きてたの?」

「おはよう香さん!今日もいい天気ね!」

「え?あ、そうね…」

「楽しみ~!」

「検診、そんなに楽しみなの」

香が僅かに首を傾げる。

「うん、とっても!それでね香さん、検診に香さんも一緒に行って欲しいの!」

「え?あたしが?でも今日はアニキが――――」

「あのね、検診の帰りに手術で入院する時の下着を買いたいの。でもパパやお兄さんに選んでもらうのもちょっと恥ずかしくて…」

「ああ、そういう事なら喜んで」

「やったあ~!!香さんだぁい好き!」

末恐ろしい子供だ。

違和感の無い尤もらしい理由に脱帽してしまう。

 

かくして『パパとラブラブデート大作戦』とやらは決行へと漕ぎ付いた。

僚は昼まで枕とお友達だ。

 

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

 

検診後、打ち合わせ通り滝川という看護師に言付けると物陰に身を隠す。

 

「浦上さん」

「ああ滝川さん」

「まゆ子ちゃんから伝言を預かって…『お兄さんと先に帰ります。パパは香さんと一緒に下着を買いに行ってきてからお仕事へ向かってください』ですって」

「ええっ!?アニキったらいつの間に!?」

「まゆ子のやつ…」

「うちのアニキが勝手に…すみません浦上さん」

「こちらこそ申し訳ない。きっとまゆ子が無理を言ったんでしょう。そうだ、せっかくだから買い物に付き合って頂けませんか?それが終わったらお礼にお茶でも」

「え…あ、あの、じゃあ、私でよければ!」

 

しどろもどろになりながら、赤面した香が浦上さんに肩を抱かれて出口へと向かって行く。

 

「……。」

 

俺は一体何をやっているんだろう。

 

「…帰るとするか」

「あらだめよお兄さん、二人がいい感じになるか確かめなくちゃ!」

いとも簡単に大のおとなを引きずってまゆ子ちゃんは尾行を始める。

誰か助けてくれと俺は祈った。

 

 

 

 

 

 

二人は百貨店へ行き、香が女児の下着や洋服を選ぶ。

せっかくだからと香が支払いしようとするが、下着を選ぶ時には距離を取っていた浦上さんが会計になるとスマートに現れて香に何かを一言伝える。

香は頬を赤らめて引き下がり、浦上さんがカードで手早く支払いを済ませる。

 

それから百貨店内のパーラーに入ると飲み物をオーダー。

ちらりとメニューに目をやった香を見逃していなかったらしい、暫くして飲み物を運んできた店員にフルーツパフェを指さしてオーダーする。

香は慌てて手を横に何度も振るが浦上さんはそれを笑って何かを言う。

香は照れたように笑うと軽く頭を下げた。

 

 

「ねえ、どうなのお兄さん!二人の様子を教えてよ!」

「……」

 

言いたくない。

良い雰囲気なのだ、と。

 

浦上さんのエスコートは嫌味が無い。慣れた感じが鼻につくわけでもない。

本当に誠実でスマートで、香の性格を見抜いた上でちゃんと一人の女性として接してくれている。

これなら香を安心して任せられるのでは…とあらぬ事を考えそうになってしまう自分が情けない。

 

…いかん。いよいよ空しくなってきたぞ。

 

「なあ、帰ろうまゆ子ちゃん」

「い・や・よ!様子教えてったら!どうなの香さんとパパは!」

「香 今コーヒーを飲んだ…一口飲んで皿にもどした…パパも飲んだ…パパは紅茶だ…多分ダージリンだ…」

「そんなことどーでもいいの!ちゃんと……って、その声もしかして冴羽さん!?」

「僚!?」

 

驚いて振り返ると、そこには仏頂面で店内を覗き込む僚の姿。

 

「おまえ…何で此処に」

「そらこっちの台詞。なぁにしてんのお前。出歯亀?」

「邪魔しないで冴羽さん!これはわたしとお兄さんの共同作戦なんだからぁ!」

「ま、まゆ子ちゃん!?」

 

いつの間に共同作戦になったんだ、と慌ててまゆ子ちゃんを見ると彼女は敵を見るような目つきで僚の声がする方を睨んでいる。

 

「私、絶対にパパと香さんに結婚して欲しいの!お兄さんだって冴羽さんよりパパの方が立派だって!香さんに似合うって言ったもん!」

「いや立派とは言ったが似合うのどうこうまでは―――」

「取らないで、香さんの事取らないでよ!」

「ちょっと待つんだまゆ子ちゃん、俺は」

 

「そうだな」

「え」

 

「君のパパさん立派よ、立派。あーんな男みたいな女にも優しくしてやれるんだからさ!」

「僚…?」

「俺ぁ無理無理!一生かかっても無理だわ!もっこりちゃんしか興味ないんだもん!…って事でお好きにやってつかぁさい!」

「僚、お前――――」

「昨夜の調べモノの件で耳に入れておこうかと思った事があったんだが…槇ちゃんも忙しいようだし?後にするわ」

「待て僚、誤解だ」

「誤解?違うだろ」

「俺は」

 

「槇村。お前は浦上派ってワケやね。大正解かもな、それ」

「!」

 

動けない。

違う。

違うんだ僚、話を聞いてくれ

 

「あっちです!あの人が私のお尻を!」

「のわあ!」

背後から警備員とインフォメーションコーナーの受付嬢が走ってくると、慌てて僚が逃げ出した。

「りょ―――」

「夕方戻るわ。じゃ、そういう事で!」

「待てぇ、このチカン!」

「………。」

 

「なにあれ、やっぱり冴羽さんって最低!お兄さんもそう思うでしょ?」

「……」

「お兄さん?」

 

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

まゆ子ちゃんとアパートへ戻ると間もなく香も帰ってきた。

「おかえり香。…その、浦上さんは?」

「仕事に戻った…。あの、アニキ」

「何だ」

「その浦上さんの事で話、あるんだけどさ」

「ああ」

 

じゃあコーヒーでも淹れようか、と俺は言ったがその後が続かない。

お互い無言で見つめ合うと、やっと香が口を開いた。

 

 

「ねえアニキどうしよう…。あたし…浦上さんに告白された」

「そうか」

「結婚を前提に付き合って欲しいって…ねえ、どうしようアニキ!」

 

落ち着くんだ、俺。

冷静に。冷静になれ。

 

「それをどうして俺に訊くんだ。お前の気持ち次第だろう」

「だって…だってあたし」

「お前は浦上さんをどう思っているんだ?」

「そりゃ…素敵な人だとは思…う。けど」

「けど?」

「……」

「僚だろう。違うか?」

「違…くない」

素直に頷いた香が一度深呼吸をすると、堰を切ったように全てを吐き出した。

 

「きっとアイツ…僚はあたしの事なんか何とも思ってない。1パーセントでも思っていてくれたとしても、きっとあいつはあたしの事なんか一生は思ってくれる筈ない。でも、でも浦上さんはきっとあたしの事を大事にしてくれる。まゆ子ちゃんと3人で幸せになろうって言ってくれた。それに―――それにアニキも!」

「俺?」

 

「アニキはきっと浦上さんにしなさいって言うと思ったの。アニキはきっとあたしが浦上さんを選んだ方が安心するでしょ?だってあの人は銃なんか持たない、表の世界の人だもの!」

「!!」

 

ああ。

心の奥を見透かされたようで居たたまれない。

百貨店で僚の顔を見た時と同じ感覚だ。

 

裏の人間と表の人間、どちらと一緒になって欲しいかと訊かれたら間違いなく後者で相手がどんな男であろうと迷わず後者だ。

表にいれば、間違ったとしても何度だってやり直しがきく。だがこちら側に足を踏み入れた人間はそうはいかない。

死に場所さえ選べない人間と共に生きろだなんて口が裂けても言えやしない。

だが―――

 

 

「浦上さんが間違いないだろうな」

「!」

「そう言えばお前は僚を諦められるのか?俺の一言で?無理だろう」

「……!」

 

「今、話を聞いて反省したよ。俺はお前に理想を押し付けていたんだと。だがな香」

「……」

「俺がどう思うかじゃない、お前の心が一番求めている相手を選んで欲しい。お前が幸せならそれでいいんだ、後悔だけはしてほしくないんだよ…俺は」

 

「アニキ…」

 

香の目から涙の粒が幾つも転がり落ちる。

すまない香、泣かせたいわけじゃないんだ。

俺は、俺はただお前に幸せになって欲しいだけだ。

親父がお前を連れ帰ったあの日から本当に、俺にはそれしかないんだ。

 

 

「あた…あたし…やっぱり―――」

「返事をする相手が違うだろう。さあ、行ってくるんだ」

「…うん」

 

涙を乱暴に袖で拭った香は小走りでキッチンを出ていった。

これでいい。

これでいいんだ。

 

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

 

 

いいんだが、どうだったのかくらい報告してくれてもいいだろうに。

 

夕飯を作ろうとする頃にも戻ってこない香と、愛の告白をされたであろう僚が一向に現れない。

「…まさか!?」

いやいや、まだ早い、さすがに。

いや…相手は新宿の種馬だ。

まさかやっぱり!

 

「たっだいま~、今日の夕飯どっち?」

「僚!お前、お前ってやつは…!」

「んなっ、急に何だよ槇ちゃん!」

「どうだ!どうだったんだ!何て返事したんだお前は!」

「おいおい何の話だよ」

「とぼけるのも大概にしろ!香に何て返事をしたか聞いてるんだ」

「返事も何も…お前の出刃亀を目撃して以来会ってねえよ」

「何!?」

「ってことは夕飯当番、槇ちゃんなのね」

「違う…」

「あ?んじゃあ香か」

「違う、昼過ぎに香が出たまま戻らない。俺はてっきりお前と―――」

「待て槇村」

 

バイブレーションが静かに着信を告げる。

僚が懐から携帯電話を取り出した。

 

「はいはいどなたさん」

『僚!』

「香!?」

 

携帯電話から漏れ出る大声は十分に聞き取れる。

 

「今、おまえの噂してたんだぜ」

『僚、どうしようあたし―――』

「………」

 

僚が俺に背を向けた。表情は分からないが静かに香の次の言葉を待っている。

俺は目の前で妹の告白を聞かされてしまうのか。

『あた、あたし―――』

 

 

 

 

 

 

 

『変な奴らにつかまってるの』

 

 

 

 

ずるっ、と僚が滑る様に後ろ向きで倒れた。言わずもがな俺も脱力している。

「んなあ、お前どこほっつき歩いてたの」

『あんたを探してたんだよバカ!』

「何でそれがこうなるんだよ!」

『知らないわよ、あたしあんたに言いたい事たくさんあるんだから!早くどうにか―――っぐ!』

口を塞がれたような音が聞こえ、それから男の低い耳障りな声。

『聞こえるか。女は浦上まゆ子と交換だ。いいな』

「おたくロリコン?少女趣味はいただけねえなあ」

『冗談を言っている場合かシティーハンター。浦上まゆ子を2時間以内に連れてこなければこの女は犯して殺す』

「!」

『ロリコンと疑われているようだからな、性指向はノーマルな事を教えてやらなければいけないだろう?』

「香をやったらそれこそ男色だと思われるぜ?ますます趣味悪ィ」

『言ったなこのバカもっこ―――んぐー!』

 

言うだけ言って再び口を塞がれた香のモゴモゴした声をBGMに人質交換場所と時間が告げられる。

 

 

 

「…とりあえず言いたい事があるらしいし行きますか」

「耳の穴かっぽじってよーく聞いて来るんだな」

「あれ?槇ちゃん行かねえの」

 

これから始まるであろう告白の時を思えば

「留守番だ」

そうするしか他にない。

 

 

もう知るか。

 

おまえも香も、俺の知らないところでよろしくやったらいいさ。

そして幸せになってくれ。幸せでいてくれ。

 

 

 

 

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