世の中には男と女。時々その中間。
(中間の話は語れば長くなってしまいそうなので割愛する。)
女。
女の考えることは不可解だ。
女に言わせれば男の考える事はそれ以上に不可解なのだろうが。
「オレ、あの女大っ嫌いだな!」
「『オレ』じゃない、『私』。」
「うるさ〜い!」
俺は頭を抱える。
自分を『オレ』と呼ぶのは香。興奮してしまえばいつもこうだ。
「大体何なんだよあの女!アニキだって見ただろ?」
「いや、見たには見たが・・・」
「何が『可愛いボウヤ』だ、ふざけんな!」
余程頭にきたのだろう。
・・・そりゃそうか。あいつも厄介な事してくれる。
――――数時間前、元・同僚の女刑事がアパートを訪れた。名前を野上冴子という。
その冴子に腹を立てているのだ、香は。
「絶対あの女の依頼なんか受けるなよ?アニキ!」
「そんな事言われても・・・」
香の前では憚られる仕事の話だった。
リビングにコーヒーを運んできてくれた初対面の香に冴子は言ってしまった。
『あら、可愛いボウヤ。お名前は?』
人払いの意味があったその一言に、簡単に香は激昂した。
『ふざけんな!俺は女だ!』
『・・・さ、仕事の話に入るわね。』
『・・・冴子』
『ごめんなさいね、言い過ぎたかしら?』
『そう思ったのなら言い方を考えてくれ。兄妹喧嘩はこりごりだ。』
『今後気を付けるわね。』
今後じゃ遅いんだよ、冴子・・・。
それでなくとも朝から機嫌を損ねてしまっていた香を思うと苦笑しか浮かばない。
「うぃーす」
「もう昼だぞ。」
「俺の体内時計はまだ朝なの。」
「早く切り替えろ。これから仕事だ。」
「あ〜?」
「依頼だ。冴子から」
「冴子ぉ!?」
「ああ。喜多川産業に忍び込めと。」
「・・・」
コーヒーを出してやるが反応がない。
「僚?」
「・・・パース。」
「依頼の事か?それともこのインスタントコーヒーの事か?」
「どっちもだ。不味いモノには手を付けん!」
「・・・と言いたい所だが家計は火の車だ。我慢しろ。」
「僚ちゃん知らんもんね。」
「僚」
窘めると僚が不意に右手でマグカップを掴み、左手の人差し指は俺の鼻先に突きつけた。
「じゃあ条件を出そう。報酬は冴子とのもっこり1発!」
「 」
「いいのな?」
「・・・冴子に訊け。」
「お〜、そんじゃ『槇ちゃん公認のもっこり』と、そういう事だな?」
「 」
不覚にも二度、言葉を失う。
確かにいい女だとは思う。
だが冴子とは仕事上の関係以外、何もない。
こうして刑事を辞めた今でも親交(?)があるのは俺達の仕事が冴子にとっては都合の良い物だからだ。
俺達だって警察の情報はそれなりに欲しい。
仕事上の関係。
それ以外には何もないと思っている。
・・・思っているんだが。
「仕事上にもっこり関係を持ち込むのはどうかと思うぞ。」
ややこしい事はしないでくれ。
それでなくとも冴子の依頼はいつもややこしいのだから。
「そんな格好いい事言っちゃって。もっこりを我慢する男ってのも健全じゃないと思うがね。」
「・・・誰の事を言っているんだ、僚」
「さあ?」
「勘違いしているようだから言わせて貰うが、別に俺は冴子と――――」
「アニキ!」
いいタイミングで香が転がり込んで来る。
「・・・・・香?」
「ちょっと車出してくれよ。」
「・・・それはいいがお前・・・」
いつもと変わらない口調に歩き方。
だが明らかにいつもと違うのはその格好。
「ど、どうしたんだ?」
「出掛けるの。」
「いや、それは解るが何処へ―――」
「結婚式」
世界が暗転した(ような気がした)。
「うわーはははは!」
「僚」
「ひぃ・・・はははは!腹痛ぇ!」
「僚」
「だってお前・・・ひひひ」
「降りろ」
「悪かった!悪かったよ槇ちゃん」
助手席を横目で睨んでやる。
目尻に溜まった涙をぐし、と擦った僚が手をヒラヒラと振って見せた。
「まさか香が結婚するなんて勘違いするとはなぁ」
「・・・・」
「しかも眩暈でぶっ倒れるわ!」
「僚」
「だーってぇ、考えても見ろよ槇ちゃん。男同士の結婚って日本で認められてないんだぜ―――」
ゴン。
「アタシは女だバカヤロー!」
後部座席からミニハンマーが飛んできた。
今ばかりは香の乱暴もでかしたぞと賞賛できる。
高校の同級生が結婚するのだという。
はは、そりゃそうだ。
今まで香が男と交際していた事実も無ければ色恋の一つも聞かされていない、そういえば。
目を覚ました俺の目の前には呆れた顔の香と、腹をかかえて笑う僚の姿があった。
確かに勘違いも行き過ぎた俺は妹バカなのかもしれない。
だが結婚と聞かされて冷静でいられるか。
たった一人の肉親をだなあ・・・・・
「着いたみたいよ槇ちゃん。」
「あ、ああ。」
車を停めたのは都内にある某一流ホテル。
何でも同級生は玉の輿らしい。
丁度いい事に同時刻、別フロアで喜多川産業の跡取り息子が結婚披露宴を開くらしい。
それで俺も僚もフォーマルスーツ着用で来たわけなんだが。
「サンキュー、アニキ」
「ああ、気を付けてな。」
エントランスに車をつける。
歩み寄ってきたドアボーイに手を挙げ「あぁ、こっちはいいよん」と軽く制しながら僚が車を降りた。
それから
「ほらよ」
同じく車を降りようとする香に手を差し出す。
「・・・・・・」
「お手をどうぞ?お嬢さん。」
「ぅ・・・あ、」
香のこの反応をどう解釈したらいいのだろう。
運転席からはその後ろ姿しか見る事ができないのだが明らかに僚の仕草に戸惑い、女としか思えない様を見せている。
デザイナーの卵である親友がデザインしたという黒のドレスにハイヒール。
散々『着慣れないから着たくない』と車内で喚いていたが、身内の贔屓目を差し引いても充分な程似合っている。
それから手を差し出す僚も。
フォーマルスーツの所為か背格好の所為か、このホテルに違和感なくとけ込んでいる。
「こういう時は『ありがとう』って笑うモンだぜ?」
僚が笑う。
「あ、アンタにかける言葉にそんな感謝は必要ないの!」
「あーあ、可愛いドレスが台無しな口の利き方。」
「うるさい!」
僚の手に、香の手が重なる事はなかった。
ふ、と自身の手の力が緩むのを感じる。
気付かないうちにハンドルを強く握っていたらしい。
・・・・何を心配しているんだ俺は。
僚と香じゃ余りにも歳が離れているじゃないか。
いや待て、俺は僚の歳を知らない。
アイツ一体幾つなんだ?
まぁ、訊いても『ハタチ』とか何とか言われてしまいそうだから敢えて訊きはしないが。
「さて、じゃあ俺は車を置いてくる」
少しだけずり落ちた眼鏡を元の位置に戻しながら僚を見る。
が、返事がない。
「・・・僚?」
視線の先を辿る。
ホテルの中から怒声が聞こえてくる。
「香、車に戻れ!」
僚が香の手を掴み、ミニクーパーに押し込んだ。
「ちょっと、何―――」
「いいから行け!」
何でよ、と騒ぎながらも香が後部座席に転がる様に乗り込んだ。
「僚、お前も一旦―――」
「どいてどいてぇ!!」
「あぁ!?」
助手席に飛び込んできたのは僚ではなかった。
「お願い、早く出して!」
「き、君は・・・?」
「あぁもう、いいから早く出して!追われているの!」
ウェディングドレスを着た女性。
ヒラヒラとした裾を邪魔そうに纏め、ヒステリックに叫んだ彼女はドアを乱暴に閉めた。
「待ってくれ、僚が――」
「早く!」
「・・・」
刑事をやっていた頃、こんな顔して喚き立てる女刑事と組んだ事があった。
あの頃学んだ事。
『女の命令には逆らうな』
僚がどうなったかは解らないが、俺はとりあえずアクセルを踏み込んだ。
「ちょっと待って!アタシ友達の結婚式―――」
「ごめんね諦めて!」
「ゴメンで済んだら警察いるかあ〜!」
−*−*−*−
「どこまで乗せればいいんだ?」
「どこまでも!」
「・・・・この車はタクシーじゃないんだが。」
必死の形相をしている彼女に言うと、
「じゃああいつらを振り切って!」
甲高い声が飛んでくる。
「「あいつら・・・?」」
香と声を揃え、ゆっくりと振り向く、と。
黒塗りの高級車が2台。
「一体何をしたんだ?」
「結婚をキャンセルしたのよ!」
「君は結婚詐欺師か」
「違うわよ!何でもいいから振り切って!」
「ヤツら何者だ?」
「喜多川産業の回し者よ、殺されるわ急いで!」
「喜多川産業・・・」
好都合かもしれんな。
だが香とこの女性を抱えて逃げ切れるか―――
パン!
「きゃああ!」
「撃ってきやがった・・・」
サイドミラーを片方やられ、仕方なくバックミラーを覗く。
一台が徐々に距離を縮め、助手席の一人に加えて後部の二人が銃を向けてきた。
「伏せてろ、香!」
アクセルをめいっぱい踏むがまるでスピードが出やしない。
そもそも俺の車じゃあないのだからどうのこうの言えないが、古き良きも程々にしろよと此処にいない相棒を恨んだ。
アイツは物事にまるで無頓着な癖に車と銃だけはこだわりを見せる。どうにも扱いづらい男だ。
何とか人気の無い方へと車を走らせるが、そうこうしているうちにサイドミラーが両方消えた。
「こりゃあ廃車になっても仕方ないかもしれないな・・・」
「そりゃないぜ槇ちゃん」
「・・・僚?」
思わず後ろを振り返る。
きょとんとした顔の香、それからとりあえず見た助手席にはドレスを着た女性。
「・・・どこだ?」
「アニキ、上!」
「上!?」
叫んだと同時に爆音が響く。
バックミラー越しに炎上する二台の車を確認した。
「もういいぜぇ?槇ちゃん♪」
ひょっこりと目の前に逆さまの僚が顔を見せる。
「うわっ!」
「ぎょわあああああぁっ!急ブレーキを踏むな、むぁきむら〜ぁ!」
ウェディングドレスを着た、喜多川産業と繋がりのある女。
その彼女を舐めるように見ながら今にも抱きつかんばかりの勢いな僚。
ドレスアップしたにもかかわらず結婚式に行くことができなかった香。
おまけにどこから漏れたのか、近づいてくるパトカーのサイレン。
こんなに警察が早いワケがない。あれは確実に冴子だ。
敵は去ったがこれからが本番だな。
俺はそう思った。