いつかこんな日が来るとは思っていた。
覚悟していたんだが。













『今日は給料日だから奮発するわ!』
そう言ってアパートを出たのが今朝の事。
『夕飯何食べたい?』
教授宅を出てすぐかけたという電話の着信が17:10。

そして現在……21:00。






「遅い…」
そう呟くと
「まーだ9時だぜ槇ちゃん」
そんな呑気な声が聞こえてくる。

「『まだ9時』じゃない、『もう9時』だ。第一夕飯の材料を買いに行ってどうして夕飯時に戻ってこないんだ?」
「寄り道してんだろ?」
「それにしても……」
「あー過保護だこと。あいつもガキじゃないんだから。」
「………」

もっともだ。
それは分かる。
だがそれにしても遅いだろう。

恨めしそうに僚を睨んでいるとあいつは渋々口を開く。
「携帯は」
「何度かけても留守電だ」
「……僚ちゃんイチ抜けた」
「僚!」
「だーってぇ、待っても夕飯は帰ってこないし槇ちゃんは怖いし!…って事で」
「あ、待て僚――――」
「飲みに行ってくるわ、あとヨロシク!」


手を伸ばすがするりと脇を抜けた僚が脱兎の如くリビングを出ていってしまう。


「………」




ブロロロロ………




酒飲みに行く人間がどうして車で出かけるんだか。
「…不器用な奴だな」
香を捜しに出かけてくれた事がすぐに解った。
有り難いのだがエンジン音を耳にして、思わず苦笑してしまう。
車には香の洋服に取り付けた発信器の受信機が備え付けてある。いや、僚にだけ任せてしまってはいけない。
何か自分に出来る事は……
「…情報屋」
僚が見たら公私混同だと呆れるだろうな。いや、香の為なら俺は何だって使うさ。
うむ、と一人意気込むと受話器に手を掛けた 

瞬間着信音が鳴り響いた。


「…こちら冴羽商事」
『シティーハンターか』
「そういう貴様は」

酒焼けしたのだろうか、干割れた耳障りな声に苛立ちを感じる。
あからさまに悪党ですと名乗っているかのようだ。
訊かずとも用件は知れた事。

『へへ…あんたの妹は預かった。』

やはりか。

「香は無事か」
『声を聞きたいか?』

男が少し離れているらしい仲間に向かって『声を聞かせてやれ』と命令するのが聞こえてくる。

『へっ、恐怖に怯えた妹の声を――――』
『腹減ったぞこのヤロオ〜!!!!!』
「…………」
『こんな目にあわせやがってメシくらい出せこのウスラトンカチ!ハゲ!早く解きやがれバーロー……ふむぐっ!』
「………」



余りにも威勢が良すぎる。
どうやら途中で口を塞がれてしまったようだが塞がれても尚、『んー!』だの『ぐー!』だのと騒いでいる唸り声が聞こえてくる。

『ど、どうだ』
「いや…何というか……すまない」

無事を知ることができた上、空腹で気が立っているという余計な事実まで確認できた。

『とにかく!妹を返して欲しければ、冴羽一人で晴海埠頭に来いと伝えろ!』
やけくそになったらしい男が一方的にがなり立て電話を切る。




「……」




その時俺は初めて自分の手の震えに気が付いた。







いつかこんな日が来るとは思っていた。

香を守る為には何だってする。
それなのに、今の俺は無力だ。

相手は僚を指名してきた。
当然だ、俺なんかを消したところで敵さんには何のメリットもない。

香を救いに行くのは俺じゃあない、僚なんだ。

俺の妹なのに、俺は電話を取り次ぐ事しかできない。




「…………!」

ガン、と乱暴に受話器を置く。

「冗談じゃない…!」




















−*−*−*−*−

















僚のミニクーパーが見え、隣に車を停める。
と、直ぐに銃声が聞こえてきた。

立て続けに5発。

「!」




急いで音が聞こえてきた埠頭倉庫に銃を構え、潜入した。
いくら耳を澄ませてみてもあれ以降銃声は聞こえてこない。

静かに物陰に隠れつつ奥へと入っていく。
やっと人の気配を感じ、俺はそっと物陰から顔を出した。

暗がりの中、わずかなライトで照らされたのは間抜けな格好で倒れている男達。
こんなにも多勢だったか、20程は確認できる。
呻いているのは5人。さっきの5発の銃声はこれだったらしい。
そして

「大丈夫か?」
聞こえてくるのは僚の声。
それから香の声も。

「こ…れくらい…どうって事ないわよ」
「無理するな、怪我は?」
「ないってば!そ、そんな事より早くこれ解いてよ」
「ああ、すまん」
「は…早くしろよっ!痛いんだから!」
「少し待ってろ」

珍しく僚が茶化した口調でなく、低いトーンで香と会話をしている。
香がいちいち突っかかるが気にも留めていないようだ。

縄を解く音、それからバサリと何かを被せた音がした。

「わっぷ!」
「羽織ってろ」
「何すんだよ、このコートすごく臭いっ!」
「無いよりマシだろ。下着姿で帰る気かよ」
「あ」

(何っ!?)

俺は狼狽した。
僅かな灯りの中、二人の姿はぼんやりとしか確認する事ができない。
すぐにでも出ていって本当に無事なのか、何もされちゃいないのかをこの目で見たい。
だが、何故だか其処に出ていく事が憚られた。

香の慌てる声がする。
「み、見るんじゃねえよエロオヤジ!」
「残念ながら僚ちゃん色気ない体にはもっこりしないの。」
「何をー!?」

初めて僚が軽口を叩く。
香の羞恥心を和らげようとやった事なのだろう。
案の定、香が逆上し、座り込んだそのままにハンマーを投げた。

「あ……が……」
「…ったく、デリカシーないヤツ!」

一段落ついたらしい。
俺はその場へたった今着いたかのように出ていこうと一歩踏み出す。
だが、その次を踏み出すことができなかった。





「アニキには言わないで」





香がそう言ったのだ。



「あん?槇村に?」
「アニキに余計な心配かけたくないの。」
「何て説明すりゃいいんだよ」
「一緒にごまかして、お願い!」
「……解ったよ。俺だってアイツがあれこれと余計な心配してお小言喰らわせてくるのはいただけねえからな。」
「でしょ?」
「ま、しょうがねぇか。」

僚の嘆息。そして
「さ、帰るぞ」
と立ち上がる。
しかし香は座り込んだまま動こうとしない。

「香?」
「……」
「おい、まだ此処にいたいってか?」
「違う」
「じゃあ何だよ」
「へへ……立てなかったりして」
「あん?」
「腰…抜けたみたい」

えへへ、と香の照れ笑いが聞こえてくる。
そりゃあそうだ。普通の人間ならこんな目に合って泣き叫ばずにはいられない筈だ。
強がりを言えただけでも大したモンだよ。



「しょうがねぇなあ……」
「うわ、きゃああっ!」
「暴れんな」
「おおおお、降ろせ!」
「じゃあ槇ちゃん呼ぶか?」
「…いい」
「じゃあ黙って抱かれろ」
「だ、抱かっ……スケベ!」
「あ〜、うるせぇ!これだから男に免疫ないヤツは。」
「うるさあ〜い!」










俺は暗がりに浮かぶ二人の姿から目を逸らすとその場を後にした。

倉庫を出るまでそのやり取りが聞こえてくる。嫌でも。




「それにしても腰抜かすとは…香ちゃんも女の子だったって事やね」
「わ、悪かったわね!」
「悪かないぜ?かぁ〜い〜んでないの?」
「………ふん!」














−*−*−*−*−
















「買い物に付き合わされた」

帰るなり僚はそう言い訳をした。
両手に買い物袋を持って。





「はは…ゴメンねアニキ。えっと…ショッピングしてたら止まらなくなっちゃって…あ、すぐご飯にする!」

僚はともかく、香の言い訳はまるで演技がなっちゃいない。
あまりにも胡散臭い香の言い訳に俺は顔を顰める。


「…今朝と服装が違うようだが」
「え、あ、これ!これはっ!」


まるで刑事だ。(いや、前職ではあるのだが)
知っていて尋ねる俺は大概趣味がいいとは思えない。
だが隠し事をされているという現実に、つい意地悪な訊き方をしてしまった。

「初めての給料で浮かれたんだと。見つけた時にゃ店員に買わされてたぜ。」
すかさず僚がフォローを入れ、香はうんうんと過剰な程に頷いた。
「そ、そうなんだよねハハハ!開放的になってつい色々買っちゃって……」

香が男物のコート一枚で買い物をしたとは思えない。
おそらく僚が見立てたのだろう、真っ白なワンピースにミュール。
見慣れないにも関わらず、以前からこんな服装を好んでいるかのようにしっくりくるその格好は香の存在を遠く感じさせた。

面白くないと思ってしまう。



「買い物もいいが電話くらい入れなさい」
「……ゴメン」
「…着替えてくるんだ。夕食の準備はそれからだ」
「………うん」

香は俯くと寂しそうに笑う。
それからゆっくりとリビングを出ていった。







パタン。


ドアが閉まると同時に俺は口を開いた。


「僚、どういうつもりだ」
「あ?何が」
「あんな嘘、俺が信じるとでも思ったのか」
「いーや」
「ならどうして―――」
「お前もいたんだろ?あそこに。アイツが望んだんだしょうがねぇだろ。」
「…やはり気付いていたのか」
「たかが妹の隠し事くらいでそうカリカリするなよ――――」
「そこじゃあない。」
「ん?」

「そうじゃないんだ………」











こんな事、僚には言えやしないだろう。
勿論、香にも。





隠し事をされているという事実も確かに面白くない。だが今はそれよりも思う事がある。

これから先、今日の様な事件は何度でも起こるだろう。

香が攫われる。
その度に俺達が助けに行く。…いや、僚が助けに行く。
あいつの腕はこの世界じゃナンバーワンと言われている。向かうところ敵無し、だ。
それに引き替え多少射撃ができる程度の俺は はっきり言って無力だ。




俺は何を護るためにこの仕事をしているんだ。

俺が一番護らなければならないのは何だ。

俺は―――――






「槇村」
不意に僚が口を開いた。
俺を見ずに、買い物袋をゴソゴソと漁りながらまるで何でもない事を話すかのように。

「攫われる前、香が何処にいたか知ってるか?」
「…いや」
「伊勢丹の紳士服売り場だと。」
「何でそんな――――」
「お、発見」

買い物袋の中からビールを探り当てた僚がそれを開ける。

「『兄へのプレゼントを探しにきた』って言ってたらしいぜ。」
「………」
「初給料でプレゼントたあ泣かせるじゃないか」
「香……」

足取り追っていて偶然聞いただけだがね。
僚はそう言い足すと勢いよくビールを飲み始めた。

「……」
「ぷっは〜!美味いよこれ。槇ちゃんもどう?」
「香に謝ってくる」
「…あら」





まだ釈然としない思いがある。
消化できない、腹の中の苦いもやがある。
だがこれは俺自身の問題であって僚や香には関係の無い事だ。

全く、酷い八つ当たりをしたもんだ。



「僚、お前にも謝っておくよ」
「ん〜?」

一缶飲み干した僚がきょとんとした表情で俺を見る。

「香を助けてもらったのに礼さえ言っていなかった、すまない」
「いんや、そりゃあ俺の台詞」
「僚」
「恨み買ってるしなぁ〜、俺。お前らには迷惑かけるよホント!」

頭をかきながら冗談めかして僚は笑う。


「……」
「お前も真っ当な世界で妹を育てたいだろうに、いや〜悪いな!」







ああ、すまない僚。

今回の事で一番傷ついたのは僚、お前なのかもしれない。

































inserted by FC2 system