この世界で生き残る為には、失う物は多すぎる。
だが、香は迷わず全てを捨てようとしていた。

自分の為、そして俺達の為に。




















「ただいま〜」
夕刊、それから郵便受けのダイレクトメール類を手に香がキッチンへ顔を出す。

「おかえり香――――…と、僚」
「おい、俺はおまけか」
本当に言葉通り、おまけのように香の後ろから自己主張する僚は少し滑稽だ。
「違いないさ」
からかいながら
「迎えに行ってくれたのか?」
そう訊けばそっぽを向く。
丁度教授宅に用事があったからそのついでだ、と僚はぼやいた。

「タイミング悪く香ちゃんと一緒。げろげろ〜」
「げろげろはこっちの台詞だバカ!」
香が夕刊を丸めて僚の頭を小突いた。

ついでだと僚は言うが、教授宅に用事があったという方が後付けの理由であることはすぐ解る。
香が誘拐されたあの日から僚が仕事帰りの香を連れて帰ってくる事が多くなった。

「すまないな、僚」
「あん、何が?」
「……いや」

不要なダイレクトメールを香がどんどんゴミ箱へ放る様を見ながら、俺は苦笑した。


「さあ、夕飯にしよう」



















食器を片付ける時、俺はやっとそれに気付いた。
ゴミ箱の中のその存在に。

ダイレクトメールに紛れて一枚の往復はがきが捨てられている。
「これは…」
「あー、おいしかった。あ、アニキ、洗い物ならアタシやるよ」

「香、捨ててあったけど大事な物じゃないのか?」
「あ」




それは同窓会の出欠確認。
幹事の名前の下には手書きで「槇村、お前は強制参加!」と大きく記されていた。
俺は当時喧嘩仲間としてよく香の口から出ていた杉下という少年の名を思い出す。おそらく彼だろう。
香のやつ、間違ってダイレクトメールと一緒に捨ててしまったんだな。
俺はそうとばかり思っていた。

しかし返ってきた言葉は意外なものだった。




「いらない」
「え?」
「もういい歳して面倒臭いじゃん?」

香はそれだけ言うと俺の手から食器を奪い、シンクへと向かった。




「…………」
「それ、捨てていいからね」
振り向かずに香が言う。
あとは食器の重なる音と水音ばかりが耳に響いた。


「………」


これは、成長と見ていいものだろうか?

いや、違う。

「人と会うのに面倒も何もあるもんか。行ってくればいいじゃないか」
「だってその日も仕事だもん」
「たまには休んでもいいだろう。それにこの予定時間であれば退勤してからでも充分間に合う」
「……」
「何だったら俺が教授に――――」

「アニキ」
「え」

くるりと振り向いた香が、泡で濡れた指で俺の手からはがきを取り上げる。

「ホントに必要ないんだってば」

びりっ、とはがきを破る音。
香はそれを乱暴にゴミ箱へと放った。




「アニキってばしつこいよ」







−*−*−*−*−








「………で?」
僚が顔を引きつらせている。構うもんか。

「で、お前は何で俺にそれを相談するよ」
「お前には妹に『しつこい』と言われた兄の気持ちが解るか?」


ついつい身近な人間に相談したくなるのが人の常。俺はやっぱり僚に泣きついた。

「解るかよ!俺、妹いねえもん」
僚は鬱陶しそうに俺の腕を払いのけると雑誌を手にベッドへ転がった。
巻頭から女性の裸体。やっぱりロクなのを読んじゃいないと嘆息すれば、僚は涎を垂らしながら呟く。
「もっこりちゃんをナンパして『しつこい』って言われた時の胸の痛みなら共有できるんだけどな〜」
「悪いがそれは一生共有できん」

「槇ちゃん」
「何だ」

雑誌から目を離さないまま僚が言う。

「あいつ、周りの人間みーんなに気ィ遣ってんのな」
「気?…………あ、」

僚の言葉にハッとする。

そうか、あいつは……





「自分とかかわった事で同級生に何かあったら……被害が無いとは言い切れないから…か?」
「そうなるわな。おまけにそうなったら俺らが一仕事せねばならんのは目に見えて解っている。あいつもそれ位考えられる自覚ができたんだろうよ」
「だが…だからって……あいつは…」
「そういえばあいつ、最近自分に来る電話みーんな切ってやんの」


そういえば香はこの世界に足を踏み入れてから一度も友人に会った事がない。唯一の親友は今海外で勉強中だ。

「だからって…あいつはまだ年頃…遊びたい盛りの少女なんだぞ…?」
「気持ちは解るんだがね、当然の結論だわな」
「僚ッ!」
「ま、あいつの意志を尊重してやれよ。過保護な兄貴サマ!」
「……」

「むふふ〜!やっぱり巨乳はええなぁ」

雑誌のページをめくる音がやけに頭に響いてくる。

自然と音のする先に視線がいく。
栗色のロングヘアにピンクの唇と爪の女が、全裸にピンヒールで挑発するような目線を向けているショットだ。
俺はキッチンで洗い物をしているであろう香の姿を思い出した。
化粧ッ気の無い顔にジーンズ。
出勤時はローヒール、もしくはスニーカーだ。動きにくい服と靴は止めろと僚に言われたんだと香は笑っていた。

色気の無い恰好。
そりゃあ男にも間違われるさ。

第一香を男女だの弟だとからかっている当人がその恰好をさせているのはどういう事だ。


「………」


言い様のない怒りが込み上げてきた。
殺気を感じたのか、僚が顔を上げる。


「!」
「僚……お前というヤツは……」
「香!?」
「……か、香?」

意表をついた僚の言葉に俺が戸惑っていると

「きゃあああああっ!」


皿の割れる音と香の叫び声。
俺が反応するよりも早く僚は部屋を出ていった。

「……ま、待て僚!」















「――――なーんだお前か」

急いで後を追えば、僚は銃をホルダーに仕舞う処だった。銃声はしていない。

「香は!?」
「安心しな槇ちゃん、同業者だ」
「同業者ぁ!?」

ますます安心できるか。

俺は僚を見、それから香の無事を確認する。
そして目の前の同業者とやらに目をやると……

「う……」

スキンヘッドにサングラスの大男。


「通称海坊主。タコ坊主とも言う」
「ファルコンだ!」
大男は怒鳴ると手にしていた酒のボトルを2本、テーブルに叩き付けるように置いた。

「…飲め!」














−*−*−*−*−





















香がグラスと氷を運んできた。
飲めない種類の酒と解っていた香は自分にはジュースを、それから俺達の分のグラスを3つ置く。と
「2つでいい」
僚はそう言ってトレイの上に一つだけグラスを戻した。

「だって3人――――」

同時に目の前で海坊主(と呼んでいいのだろうか)がボトルを開け、そのまま口を付けてぐいぐいと飲み始めた。

「はは……2つね…納得しました……」






「ところで何の用だよ、お前」
香がキッチンへつまみを取りにいくと、僚が尋ねた。

「………」
「まさかお前が仕事の依頼…じゃあるまい?」
「……」
「何とか言えよ、タコ坊主」

僚の問いかけを聞いているのか聞こえていないのか、海坊主は 酒を呷り続ける。
僚はそれを見るとニヤリと笑った。

「にゃ〜おん♪」
「んねッ………猫ォ!?」

海坊主が途端に立ち上がり…いや、跳ね上がったかと思うと部屋の隅に猛ダッシュした。
「猫っ、猫は何処だ!」
「ぷ…ぷぷっ……」
「僚!貴様!」
「わははははは!見ろよ槇ちゃん!こいつこんな図体して猫が嫌いでやんの―――」
「ふざけるなあっ!」

ゴン、と鈍い音と共に海坊主が自分の頭を僚に打ち付ける。

「おっ…お前な!人の質問に答えない方が充分ふざけてんだろうが!」
「………それは…」
「いい加減用件を言えよ。手短にな」

海坊主は言い淀んだが、やがて腹をくくった様子で顔を上げた。

「行って欲しい処がある」
「あぁ?」
「少しでいい、頼む」
「断る!」
「僚」
「俺ぁ一流スイーパーだ。ガキの使いなんざお断りだ!」

一流スイーパーか。
一応そんな意識はあったのか。

改めて僚の言葉に感心しながら俺が呆けていると
「お待たせ、大したモノがないんだけど…」
香が酒の肴を持って現れた。

「何ならこの娘で構わん」
「へ?」

話の飲み込めない香はきょとんとして俺と僚を見ている。




「この手紙を渡して来てくれるだけでいい。」

海坊主は懐から真っ白な封筒を取り出し、テーブルに置いた。

「cat's eyeという喫茶店の女店主に渡せ。名前は美樹。依頼料は払う」
「ま…待ってあたしが?」
「そうだ」

海坊主はそれ以上を話そうとしない。

「じゃ、頼むわ香」

僚は僚で依頼を丸投げする。



得体の知れない依頼に、まさか香一人を使いにやる訳にはいかない。
俺は香と共にアパートを出た。















−*−*−*−
















「何だと思う?」
「さあな…」

車の中、助手席で香は封筒を表に裏にとひっくり返して見る。しかし宛名さえ書かれない真っ白な封筒からは何の情報も得られない。

「しかも喫茶店の女主人…」
「詮索はやめないか、香」
「秘密の暗号とか!」

窘めるが一向に聞かない香はついに封筒を光にかざしてみる。







「…………」
「香」
「…………」
「おい、香」

「降ろして」
「どうしたん――――」

「降ろして!」












透けて見えた言葉は一言。
力強く太い文字で書いたのだろう、簡単に読みとれた。




『Good by forever』




「アニキは店から美樹さんとやらを連れてきて!絶対だからね!」
「香は……」
「先に戻る!」









香はあの一言に何を思ったんだろう。
その時は気付けなかったが、美樹という女性に解る範囲を説明してアパートに戻ったその時、全てが解った気がした。




















−*−*−*−*−


















「彼女の幸せを決めるのはあんたなんかじゃない!美樹さんよ!!」


リビングから玄関にまで響く大声。
自分の名を聞きハッとした彼女は階段を駆け上った。







「女だからってなめんじゃないわよ!何が大事なのかなんて自分で決められる!」








それはまるで自分が言われているような気持ちになる一言だった。











「素人のお前に何が解る!」
「ないがしろにされた女の気持ちだバカヤロー!」
「………!」

「大体ね…言いたい事があるなら手紙じゃなく直接言えっての、この弱虫坊主ッ!」

「ファルコン!」














リビングに遅れて入った俺の見たモノは。

顔を真っ赤にして拳を握る香と海坊主にしがみついて泣く女店主の姿。
海坊主はただ狼狽え、棒立ちしている。








「お前の負けだな海坊主」


暫くしてから僚が呟いた。

もしかしたらそれは、俺に言った台詞なのかもしれない。




























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