それは夕暮れ時。
『最近貴方達の周りを嗅ぎ回っている男がいるらしいわよ、気を付けて』
そんな冴子からの情報を別件と共に貰い、さあ今度は僚と共に依頼人の元へ、とアパートへ戻った。









「香」
「アニキならまだよ。」
「へいへい。……ところで」
「夕刊ならソファーの上に置いといたわ」
「サンキュ」
「はいはい。…あ、そうだ」
「モカ。濃いめな」
「オッケー」

「………」

何だ。
今のやりとりは、何だ?




「お帰り、槇ちゃん。」
「あれアニキ、いたの?」
「…………」

何だ。
今のやりとりは、何だ?

つうと言えばかあ、の会話。
まるでふう――――

「ふ」

はっ。
我に返り首をブンブンと振る。

「僚、依頼人を待たせては悪い。行くぞ」
「お、おい待てよ槇村!」

理由は分からない。いや、分かりたくもない。
何となく気分を悪くした俺は、返事を待たずに踵を返した。
背後から呑気なやり取りが追いかけてくる。
「ったくしょうがねえな。じゃ、行ってくるわ」
「あ…うん。二人とも気を付けて…」




「おい」
「……」
「おい槇村」
「……何だ」

階段で呼び止められ、俺はやっとで僚を振り返った。

「お前、香と何かあったワケ?いい歳して兄弟喧嘩は良くないぜ?」

まるで見当はずれだ。そもそもお前が根源だ。

「そういうのじゃあない。」
「わかんねえの。……で?今日の依頼人はどんなもっこりちゃん?」
「わからない」
「ああ?」
「**ビル展望室にて待つ 銀…だそうだ」

「銀?」
ひくり、と僚の眉が怪訝そうに上下した。

「そう名乗ったのか?」
「電話じゃあない。チョークで殴り書きだ。多分見間違いは無いと思うがまさかヤクザでもあるまい?」
「そうか」
「依頼人が男だからと言って断るのは無しだぞ、りょ……」

「槇村、お前お留守番。」
「何?」
「ちょっと顔見知りでね。おれ一人で行ってくるわ。」
「待て、そんな訳には……」
「いたいた。」

香がドアを開け、階段へ顔を覗かせる。

「僚、電話。」
「おれ?誰からだよ」
「『銀狐と言えば伝わる』って。」
「…やっぱりな。行ってきま〜す」

部屋に戻るかと思いきや、僚はそのまま階段を降りていく。香が慌ててそれを呼び止めた。

「僚!電話はどうすんのよ!」
「『狐は山へ帰れ』って言っときな」
「?」
香が首を捻りながらもわかった、と返事をした。

「待て、僚」
「槇村、あと頼むわ」

僚がそう言ってへらりと笑った。
勿論、目は笑っていない。
これから会う男と電話の主は、おそらく同一人物。
それから香に危害を加えないとは言い切れない。だから俺を此処へ残す。そういう事なのだろう。







リビングへ戻ると香が本当に言われたとおりの事を口にしている。我が妹ながらあっぱれだ。
「狐は山へ帰れバーロー!」
しかもアドリブのおまけつきだ。
電話の主…銀狐は怒ってしまったらしい、まあ当然だな。
受話器から怒鳴り声が洩れてくるが、香は負けじと応戦を初めてしまった。

俺は仕方なく受話器を取り上げ、代わりに「用件は何だ」と切り出した。
すかさず香が受話器に耳をくっつけてくる。

『ほう、君は……シティーハンターのパートナー…槇村秀幸…だね』
「そうだ」
『裏社会では有名だよ。シティーハンターがお荷物を二つも抱えている、とね』

お荷物、ね。
今更のご挨拶だな。

受話器に耳をくつけたままの香。背中がぴくりと動いた事に俺は気付いた。

「……おたくは何者だ」
『シティーハンターに聞いた方が早いんじゃあないのか?まあ、無事に戻ってくるかは解らないがね…ククク』
「!」

罠か!?

俺が動くより早く、香が受話器を引ったくり
「僚が死ぬワケないでしょ、このウスラトンカチ狐!それから…あたし達は荷物じゃないッ!」
そう叫ぶと電話を叩き付け、切ってしまった。

「香…」
「僚が危ないのね?」
「……大丈夫だ、僚なら」
「行こう、アニキ」
「え?」
「行こう。どうせアニキだって心配なんでしょ?」








−*−*−*−





**ビルの展望室にやっとで辿り着いた。
夕陽が輝き、絶景なのにもかかわらず、窓の外では窓拭きの男が二人、憮然とした顔で黙々と清掃作業をこなしている。こんな時間までご苦労な事だ。
「怖くないのかしら」
「さあな」
小声でそんなやりとりを交わしながら僚を探すと

「……いた」

こちらに背を向けた形で、ソファーに腰掛けている。
「相手は…と」
そう香が言うか言わぬかのうちに、僚の背後のソファーに体格の良い男がどっかりと腰を下ろす。
おそらくあの男が銀狐と名乗った男だろう。前髪だけが赤みがかった、特徴のある髪型をしていた。
俺と香は景色に夢中な客を装い観葉植物の陰に立ち、窓に貼り付きながら会話に耳を傾けた。

初めに口を開いたのは僚だ。


「最近嗅ぎ回ってるみたいじゃないの、おたく」
「フ…気付いていたのかね?…まあ、先日の銃弾はお気に召さなかったようだが」
「キャッツに撃ち込んで来たアレだろ?ったく…海坊主がカンカンだったぜ」
「ヤツは相変わらずのようだな」
「捨て駒使ったり、くだらない細工したり…お前も相変わらずね」
「フ……まあいい。今日は貴様に決闘を申し込みに来た。」
「決闘ぉ?あー、パスパス!興味ないの僚ちゃん」
「そう言うと思ってね、楽しいゲームを考えてきたのだよ。」
「あーん?ゲーム?」

「パートナーの親友がいたろう?槇村秀幸と言ったかな」

俺と香は思わず顔を見合わせた。

「………親友、ねえ。」
僚はのんびりと呟く。

「それから可愛い恋人もいただろう。香と言ったか―――」





途端、展望フロア全体の空気が淀んだような気がした。





「…なんだ、その嫌そうな顔」
ちらりと目をやれば、僚がこの世の終わりのような悲壮な顔をして銀狐を振り返っていた。
「おま…お前…あれが恋人だとお!?」
「ん…え…?違う…のか?」
「ちっぐわぁ〜う!」
突如僚が立ち上がる。銀狐の肩をがっしりと掴む僚の顔は今度は鬼気迫る凄まじい表情だ。

「槇村は百歩譲って親友、パートナーだとしよう。だがあいつをこっ…こっっ……恋人だなんて……ぅっ…情けない…」
「な、泣くほど嫌なのか…」
「そりゃあそうだ、いつから俺は男色に走――――」


ゴン!


怒りに任せ、香が傍にあった観葉植物を投げつけた。

「ん…んな?」
「と、とにかく!」
その隙に銀狐は僚との間合いを取り直し、立ち上がる。
「ごまかしはきかん!貴様が大事に守っているあの二人を1週間以内に殺してあげよう。阻止する事ができたのなら貴様の勝ちだ。」



それを聞くと、僚は不自然に笑った。
少なくとも俺にはそう見えた。



「大事に守ってる?はん、俺がそんな事するような男に見えたか?」
「隠すな、私には全てお見通しだ」
「槇村は元刑事だ。都合いいから一時のパートナーを組んでいるだけだ」

「………」

「それから香はお前が思っているような女じゃあない」
「どういう意味だ?」
「分からないか?あいつは男―――ごぶあっ!」

今度は展望台備え付けのソファーが飛んだ。

「…き、貴様の言いたい事はよおく解った」
「そ…そほれすか……」
「と、とにかく期限は1週間だ、分かったな!?」
そう言い残すと銀狐はエレベーターへ真っ直ぐ歩いていく。
ボタンを押すと二台のうち右側が間もなく到着し、何人かの客と共に階下へと下りていった。


「………」


僚を見ると、未だソファーの下敷きになっている。
(ま、自業自得だしな。)
俺はどうしたものかと一瞬躊躇う。

チン。
左側のエレベーターが遅れて到着する音。

「…おい、僚」
俺は僚の元へ歩み寄る。
言いたいことは沢山ある。
詰め寄るように寝そべったままの僚の肩を掴んだ時だった。背後にいた筈の香の声が、やや遠くから聞こえてきたのだ。

「アニキ」
「なん――――…」






しまった。







「ちょっと行ってくる。あいつに一発お見舞いしてやるわ」
「香ッ!?」
同時に今までソファーの下敷きになっていた僚が勢いよく立ち上がり、エレベーターへ向かって走り出す。

「待て香!行くなッ!」
僚が怒鳴るが香の返事は無い。
振り返った俺が見たものは閉まる直前のドアと、べー、と舌を出して僚を睨み付ける香のくしゃくしゃに歪んだ顔。

「か…」
「かおりッ!!」


―――――バン!

僚が拳でボタンを叩く。が、無情にも頭上のランプがゆっくり階下へと下りていく。
エレベーターは二機しかない。

「…そうだ、非常階段」
俺は非常階段を駆け下りる。
間に合うとは思っていない。だが、そうするしか選択肢が無い。

背後で数発の銃声と窓の割れる音が響いた。
「うわっ、何だあんた!」
窓拭きの男の声だろう。
ああそうだな、確かにその方が早そうだ。

……僚にとっては。

尤も俺には出来ない芸当だが。

「……くッ」

俺は殆ど飛び降りるように階段を駆け下りる。
間に合ってくれと祈ったが、それが叶うわけの無い事くらい、分かりきっていた。




−*−*−*−





汗だくになりながら、やっと1階へ辿り着いた。

「フ…ハハハハ!彼女がれっきとした女だという確証も掴めた事だ、楽しみにしているよシティーハンター・冴羽僚!」
言い残し銀狐がビルを後にするのが見えた。

――――女だという確証?

「香!」
香がエレベーターの陰にしゃがみ込んでいる。
…僚のボロボロのジャケットを羽織って。
「…大丈夫」
力無くそう言って苦笑いを浮かべた香のシャツは、胸元が刃物で綺麗に裂かれていた。




−*−*−*−




アパートに着くまで、誰もが無言だった。それぞれ胸に抱えたものは大きいだろう。
リビングに着くと俺は大きく息を吸い込む。

「り―――」

それより早く口を開いたのは僚だった。



「やっぱりさ、お前ら迷惑な兄妹だよ」
「んなっ…」
「兄貴は妹一人守れないし!」
「……」

返す言葉が見つからない。

『裏社会では有名だよ。シティーハンターがお荷物を二つも抱えている、とね』

さっきの男の声が頭にこびり付いて離れない。

「そうかと思えば妹は危険のきの字も知らないときたもんだ」
「さっ…さっきの事は謝るわよ!」
気丈に香が言い返す。
普段なら此処で僚が戯ける筈だ。
その筈なんだが。

「お前ら、本当にこの世界で生きていくつもりなわけ?」

それはとどめのような一言だった。

「そ、それはまだ未熟かもしれないけど、そのうち……」
「なんて事、敵さんが待ってくれるとでも思うか?」
「………あ、あた、あたしは」
香が僚の言葉にたじろぐ。
僚からこんなにも冷たく核心を突かれたのは初めてだ、仕方が無い。

「あたしはそりゃあ何にも知らないし、銃も撃てない。僚の足手まといになってるって分かってる。けど…だけど」
香が目に涙を浮かべる。
「アニキは僚のお荷物なんかじゃないっ!」
「香っ!」

「それからあたしはあんたの恋人なんかじゃない!嫌なのは自分だけだと思うなよ、バカヤロー!」

捨て台詞と共に捨てハンマーを残し香が走り去る。

「…真面目にしていても、それは避けられんのな。」
「そ…そほみたい」
俺は、ハンマーの下敷きになった僚を微妙な心持ちで眺めてしまった。

やっとハンマーの下から這い出た僚が立ち上がる。
「行けよ、また銀狐が何をするか知れないぜ」
「……僚」
勿論今は香を追うべきだし、そうするつもりだ。
だが、その前に確認しておきたい事があった。



「僚」
「あん?」
「『都合の良い一時のパートナー』…それがお前の本心なんだな?」
「……」
「そう思って、いいんだな。」

僚は目を伏せると、懐から煙草を取り出す。
目を合わせないまま、僚が言った。

「……そうだ」

頭を殴られたような衝撃。

「今まで世話んなったな、相棒」
何でもない事のように僚が言い放つ。
同時に火を点けた後のライターを用無しとばかりに床へ放る。

「………そうか」

転がったライターを拾い上げ、やっとそれだけを呟くと俺は部屋を出た。







ショックだった。
…いや、本当は気付いていたんだ。

お前のその言葉が嘘だって事くらい解っているさ。
この世界で生き延びたいのなら、抱える荷物はできるだけ少ない方がいいに決まっている。
守る物なんか自分の命ひとつで充分だ。

だが、僚。
俺達がお前の前から姿を消せば、お前の罪の意識は薄れるか?
俺達は……そうしてやる事しかできないか?

お前はそれで、幸せか?



















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