「おめでとう!」
祝福の言葉が飛び交う。空は生憎の曇天だ。今にも泣きだしそうな濁り空に、早く済ませちゃいましょう、と彼女は笑う。
野上冴子。
白無垢に綿帽子。
何度見ても夢じゃないかと、ああ…それから綺麗だとも思っている。
見事な日本庭園を提供してくれた教授がカメラを構えて手招きした。
「ほれ、お二人さん。もう少し前へ!」
二人で歩幅を合わせ、一歩。前へと踏み出す。
緊張か着慣れない所為か、紋付き袴が息苦しくて俺は大きく深呼吸した。
あの日。
間抜けな入院劇を終えた俺は退院したその足でスーツを新調、それからバラの花束を調達して冴子の元へ向かった。
何をどう告白したか、まともに覚えちゃいない。覚えているのはスーツが流行遅れの型だから60点、バラが赤じゃないから70点だと言われた事。
そして『でも本当にやるとは思わなかった』と笑いながら涙を流す冴子の姿。
兎にも角にもギリギリで及第点を貰った俺は自分なりのけじめを考えた。形にすると所謂指輪ってやつになる。
案の定冴子はデザインがどうだ、ブランドがどうだと薬指を見ながら文句を言った――つもりだろうが最後は言葉に詰まって泣いたのできっと照れ隠しだったのだろう(と思いたい)。
「バカね…好みも聞かずに直感で選んで来るなんて…本当に…バカ」
馬鹿だろうが阿呆だろうが構わない。
いつまでも狡い男でいる事よりはよっぽどマシだと今では思えるから不思議だ。
お互い生きる世界が違うから戸籍をどうのこうのしようとは思わないし、一緒に暮らそうとも思っていない。
だけど一生に一度の女の我儘、と記念写真を望んだのが冴子。
報告を聞いて、どうせなら小さな結婚式にすればいいじゃない、と会場提供を直談判したのが香。
その香と手を取り合いながら泣いて喜んだのが麗香で、蛇足だがなじみの喫茶店で吹聴してギャラリーを勝手に二人増やしたのが僚だ。
セキュリティ万全の会場は間違っても警察関係に此処で起こった事が漏れ伝わる心配が無い。
今日この佳き日。
今日だけは世界に裏も表もへったくれもない、ただの男と女だ。
「それにしても綺麗、冴子さん」
「流石は姉貴サマ!」
カメラ片手に香と麗香が同時に頷く。
「これからよろしく、お義兄サマ!」
「じゃあ、あたしも。お義姉さん、よろしく」
麗香が俺に握手を求めて、香は冴子に。
やぁね、二人ともやめて頂戴と冴子が困ったように笑う。
「あーん、あたしも幸せになりた~い」
「あたしも」
「あら、香さんの幸せはすぐそこなんじゃない?」
間に美樹さんが割って入る。誰かを思い浮かべたらしい香は途端に慌てだす。
「え?あたし!?あたしなんかまだ遠い先のはな―――」
「かっずえちゅわ~ん!」
「しつこいわね、この変態!」
・・・・・・・・・・・。
「……ほ、ホントに先は遠いようで、ホホホ」
「…行ってくる」
怒りを堪えながらハンマーを肩に担いだ香が、声の聞こえた屋敷内へと入っていった。
ズン、と屋敷が大きく揺れ、少しすると引きずられた僚がボロボロな顔で
「はぁい…槇ちゃん」
と情けなく手を上げた。
「ったく!相棒のお祝いくらいまともにできんのか、おのれは!」
「お祝い…ねえ」
急に真面目な顔で僚が立ち上がる。
「じゃあ一言だけ言っておくかな。槇村」
「…何だ」
少し呆れた口調で返事をしてしまった事を後悔する。
こいつは時々、平気な顔してとんでもなく俺の芯のようなものを鷲掴みにするんだ。
「良く決断したよおまえ。最高の相棒だ」
「――――…!」
強く握った所為で白扇子が小さく軋む。
ああ、俺は。
俺は冴子に誠実でありたいとだけ思っていた筈なのに、どうやらおまえに誇ってもらいたくもあったんだな。
「これからもよろしく頼む」
手を差し出せば僚が少しだけ驚いた顔を見せる。それから小さく笑い、それを強く握り返してきた。
「まあお互い、な」
握手が済むと僚はポケットをゴソゴソと探り始めた。(出席者全員が正装の中、こいつだけはいつもの着たおしたジャケットだ)
「そだ、槇ちゃん!俺からの結婚祝い」
「う…ん?」
掌に預けられたそれは大量のコンドーム。
「今日から冴子と明るい家族計画、たぁんとしたんさい!」
「ん、んなっ、りょ―――」
「あら、ありがと」
すい、と横から避妊具を攫った冴子は不敵な笑みを浮かべて僚を見た。
あれぇ?と焦りながら小さく呟いた僚の声が聞こえたのは俺だけだったかもしれない。
「私からも貴方に、はい」
「あん?」
空いた手に二枚のチケットを握らせる。
「なんだぁ?これ」
「ペアディナー宿泊券。もちろん香さんと使う事」
「ん、んなぁっ!?」
「ちょっ、冴子さん!」
「だってあなた達、新婚初夜を邪魔するつもり?」
「お前らが使えばいいだろうに、何だってこっちが部屋を出なきゃ―――」
「主役は私達。だから選択権も私達にあるの。お分かり?」
「………」
見事に言いくるめられた僚がちらりと横の香を見る。
香も真っ赤な顔で僚を見る。
「俺ぁメシだけ食ったら帰るからな!」
「あ、あたしだってあんたみたいなもっこり男と宿泊だなんてお断りですから!」
「男みたいな女もお断りだけどな」
「何だと~!」
「あ、そだ麗香という手があった!麗っ香っちゅわ~ん」
「あらいいわよ、二人で行っちゃう?」
「行っちゃうイッちゃう」
「ディナーだけじゃなくて、勿論ホテルに朝まで…ね?」
うわぁお、と僚が涎を垂らす。
だが麗香に伸ばしかけた手を思いきり引き寄せたのは香だ。
「ダメ!僚はあたしとホテルに行くの!!」
香は僚の腕にしがみついて叫ぶ。
「……ば、バカ」
「………ぁ」
ついに空が泣き出した。
大粒の雨がぼたぼたと降り落ちる。
「はい、解散解散!」
「今日はどこもかしこもお熱い事で!」
「宴会場は中へどうぞ」
「フン!」
かずえさんに促されて二人を除いた全員が室内へと避難する。
からかい過ぎよ、と冴子に小突かれた麗香は笑いながら腕まくりをした。
「さあ、独り身は飲むわよォ!」
「了解!」
かずえさんが元気に返事をした。
一方取り残された香といえば、同じく取り残された僚にしがみついたまま顔を真っ赤にしている。
降ってくる雨粒は、頬に当たるとジュワッと大きな音を立てて蒸発していく。
「おま……どうするんだよコレ」
「……い、行けばいいんでしょ行くわよ!行くんだから!」
「も…どうにでもして」
「姉妹してからかい過ぎだ」
「あら、あの位しないとあの二人、いつまでたってもあのままよ?きっと」
「…なあ、もしかして、もしかしてだが」
時々考える。夢にさえ見た事がある。
香の20歳の誕生日のあの日。
「俺が僚に『香を頼む』と言い残して死んだとしたら―――あの二人の仲は進展していたかな」
う~ん、と冴子は首を捻る。
「僚なら表の世界に返そうとするのかもね。普通の女の子として育てたかった貴方の遺言だから」
「そうか…そうだろうな」
「でも、お互い惹かれ合っているのは事実よね。いつか一緒になるわ、あの二人」
「きっとそれでも直ぐにはくっつかないんでしょうね。だってあんな二人ですもの」
「……」
「色々な困難を乗り越えながら、長い時間をかけてゆっくり愛を確かめ合うのよきっと。そんな気がする」
私達のようにね、と冴子が囁く。
「それから、そんな物騒な『もしも』を考えるのはよして頂戴。私を未亡人にする気かしら?」
「…いや、できる限り幸せにはするつもりさ」
「よろしくね」
どちらからともなく、唇を重ねる。
空の切れ間から光が差し込み、雨が止む。
さっきまで笑っていた冴子は静かに涙を流す。
何もかもがくるくると、一所に落ち着かない。
ああ、今日は忙しい天気だな。
「お義兄さん!早く来て挨拶しないと海坊主さんと教授が飲み始めちゃう!」
中から声がかかり俺達は顔を見合わせて笑う。
「さあ、行こう」
「ええ」
後ろで固まったままの二人もついに動いた。
「言っておくが、おまえと行くけどおまえじゃイケねえからな!」
「んな、何の話をしてるんだこのデリカシーゼロ男―――」
本当に今日の天気といったら。
最後は特大の雷だなんてな。
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ジリリリリ……
毎度聞きなれた目覚まし時計の音。
「香!遅れるぞ!」
それでも起きてこないのも、
スヌーズ3回も、
それから遅刻だとわめいてキッチンへ駈け込んでくるのも、当たり前の日常。
それから色んな処を掻きながら欠伸ばかりの相棒が起き、コーヒーを淹れろと要求してくるのも日常。
普通のようで、普通じゃない毎日の連続。
非日常が日常。
「ほはほー、ほお(おはよう、僚)」
「パンを食うのかおはようを言うのかどっちかにしろよ、中坊か」
香はムッとした表情で、パンをスープで流し込んで一気に飲み込む。
「アニキ、今日冴子さんは?」
「ああ、夜に来るそうだ」
「じゃあ、あたしが作る。何がいい?」
「食えるモン」
「僚ぉ!」
あれから何か月も経つが、二人が深い関係になる気配はない。兄としてはそれでいいんだが、いや、やはり気にならないわけではない。
「お、今日のラッキー星座は牡羊座!」
「ヒツジぃ?イノシシの間違いじゃねえの」
「うるさい!そういうあんたは何座なのよ」
「さあ?」
「じゃあ干支は」
「何でしょね」
「まーたそうやって隠す!そのうち昔の彼女から聞かされるなんてあたしまっぴら御免だからね!」
「はは、んなドラマみたいな事あるかよ」
……時々。
時々まだ気になる事は多々ある。
僚について知らない事なんか山程だ。
だがこの二人の事だ、きっと冴子が言った通りになっていくんだろうな。
まあ、いいか。
今はまだ 今はただ
共に、生きよう。
それが俺に与えられた使命なのかもしれない。
それが、俺達の予定調和ってやつなのかもしれない。