声高らかに「いざ、いっぱぁつ!」と叫ぶと依頼人を抱きかかえて走り出す。
胸の中できゃあきゃあと叫ぶ声に頬を緩ませながら、何なら両腕の他のモノで依頼人を支えているのかもしれないと香は思う。
弾道を読み頭を下げ、依頼人を抱えたままひらりと段差を飛び越える。途中、何かが爆発して依頼人は僚にしがみついたまま「怖い」と泣き出してしまったが、僚は「だぁいじょうぶ」とますますにやけてしまう。

「ほい」
目の前に依頼人を降ろす。
ふわりとやけに軽そうだと思った事。
爆風飛び交う中を走り抜けてきたくせにスカートは埃ひとつ無く眩い白だと思ったことを、それから後に思い出す。




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招待状で指定された場所は山奥で、サバイバルゲームのフィールドとして使われていた所だった。
簡素な櫓の上で後ろ手に縛られているのは攫われたパートナー。何故かウェディングドレスを身に纏っているので僚は思わず身構える。
「…何ごっこしてるの、おまえ」
「たはは…着せられたというか自分で着ちゃったというか…」

ガ………

縄を解くと香の首にかけられていた小型トランシーバーが鳴った。

『リョウ、お前招待状読んだのか』
「……その声は」
『英語忘れたのか?誰が平服で来いって書いたよ』
「ご挨拶だな、何の真似だ」
『お前ついにゴールインしたらしいじゃないか!祝いに来たんだよ俺達!』
拘束を解きながら僚が訊く。
「何人いた」
「えっと…あたしが会ったのは3人」
「―――あいつらか」
香がはは、と笑うと溜息で返ってくる。

「おま…知らないガイジンについていくなっての」
「だって、あの人達は僚の事知ってた。すごく」
「……聞いたのか」
「うん。一緒に戦場で過ごした同志だって。海坊主さんも多分信用していいだろうって」
「はん、同志ィ?それがこの仕打ちか!からかいに来たの間違いだろ!?」
『バカ言うなよリョウ、これはライスシャワーだ。黙って浴びとけよ』
「うるせぇ!んな乱暴な祝福があるか!」
『嫌なら逃げろ、ゲーム開始だ。お前たち無事に帰れたら祝儀を弾むぜ?』
いらん、と言ったが何処かで銃を撃つ音が聞こえてきた。

『ゲームスタート!』


「……帰るぞ香」
「あ、待ってドレスが」
エンパイアラインのドレスを持て余しながら香がもたもたと後を小走りについてくる。
撃鉄を上げる音がした。

「―――チッ」
「え……あっ、」

突然体が持ち上がる。
抱きかかえられた事に気づいたと同時に、ベールが頭からずれ落ちる。
純白だったそれは、地面に落下する前にペイント弾の青で染まってしまった。
追い打ちをかけるように「どすこぉい!」と掛け声をかけて持ち上げられた香は先日の依頼人を思い出した。

彼女を運ぶ仕草は羽根を扱うようで、ふわりとやけに軽そうだと思った事。
爆風飛び交う中を走り抜けてきたくせにスカートは埃ひとつ無く眩い白だと思ったこと。
―――――自分のベールは既に青く染まってしまったというのに。

「あんた依頼人は軽々抱きかかえる癖にどうしてあたしのことは重そうに運ぶのよ!」
「仕方ねえだろ、増量してんだから」
「増…してないわよバカ!」
「いいからしっかり掴まっとけ!青く塗られるぞ」
「…もう!」

『それは愛の重みだよ、お嬢さん』
「るへっ!」
ゆっくり僚を見上げれば視線を感じた僚が
「違う!」
と即座に否定したので香は頬を抓ってやった。

『愛は重く、深く、時には綺麗なだけでは済まされない。リョウと一緒に汚れる覚悟はあるかな?お嬢さん』
「もちろん!」
間髪入れずに即答すれば、ヒュウ!と誰かが口笛を吹いて囃し立てる。
ばぁか、と小さく僚が言ったのを聞きながら、やっぱり軽くなくても、白くなくても構わないと香は思った。

それからふと気づく。
「ねえ僚」
「何だ」
「もういっそのこと当たっちゃえば?」
「やだね!」
「だって実弾じゃないんだから」
「フン、タダであいつらの餌食になるなんて死んでもごめんだ」
『いい心がけだ、ベビーフェイス』
「うるせぇ!その名で呼ぶんじゃねえ!」

ふんぬっ!
歯を食いしばりながらしゃがんだ僚の頭上すれすれをペイント弾が過ぎていった。
今度はハードルを飛び越えるように大きく跳ねた足元に着弾する。
胸元のトランシーバーを見て、それから自分を抱きかかえる男の顔をもう一度見上げてみる。

まるで子供だ。

香は思わず吹き出した。
「香っ!」
「ごめん、だって」


きっと少年兵はこうして大人の戯れに抗ったに違いない。
むきになればなるほど、周りの大人達は彼を愛おしいと思ったに違いない。
自分の知らない世界で生きていた男の知らなかった幼いころの顔。たまらなく嬉しいのだと言ってしまったら僚は何と答えるのだろうと香は思う。

「…愛されてたのね」
「誰に!どこがだ!」
小さく首を振って笑う香の耳たぶで蒼い石が光る。
「―――それ、外せ」
「え?」
「イヤリングだよ。盗聴器だ」

大ぶりの蒼を二つ外すと、僚はそれを放り投げる。
落下する前にそれを撃ちぬくと、トランシーバーの向こうで
『この野郎!やりやがったな』
と笑い声があがった。

はぁ。
僚が溜息を吐く。それから苦笑した。

「ま、悪い奴らじゃなかったよ。昔から」
「え」
「戦場でもあのまんまだ。笑い方忘れなかったのはあいつらのお陰かもな……多分」

『そりゃあ光栄だ!』
「んな…!?」
目の前に現れた迷彩色のバリケードの陰に滑り込む。
それから盗聴器は壊した筈…と香の耳朶、それから爪先まで確認しながら香を降ろす。
「僚…?」

「―――あンの野郎共!」

僚が忌々しそうに吐き捨てるとドレスを一気に捲り上げた。
「きゃあっ、何すんのよ!スケベ!」
「るせえ、これだろ!」
バカ、変態、もっこり男!と香が叫ぶ間に太腿のガーターベルトを手早く脱がし取る。

『ヒュー!サカるなよベビーフェイス!』
「ほっとけ!」
レースに一つだけ大ぶりなビジューが縫い付けてある。それを引きちぎると香は目を大きく見開いた。
「もしかしてこれも?」
「ああ、盗聴器だよ!」

茂みの向こうが一瞬小さく揺れる。そこへビジューを投げつけるとアウチ!と誰かが叫んだ。
『ダメだやられた。ゲームオーバーだ』
また何処かで銃声が上がった。

『いやぁ、簡単に仕留められると思ったんだがなあ』
『大きくなったな…おまえ』
「あんたら俺の事いくつになったと思ってんだ」
『いや悪かったよ』
『二度と会う事ぁ無いだろうが元気でな』
「…あんたらもな」

『お嬢さん、リョウの事頼んだよ。幸せにしてやってくれ』
「は…はい!」
あまりにも元気な香の声にトランシーバーは笑い声で音が割れる。
それから誰かがぽつりと呟いた。


『見せてやりたかったよ、カイバラにも』

「……」
『ま、あの世で報告しておくさ。あんたの息子は幸せに暮らしましたとさ、ってな!』
「――――……」
一瞬引き結んだ唇を開こうとする僚の横顔を凝視する。
何か言いかけた僚がハッと後ろを振り向いた。
「しまっ―――」
『遅いッ!』

何が、と香が思う前に目の前が青く染まる。
「っぷ!」
気づけば純白のドレスが青くまだらに染められている。
隣の僚も同様なのを見て、ペイント弾をくらったのだとやっとで気づく。

「クソッ、てめえら!」
『甘いな。ゲームオーバーだとは言ったが弾が無くなったとは言ってないぜ?』
『ハッハー、だからおまえはいつまでたってもベビーフェイスなんだよ!オヤジの名前出されただけでしんみりしやがって!』
「ふざけんな!揃って出てきやがれ!」
『いや、俺ぁそろそろ帰国の便が迫ってるんでな』
『俺は今からキョートに観光だ』
『だぁれもお前につきあってる暇ぁねえんだよ、リョウ』
ならどうしてこんな手の込んだ真似を、と言ってやりたいが男達は畳みかけるように『じゃあな』と言い残す。以降トランシーバーは沈黙してしまった。

「…ったく、一体何だったんだよ!」
初めてトランシーバの通話を押したが沈黙は変わらない。
「はは…は…納得したわ」
言うだけ言ってやるだけやって何事もなかったかのように去っていく。まるで嵐だ。
普段の破天荒な言動の源が解った気がして、香は乾いた笑い声を上げた。
気まずそうに僚が振り返る。

「……帰るぞ」
「はは…」

青にまみれた顔でそれでも笑いたくて仕方ない。
訊かれたならば答えようと香は思った。
普通ならば警戒していい素性の相手だったしそうするべきなのも知っていたが、彼らは言ったのだ。


お互いにいつ死ぬか分からない余生だが、あのひねくれ者をどうしても祝ってやりたいのだと。

幸せそうなあいつを笑いたいのだと。

僚を語った慈しみの眼差しは、いつか僚の父親が見せたそれと同じだったのだと。

男達は香の手を取って『ありがとう』と言ったのだと。


「なあ香」
「何?」
「…やっぱいい。訊かないでおく」
「……そう」

そして答えるのは随分先になりそうだ、と。




















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