「アンタ俺の事調べてきたみたいだけどよ、ダメだダメ」
差し出された酒瓶はいずれも高級銘柄の日本酒やブランデーだったが情報屋は首を横に振った。
「俺ぁこれじゃないと酔えねえのよ。高けりゃいいってもんでもねえ」
残り僅かのカップ酒を舐める様に飲み干すと、目の前の男は小さく舌打ちをした。
「…それは失礼。出直そう」
「また来たって無駄だ。あんたあれだ、僚ちゃん狙ってんだろ」
「……」
「残念だが今の僚ちゃんお掃除中なんだよ珍しく。あれに手ぇ出すと怪我するぜ蝙蝠さんよ」
「……!」
「『黒い服着た丸メガネが義手になって戻ってきた』ってあんたの事だろ。こっちはこう見えても情報屋……っ!」
「私が誰か知っていてその口のきき方をしていたという事か…。余程殺されたいと見えた」
額に当てられた銃口に情報屋が震えながら両手を挙げた。
「ぉお、俺を撃ったら…僚ちゃんが黙っちゃいないぜ」
「そんな事は訊いていない。冴羽僚を呼び出せと言っている」
「そしたらあんた…その間に香ちゃんを狙うんだろ。汚ぇんだよやり方が――――」

頭を弾かれた情報屋はぐにゃりと崩れ落ちた。蝙蝠はすまないね、と歪に笑う。


「引き金が非常に軽いんだよ。何しろ訳あって両手共に義手なのでね」


-*-*-*―*-

僚が車を降りると、香はいつでも車を出せるようにと運転席へと移り二人を待った。
「由加里さん…無事でいて…!」
四方に神経を尖らせ、サイドミラーから視線を移すと共に違和感を覚える。
バックミラー越しに確認した影がこちらへと足早に近づいてきた。
(何…?)
近づくにつれて黒づくめの相手の姿がはっきり見えてくる。
痩せ型のスキンヘッドには見覚えが無かったが、ラウンド型をしたサングラスと笑みにも憤怒にも見て取れる歯を剥き出す下卑た口元に気付くと香は目を見開いた。


「―――蝙蝠!」

足が咄嗟にペダルを踏み、急発進させる。
(狙いはこっちだったのね!)
目の前の信号が赤に代わり、歩行者が踏み出そうとする。

「ごめん!」
それをかわしながら、香は更にアクセルを踏み込んだ。
ギアをオーバートップに入れると、すぐさま携帯電話を手に取り僚にコールする。

「僚、蝙蝠よ!振り切ったけど多分すぐに追いつかれる」
『行ける処まででいい。すぐに合流するからそのまま墓地に向かえ。無理はするなよ』
「わかった」

「墓地…か」
バックミラーを気にしながら呟く。
途中で霊園の標識看板をちらりと目で追いながら、そういえば最近墓参りにも行っていない事に気づき、やはり銃の不具合は兄からの訴えだったのだろうかと香は苦笑した。
「ごめんねアニキ。後でゆっくり――――…」

青山通りに差し掛かろうとする頃、バックミラーに客を乗せているとは到底思えないほど蛇行運転をしているタクシーが映り込んだ。
車体を擦られた高級車は、悲鳴の様に何度もクラクションを鳴らす。
(来た…!)
目の前の赤信号と左右に視線を走らせた香は、アクセルを踏みながらハンドルを大きく左へ切った。

人気の無い処で車を止めると大きめの墓石と植え込みの間に身を隠す。
すぐにタクシーが追いつき、ミニクーパーに衝突しながら停車した。

「出てこい、槇村香!」

高揚感を抑えきれないのであろう蝙蝠の声は耳障りに震えている。

「君に危害を加えれば私が危ないのでね、怪我を負わせたくないんだよ。今は」
「………」
「ヤツを消した後にゆっくり殺してあげるから出てきたまえ、早く!」

ザッ、と小石を踏む音がした。
僚が来る気配は無い。

「さあ!」

ひときわ声が高くなる。
ベルトループから引きちぎるようにブザーを外す。
ままよとばかりにピンを抜けば、当たり前にあの音が鳴った。

ぴよぴよぴよぴよぴよ・・・・・・・・・


「んな…何をしているのかな君は」
墓苑に響く間の抜けたヒヨコの鳴き声。蝙蝠が呆れて呟いた。
「はは…同感…」
墓石にもたれかかりながら、香も思わず苦笑した。

「とりあえず、君が其処に隠れている事だけはわかったよ」
『俺もな』
「!?」
『はぁいこちら僚ちゃん』
「僚!」
ピンを差し戻しながらブザーを確認すると赤いランプの点滅と共に僚の声が聞こえてくる。
『いいタイミングで鳴らしてくれたぜ。おかげで位置がバッチリ!』
「よかった…」
『いいか、そこから蝙蝠に向かってソレを投げろ。当てようと思わなくていい、なるべく高く放ってから伏せるんだ』
「何かわかんないけど…了解!」
「何処だ冴羽ぁ!出てこなければ女を…」

墓石に身を隠していた香は立ち上がると綺麗な投球フォームでブザーを放る。
一瞬気を取られたが蝙蝠はすぐに香へと銃口を向けた。
同時に落ちてこようとしたブザーが爆発を起こす。


―――パン。


「ッ、なんだ…」
思いの外の小爆発だった事で、瞬時に伏せていた蝙蝠が笑いを堪えながら肩の埃を払った。

「フフフ…ハハハハハ!こんな玩具で私が倒せるとおも―――――…ォ?」

笑いながら立ち上がろうとした蝙蝠は倒れ込んだ。撃たれた側頭部に手を当てようとしてからやっとでその義手さえも吹き飛ばされていた事に気付く。何発銃声があったのかさえ覚えていない。

「な…死…?」

最期の一言は泡の様に漏れて消えた。


「せっかくの新しいお手々が勿体ねえな、蝙蝠」
血溜まりがゆっくり広がっていく。僚は小声で吐き捨てた。
「多分情報屋に言われた筈だろ。シティーハンターは今お掃除中だ、ってな」


「香」
幾つか墓を過ぎた先で、腹を庇う様にしゃがみ込んでいた香に声をかけると「大丈夫」と笑顔で返事が返ってくる。
「由加里さんは?」
「無事だった。念の為、冴子に保護を頼んである。空港に向かったよ」
「そう…よかった」
「今、こっちに海坊主と美樹ちゃんが向かっている。お前は美樹ちゃんと先に戻ってくれるか」
「あら、一緒に帰―――」
言葉を止めてから香はしまった、と思う。
肩に触れようとした手から逃れるように僚が動いた。

「後処理に時間がかかりそうなもんでね。悪い」
「…わかった」
「念の為、ほれ」
小爆発を起こしたばかりのそれと同じものを手渡される。
色形共に全く同じ物だったが今の香にはとても重く感じられた。


間もなく海坊主と美樹が到着し、車内で体を休める香と血だまりの傍で立ち尽くす僚を見た。
夫婦は顔を見合わせる。

「美樹」
「なあにファルコン」
「今のあいつはどんな顔をしている」
「そうね…初めて人を撃った翌日の私がこんな感じだったのかしら」
「そいつは格別に酷いな」
「あーらファルコン」
咎めるように名を呼ぶと、海坊主は小さな声で「すまん」と気まずそうに謝った。それを見て美樹は笑う。
「でも間違ってない。そのくらい酷い顔よ、冴羽さん」
「ちょっと連れて出る」
「ああ、それならこうしましょ」
「?」

夫に幾つかの提案をすると美樹はミニクーパーの運転席に乗り込んだ。
助手席で目を閉じていた香がゆっくり体を起こす。
クラクションを二度鳴らすと男二人を残して車は通り過ぎて行った。

「後処理は済んだようだな。墓場ってのは便利な処だ」
「なあ海坊主」
「…何だ」
「本当にいいのかね、俺」
「くどい」
「はは…だって見ろよ」
血だまりからは目を逸らさない。
僚が吐き捨てる。
「掃除屋とはいえ、身重のカミサンの前で人殺しなんかしてるんだぜ?」
「俺は幼い美樹にそれ以上のモノを見せてきた。何度もな」
「――――――…。」
「だからくどいと言った。行くぞ」
「何処へ」
「黙ってついてこい」


-*-*-*-


「飲め」
「んな、何だよ藪から棒に」
ドン、と目の前にバーボンのボトルを置かれて僚は戸惑う。茶化したいが言葉が見つからない。
「いいから飲め」
「んな事言われてもだなあ」
「そうだぜ海坊主。そもそもお前は言葉が足りない。どうして…どうしてお前たちは此処で酒を飲もうとしているんだ!?此処ぁ俺のオフィスだ!」
突然の来訪者にオフィスを占拠されたミックが叫ぶ。全く訳が分からない。

「つまみはいらん。グラスを持ってこい。二人分だ」
やけくそになったミックが、ああわかったよ!と渋々グラスを運ぶ。
海坊主はグラスに並々とそれを注ぐと自分はボトルに口を付けた。
「っとにお前は…」
「それはこっちの台詞だ、僚。大体お前は覚悟が足りん」
「お?その手の話か」
急にミックが身を乗り出して僚が眉根を寄せた。
「なーんだお前、まだグダグダ悩んでいるのかよ。カズエが呆れてたぜ」
「ほっとけ!」
「ほっとけるかよ、親友のシアワセを願っているんだぜこれでもさ。な?」
ミックが水を向ければ海坊主はフン、と鼻を鳴らす。
「俺は親友になった覚えはないが、お前が腑抜けていれば香も悩む。香が悩めば美樹が悩む。俺はそれが我慢できないだけだ」
「……」


「時間だ」
「時間ン?何の」
「寄越せ」
「あ?」
「香に持たせたアレの受信機だ。出せ」
海坊主の意図する処が分からない。
諦めた僚は懐から、香に預けていたブザーよりも一回り大きめなそれをテーブルに置いた。

「聴け」

言いながら向かいのアパートに目をやる。
窓際に立っていた美樹が、こちらに向かって小さく手を挙げるのが見えた。


「美味しいでしょう?このコーヒー。ノンカフェインなのよ。香さんにもおすそわけ」
「ありがとう美樹さん」
「いえいえ、どういたしまして!…ところで赤ちゃんは順調?」
「ええ、おかげ様で」
「冴羽さんとは?」
「あ…うん、」

「ねえ香さん、かずえさんも」
「?」
「これから先も私達…ううん、私達のパートナーに何かあったとするでしょう?どんなに頼まれても私、別れないつもりでいるの。だってファルコンを幸せにできるのって世界中で私だけだから」
「…すごい自信」
「あら二人も同じよ?彼らを幸せにできるのはあなた達しかいないんだもの。絶対別れてやったりなんかしないし、絶対不幸になんかしてやらない。お前と一緒になって幸せだったって言わせるのよ、私達」
「そうね…美樹さんの言う通りだわ」
「だから香さんの赤ちゃんが産まれてくる事がとっても楽しみよ。そりゃあ羨ましい気持ちはあるけれどそれとは別の話」
「美樹さん…」
「私達だって当たり前に子どもを産んで、育てて、笑ってもいいんだって。どこかそういう事は諦めてしまっていたけど…だってそんな平和な裏稼業の人、見た事ある?」
「はは…それは聞いた事ないかも」
「でしょう?きっと香さんが先駆者になるのよ、これから」
「先駆者…あたしが」
「ええ。それに私もかずえさんも続くのよ。だから切り拓いて」
「美樹さん…」
「さっき墓苑で二人ともすごい顔してた。もうお互い我慢しちゃあダメ。もう立派に人の親なんだから」
「……」
「ちゃんと吐き出しちゃいなさいよ、思っている事」
「え?これ聞こえて――」
「そう。はい、どうぞ」

すう、と息を吸い込む音。

「このバカ僚ぉ!あたしはあんただから腹を決めたんだからな!つべこべ考えてないで今までと変わらず一緒に生きろ、このバカ!」


「……」
「聞いたか」
「……ああ」
受信機をできるだけ遠ざけたが耳がキンキン鳴っている。僚は耳を抑えて苦笑いを浮かべた。
「必要かどうかを決めるのはお前じゃない、香だ。もはや俺達に決定権はない」
「ハハ…そうらしいな。困った女達だよ」
相変わらず受信機からはああでもない、こうでもないと女達の主張が聞こえてくる。
「次は私が続くから」
「あら美樹さん、私の事もお忘れなく!ねえ?ミック」

「…強いな、彼女達」
パートナーの声にミックが微笑んだ。
「ああ、最高だ」
海坊主の口角が上がる。

「ところで香さん、赤ちゃんって男の子?女の子?」
質問を訊くとクスクスと美樹が笑いだす。
なあに、とかずえが訊き返す。
「それがね――――」
「あ、待って香さん」
ガサガサと何かを探るような音と共に盗聴器が沈黙した。結局男達に性別は知らされない。
ミックが振り返る。

「で、どっちなんだ」
「知らん」
「知らんってお前…父親だろ」
「知らんもんは知らん」
「ま、カオリのような可憐な女の子であることを祈るよ俺は」
「うるへっ!」
「まあ楽しみにしておくんだな。…とりあえず」
男達がグラスを掲げた。
「きゃあー!」
無言の乾杯の間、向いのアパートから3人の弾んだ悲鳴が聞こえてくる。
男達はつられて笑った。

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