「派手にやったわね」

店の惨状を万遍なく見渡すと美樹は電卓を手に取った。

ざっと見積もってもガラス代だけで相当額。

「あ~ん、修理費がかさんじゃう…。誰よ、こんなお馬鹿さんな戦い方するのは!」

真っ先に重火器を手に取った張本人は冷や汗を隠しつつ言い放った。

「僚にツケておけ」

「あら、敵は冴羽さん目当てだったの?」

「分からん。だがあいつがヘマしたおかげで被害が増えたんでな」

「冴羽さんが?珍しいわね」

「プロらしからぬミスだ。しかも2度」

「ええっ!」

「香の気配があるかないかも分からずに店に飛び込んできやがった挙句、自分の使った弾数を勘違いしていた。あまりにも腑抜けた面だったから尻を叩いてやったさ」

「…そう、優しいのね」

美樹の視線が余りにも優しく柔らかい。海坊主は照れ隠しにフン、と鼻を鳴らした。

「ところで香と何処へ行っていたんだ。僚が相当狼狽えていた」

「あらごめんなさい、香さんの病院に付き添いに。フフ…二人で変装しちゃった!」

潜入捜査みたいで楽しかったと美樹が笑う。

「僚は何も聞かされていないという事か」

「そうね。でも香さんの気持ちも分かる。だから私も冴羽さんにはまだ内緒にしておくわ」

「そうか」

「ねえファルコン?」

「何だ」

「私、なるべく香さんの助けになりたいと思うの」

「異論はない。好きにしろ」

「ありがとう!そうよね。だって…次は私達の番かもしれないものね、ファールコン♪」

「や、やめないか美樹!」

 

 

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

清掃会社の名が背にプリントされてあるジャンパーは他のスタッフのそれに比べると大分黒ずんでいた。

辛うじて蛍光色を保っているその肩を叩くと振り返った老人が笑う。前歯は殆ど欠けていた。

 

「僚ちゃんか。丁度休憩入れようかと思っていたよ」

「お疲れさん」

 

缶コーヒーを手渡すと

「何だい酒はどうした」

不満そうな声が返ってくる。

「まだ昼だぜタケさん」

「冗談だよ!…ところでどうだい、僚ちゃん」

「あん?」

「あんたもお掃除忙しそうじゃねぇか」

「まあね」

「ここ数日でだいぶ綺麗になったよ新宿も。あんたのお陰だ」

「……変わった事は」

「今のトコぁねえなあ。だけどよ僚ちゃん。あんまり綺麗すぎると汚したくなる輩もいるもんだ、身辺整理も程々にしておきな」

「そうするよ」

「ま、シティーハンターが派手に動いてるって噂は流れてるからよ、余程のバカが来ない限りは暫くこの街も平和だろうさ」

「だといいんだけどな」

「香ちゃん、なんかあったのかい」

「……」

「こないだ、あんたが襲撃されていた頃に見かけたよ。いつもと違う恰好してタクシーに乗り込んでった。一緒にいたのは多分喫茶店の―――」

「タケさん」

名を呼ぶと室外機の上にカップ酒を置く。意図はすぐに伝わった。

「何でぇ、ちゃんと用意してあるんじゃねえか」

酒に向かって伸びる手は小刻みに震えている。アルコール中毒者のそれだ。

金よりも目先の安酒に飛びつく老齢の情報屋はニヤリと笑った。

 

「わかったよ詮索はナシだ。口外もしねえから安心しな」

「はは、助かるよ」

室外機の上に、カップ酒がもう一本増えた。

「あいつ下手なんだよ、化かすのがさ」

「いいや、一緒にいた連中は気付いちゃいなかったぜ。勘のいい俺くらいにならねえとありゃ分からんって」

「さすがタケさん」

言いながら右ポケットに手を突っ込むと缶コーヒー1本、カップ酒2本分のレシートをくしゃりと握りつぶす。

左ポケットからは一枚の紙きれを取り出すと、そこには病院の名前と電話番号が記されていた。かずえの残したメモだった。

 

「…ホント、隠すの下手なヤツ」

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるやかなウェーブのかかったロングヘアには違和感と抵抗があったが、黒いニット帽を被ると途端にしっくりきたので毛先を少し整える。

グレーのパーカーの下は白いロングスカート。それまで履いていたジーンズはトートバッグに詰め込んだ。

大ぶりの伊達メガネをかけると香はフィッティングボードを持ち上げる。

できる限りの変装は完了した。

 

ルミネの化粧室を出ると似たような恰好をした数人とすれ違い、香は気恥ずかしさを覚えたが同時に周りに溶け込めているという安心感をもたらしてくれた。

実際ホームグラウンドである筈の新宿で、未だ声を掛けられていない。

スムーズにタクシーを捕まえると行先を告げて一息つく。

 

「……」

 

運転手は喫煙者なのだろう、彼が口を開くたびに煙草の匂いが立ち上がり、香は慌ててハンカチを取り出した。

気を紛らわせるように窓の外に目を向ける。

 

都心からどんどん離れていくその先に目的地の産婦人科がある。

タクシーで数千円。場所も分かった事だし次からは車で行こうかとも思うが車では足が付く。

それでも万年金欠の冴羽商事で毎回タクシー利用はいただけない。それ以前に、いつまでこの通院方法を続ければよいのか。

 

「……」

 

先が見えない。そのうち運転手が

「あれ、こっちだったかな」

と言い、道に迷い始めたが自分も似たようなものだと思えば責める気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「次は旦那さんといらっしゃいよ」

産婦人科医は木村という女でかずえの事を苗字で呼び、彼女とは学会で知り合ったのだと言った。

初老に差し掛かる頃だが可愛いものが好きなのだと言って白衣には花のブローチを付けていたし診察室のデスク周りには猫や熊のキャラクターが大勢鎮座していた。

気持ちが若く、言葉に遠慮の無い彼女を香は好きだと思ったがそれだけで詳細までは打ち明ける事ができない。

 

「うん、順調」

「…そうですか」

「エコー見たらきっと喜ぶわよ、旦那さん」

「……はい」

「どこで出産するか決めてるの?うちは大歓迎」

「それはまだ―――」

「ねえ、嬉しい?」

「えっ」

「何言ってもあなた煮え切らない返事なんだもん、気になっちゃってさ。」

 

木村はペン立てからピンクのラメが施されたボールペンを取り出すと香の鼻先に突きつけた。

「ねえ、旦那さんとの赤ちゃんできて嬉しい?」

「……」

「誰でもなくてあなたの気持ちよ。嬉しい?」

 

「――――はい。…はい嬉しいんです」

 

両手は知らずと拳を作った。

返事に力が入り声が裏返る。

 

「嬉しいんです、とても!」

 

本当は嬉しかった。

手離しで大喜びしてスキップで跳ねまわりたい。

パートナーに「どうだ」と胸を張って自慢してやりたいしそれを笑われたい。

笑顔で答えた筈なのに目の端に涙がじわりと滲んできた。

 

「そう。ならよかった」

それを見た木村は笑顔になるとカルテにサラサラと何かを書き込み、それからエコー写真を差し出した。

「はい、おみやげ。次は2週間後だからね、お母さん」

「先生…」

「今の、ちゃんと旦那さんにも伝えるのよ。次までの宿題」

 

 

 

 

 

 

 

呼んだ筈のタクシーがまだ来ない。

受付に確認すると、だいぶ前に呼んだから来ている筈だ。裏にも小さな駐車スペースがあるからそっちにいないかと返事が返ってくる。

 

早速裏に回ると聞き慣れたクラクションが鳴り、香は思わず体を強張らせた。

振り返った先に赤い車体。

運転席には当然、今此処で逢いたくなかった相手がいる。

 

 

「―――――僚、なんで」

 

 

「何でじゃねえだろ、タクシーで出かけるたあ羽振りがいいじゃねえか」

「違―――」

「しかもちんちくりんな恰好で」

「ど、どこがちんちくりんよ!」

言い返すその間にもウィッグと眼鏡を毟る様に奪い取られた香は赤面しながら俯いた。

「こういうトコ」

「……」

「面倒な事するよなぁ、お前も」

「だっ、だって―――」

「ったく」

無表情の僚に言葉を遮られ、香は覚悟するように目を瞑る。

 

 

 

 

この男は何を言いに来た。

 

子供の為に暫く離れて暮らそう?

それともこれを機に表の世界へ帰れ?

それとも子供は諦め―――――

 

 

 

 

 

「毎回タクシー使われたらかなわん!これからは俺が運転する」

「………え」

 

それは予想外の言葉だった。

香が顔を上げると無表情から一転、僚はおどけた顔で懐の財布を抑えている。

「僚…」

「あ、まさか俺の飲み代減らそうって魂胆じゃねえだろうなあ!?」

「ねえ僚」

今なら訊いても良いのかもしれないと思い

「あんたは…どうなの」

今しがた自分が訊かれたばかりのそれを僚にもぶつける。

 

「あ、あたしは勿論すごく嬉しい。すごく!」

「香………」

「でもほら…僚の気持ち、聴いてなかったから。そりゃあ…多分あんたは困ってるかもしれないけど…その…少しくらいは…」

 

 

 

「同じだ」

「え」

「同じだよ、お前と。全部」

「……」

「それ以外に何があるっての」

「僚」

「大体、お前の気持ちを聞いてないのに俺が……」

ごにょごにょ、と語尾が途切れるのを聞いてやっと香は笑いだす。

 

「んな…なんだよ」

「ううん、ごめん。最初から嬉しいっていえばよかった」

「いや、ゴタゴタした後だったからなぁ。俺も悪かった……ってなワケで!帰ろうぜ香」

「あ、うん」

促されたのは自分だけかと思いきや

 

「お前も行くぞぉ、ボウズ」

 

掌の温もりが一瞬、香の腹に触れた。

 

 

「あ」

 

柔らかくひと撫でしたその手はすぐに頭を掻くいつもの緩慢な動作に変わり、すぐに背を向ける男の表情はたった今まではどうだったのか分からない。

それでも香の心は言いようのない幸福感で満たされていく。

破顔していて、責めるような口調を作るには時間がかかった。

 

「ボウズってね…まだ性別も教えてもらってないんだぞ!」

「あん?ボウズでいいだろ」

「よくない!女の子だったらどうするのよ」

「おまえみたいなじゃじゃ馬にならないことを祈るだけだぁね」

「僚ぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system