アパートに戻るなり銃を使う気配を感じて僚は眉を顰める。

地下の射撃場に香が一人でいる事は分かった。

『すぐに戻る、何かあったら地下に居ろ』とは言ったが、何かあったとは思えない上に射撃練習をしていろとは一言も言っていない。

「…あいつ自覚あるのかね」

いや、自覚があるからこそなのかと思い直すが、やはり射撃練習が今の香にとって良い影響があるとは思えない。

すぐに地下へ向かうが銃声を聴いた限りでは全弾、的に当たりそうにない。

かといって精神状態に乱れも感じ取られない。

 

「おま…何やってんの」

「当たらないのよ」

おかえり、よりも先出た言葉。

振り返った香が、困った表情でコルトローマンを差し出してくる。聞けばここ数日で急に的へ当たらなくなったのだという。

僚はくるりと背を向けた。

 

「練習不足」

「言うと思った!でも違うんだってば!」

「何が」

「何って…こう、照準が」

銃の扱いには慣れてきたが精通するには至らない香には説明のしようがなく、何か違うのとしか言い表すことができない。

「どれ」

差し出された手にコルトローマンを載せる。

「お」

持った瞬間に僚にもその違和感が分かった。

 

「…確かに調整が必要かな」

「でしょう?」

「でもおかしいのな。メンテナンスしたばっかりだぜ」

「保管が悪かったわけでもないわよ」

「槇ちゃんから虫の知らせとか!」

「不吉な事言うな!」

「いや、意外とあるんだなこれが」

「まさか」

「…ま、とりあえずは」

「?」

「お前は暫くコレ使うなってこった」

「だって―――」

「まぁたお前、『絶対に自分の身は自分で守らなくちゃ』とでも思ってんだろ」

「そりゃそうでしょ。僚だって昔から言ってた」

「『達』が抜けてんのよおまぁのは」

「自分―――達」

「そ。こっちはボウズ担当ボディーガードなんだから、物騒なエモノと単独行動はナシで頼むぜ香ちゃん」

「……うん」

 

「てなわけでお前のエモノはこれ」

ほい、と差し出されたものを反射的に両手で掬って受け止める。

それは丸いキーホルダーの形状をしていて、先端にはピンが付いていた。

一見、小学生の持つ防犯ブザー。

「子供扱いするな!こんなものが銃の代わりになりますか!」

「いいから引っ張ってみ」

「……?」

 

余りにも自信満々でピンを引くよう勧めてくる僚の様子に、実は何か機能が隠されているのではと大人しくそれに倣った。

(発煙筒?それとも超小型ピストルになるとか?)

ぷつ、と勢いよくピンを引く。

 

 

 

 

ぴよぴよぴよぴよぴよ・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

「バカぁ!やっぱりただの防犯ブザーじゃないのよ!」

防犯ブザーと呼ぶにも緊張感の無いヒヨコを模した甲高い鳴き声。

ピンを差し戻した香が僚の耳を引っ張った。

「だあってえ、物騒なモン持ってたらボウズにバレちゃうだろ。暴力かあちゃんってさ!」

「余計なお世話だバカ!」

言外の意味を感じ取り、香は大袈裟にがなり立てた。

物騒なモノを持たせたくない、使わせたくないという少し前までの逡巡が舞い戻ってきたのだろうと察しをつける。

『普通の』人の親であって欲しい。多分そういう事なのだろうと尋ねる代わりに軽く睨む。

僚は困った顔をしながら小さく笑った。

「ま、銃がなおるまでのまじないだとでも…さ」

「…わかったわよ」

 

渋々納得するとブザーを裏返す。

見た目よりも重みのあるそれは、警報音以外に機能が備わっている証拠なのだろうと香は思う。おそらくGPSや盗聴の類だろう。

香はそれをジーンズのベルトループに括り付けた。

 

「さて、やってみるかな」

僚がコルトローマンを懐に入れると背を向けた。

「何とかなるかしら」

「香ちゃんの体重管理よか簡単―――っのわあ!」

「お前はそういうデリケートな事をずけずけと…!」

「あ、ほら!誰か来たぜ」

「こら待て逃げるな!」

「本当だっての!誰かなぁ~、僚ちゃんお出迎えしなくっちゃ」

「…ったく、普段は出ないくせに」

 

脱兎のごとく階段を駆け上がっていく足音を聞きながら、少し遅れて射撃場を出る。

 

 

 

 

「―――あ」

階段脇のエレベーターがタイミング良く到着した。

 

「……バカ」

 

大丈夫なのに、と言いながら香は口元を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香さん!」

 

本当に来客だったのは予想外だった。

リビングに入るなり客人らしきその女はソファーから立ち上がり、勢いよく香の元へ近づいてきて手を取った。

誰だったかを思い出すまでに時間がかかったのは、記憶していたヘアスタイルとは変わっていたからだ。

 

「ゆ…由加里さん?」

そこにいたのはガンスミス真柴憲一郎の娘、真柴由加里だった。

長いおさげにリボンを結んでいたのがセンターパートのボブヘアにと、まるで印象が変わっている。

以前よりも活発に見えた彼女だが、やはり口を開くとしとやかだった。

 

「お久しぶりです、その節はお世話になりました」

「しおりちゃんは?」

「元気です。今日一日だけの帰国だからアメリカに置いてきたの。私達にとってはもうあっちの方が安全だから」

「そうなの…。ところで何をしに日本へ?」

「あっちでの生活にも慣れたから永住を決めたの。日本に残していたものを全部あちらへもっていこうかと思って」

「……」

ガンスミスが日本に残していたもの。

考えると大丈夫かという気になったがそれを見透かし由加里は笑う。

「ふふ、物騒なモノじゃないわ。しおりや主人のアルバムとか…嵩張るもの。もう日本には戻らないつもりです。お二人には本当にお世話になったからご挨拶に」

「そっか…お元気で」

 

「ああ、でも…やっぱりしおりには会わせたかったなあ。少しの間だったけど、あなた達が第二のパパママだったから」

「由加里さん…」

 

「ところで香さんはいつ産まれるの?おめでとう」

「え!あた、あたし――…僚!」

もしかして、ではなく妊娠を断定して由加里が言う。

答えに窮して僚に助けを求めると不思議そうに僚が訊いた。

「どうして分かったんだい由加里さん」

「私だってママだもの!何となく分かるわ。それに香さん、とっても雰囲気変わったわ」

「へぇ~」

そういうものなのかと香が感心しながら、まだ膨らみの目立たない自分の腹を抑えた。

「おめでとう、冴羽さん」

「え…ああ、どうも」

「香さんと赤ちゃんの事、いっぱい愛して支えてあげてね」

「……、」

今度は僚が香に助けを求める視線を送る。

 

「わたしね、しおりが生まれてすぐに主人が亡くなっちゃったでしょう?だからいっぱい心残りがあるの」

「由加里さん…」

「だから冴羽さんは絶対死んだらダメよ?」

「そりゃあ勿論!」

「フフ……あら」

 

急に真顔になった由加里が胸を張った僚を指さした。

 

「それ…もしかして調子悪かったりするかしら」

「ん?」

「懐に入っているの、銃でしょう?それもしかして調子悪かったり…?」

 

僚と香は顔を見合わせた。

 

 

「良かったらわたし…調整します」

 

 

 

 

 

 

 

-*-*-*-*-

 

 

 

 

 

「悪いね由加里さん、丁度原因が分からなくて困っていたんだ」

「いいえ。丁寧にメンテナンスされているわ。オーバーホールの必要は無さそう…でも」

「でも?」

「照準をでたらめに調整した事あるでしょう?その所為もあるかもね。心当たりは?」

「………」

「………」

香がゆっくりと僚の方を向き、僚はあさっての方向を向きながらコーヒーを啜った。

 

「すごい…何でもわかっちゃうんだ」

「見ただけで持ち主の事が分かるわね。銃は意外と雄弁なのよ」

「それ、実はアニキの形見なの」

コーヒーを出しながら香が教えた。

「お兄さんの!ああ、だからなのね」

「?」

ネジを軽く締めなおすだけで、由加里は優しくコルトローマンをテーブルに置いた。

 

「この銃、とっても幸せそう。まるであなた達の事を見守っているみたいな」

「へぇ~」

半信半疑の香が間の抜けた声を上げた。

「ちゃんと動いてね、って言い聞かせたからもう大丈夫」

「ちょちょ、ちょっと待って!もしかして由加里さんってスピリチュアルな方面の…?」

「いいえ違います!」

由加里は慌てて両手を胸元で何度も振った。

 

「銃はね、確かに人を殺す道具にもなるけれど…持ち主の思いだとか願い…全てが顕れるものなのよ。だからこそ父は冴羽さんの銃を扱った」

「由加里さん…」

「面白いでしょう?だからガンスミスの仕事が好きだった。でもこれがきっと最後の仕事ね」

由加里はじわりと滲んだ涙を拭きながら笑った。

「よかった、最後の仕事が此処で出来て」

香がコルトローマンにゆっくり触れる。

「そっか…幸せなんだ、アニキ」

「呪いかと思ったぜ」

「バカ。…ねえ由加里さん、ありがとう」

「いいえこちらこそ」

 

 

 

 

「さようなら、お元気で。しおりちゃんによろしく」

「お二人もお幸せに!」

 

 

 

空港まで送ろうかと訊いたが、これから原宿に寄らなければならないのだと由加里は困り顔で笑った。

しおりが土産にとせがんだキャラクター専門店はそこにしかないのだと言う。

 

じゃあ途中まで、と竹下通りの手前で由加里を下ろすと香がしみじみ呟いた。

「しおりちゃんも可愛いモノが気になるお年頃なのね」

「もっこりちゃんになるまで先は遠いな…残念」

「公園であんたがおむつ替えたっけ…フフ」

「ばーか、思い出すな」

「だって…」

 

 

 

「あの時はこんな日が来るなんて思ってもみなかった」

「――――そうだな」

 

「そりゃあアニキも安心するわけだ」

「あいつはいつまでも面倒なヤツだよ!ったく……ん?」

「鳴ってる」

 

丁度良く信号の色が変わり、僚は自分の携帯電話を香に預けた。

「誰からだ」

「海坊主さん」

ディスプレイに表示されるのは海坊主ではなく『タコ坊主』の文字だったが見慣れた香は当たり前のように答える。

「頼む」

「オッケー」

香はそれをハンズフリー通話に切り替えた。

 

 

「もしもしィ、海ちゃん?」

『僚、情報屋が殺された。タケと呼ばれていたホームレスだ』

「タケさんが?」

『殺される少し前に情報屋と接触した男を見たホームレス仲間がいる。多少ナリは変わっていたがあいつだったらしい。蝙蝠だ』

「蝙蝠……って、僚!」

「いかん、由加里が危ない!」

 

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