イメージトレーニングを毎日すると良い、と美樹が言った。
喫茶店にある射撃場での事だ。(当たらない、と香が焦れ、乱射に走った所為だ。)










「イメージトレーニング?」
「そうよ。」

ホラ、と下がりかけた手を持ち上げ、支えながら美樹は続ける。


「目を閉じて」
「…こう?」
香は促されるまま目を閉じる。勿論閉ざされた視界に少しだけ不安になった。

「そう、ゆっくり深呼吸して」

すぅ、と香が息を吸い込む。

「目の前の的を心で見て。」
「心…」
「そう、心。見えてきたかしら?」
「少し…」

見えたかもしれない。
いや、見えていないかもしれないと香は考え直して戸惑った。

「中心をよく見て」
「中心……」

そう言われれば、と香は目を閉じたまま思う。
的の中心がはっきりと見えてくるようだ。

「構えて」
言われるままに目を閉じたまま両手で構える。
さっき肉眼で見たそれよりも幾分大きく見える。


――――撃ち易い。


「今貴女は一発撃った。……ほら」
「あっ」

瞼の裏側で自分が撃った一発は、見事に的の中心に穴を開けた。
ほぅ、と息を吐きながら目を開ける。
目の前の的が依然大きく見えた。



「成功体験を繰り返しイメージすることで上手くなるのよ。ほら、やってみて?」
「え、ええ」

今まで遠く感じていた的が大きく、近くに見えた。
いつも僚や美樹には的がこんな風に見えているのだろうか。
海坊主も瞼の裏側でこんな的が見えているのだろうか。
彼らに少し近づいたようで香は嬉しくなった。

コルトローマンを構える。




―――当たる。




「わあ!香さんやったじゃない!」



中心とはいかなかったが、確信通り、至極近い場所に穴が空いた。

「あ…」
「ちゃんと続けてね。」

美樹がウィンクする。
香は無邪気な子供のようにかぶりを振った。















−*−*−*−*−












「……何やってんのお前。」

アパートに帰るなり、ソファーに座禅を組む香がいたので、僚は一歩退いてしまった。



「おかえり」
目は開けないまま、香が返事をした。

「おい」
「話しかけないで、今トレーニング中なんだから。」
「何の」
「銃を撃つイメージトレーニング。」
「…さいですか。」

そっけない返事。
僚が隣に腰掛け、リモコンを握った。

「あーっ、気が散るからテレビは点けないで!」
「…お前、目ぇ開けてんの?」
「開けてないわよ!あんたのやりそうな事は気配で分かるのよ!」

一丁前にトレーニングの成果が出ているではないか。
僚は少しだけ吃驚した。



「ところで何で今になってイメトレなんだよ。」
「今日美樹さんに教えて貰ったの」
「ほぉ、美樹ちゃんに」
「的に当てるイメージを持つとね、不思議なんだけど…当たるのよ!」
「今頃気付いたの香ちゃん」
「う、るさい」

初歩的なトレーニングだ、と言って僚が笑う。
香は頬を少しだけ紅くした。

「でも…ま、しないよりはマシだわな。」
「でしょ!」
「協力するか?」
「本当?」



珍しい事もあるものだ。
海坊主や美樹、ミックが撃ち方やら戦闘においてのノウハウを伝授する事はあれども、普段僚から香に何かを教示する事は滅多にない。
香は嬉しくなる。
認められた気になるのだ。


「たまには香ちゃんにもコーチしたげないとな。」
「うんうん!」
「じゃ、僚ちゃんの得意分野教えたげる。」
「うん――――」


返事をしかけた半開きの唇。
閉じようとした瞬間に親指を差し込まれる。


「ふ?」



指の隙間から舌が割り込んだ。
やがて指は離れ、粘膜を全て舐め取ってしまうのではないかと思うほど執拗に口内を行き来して僚の舌が蠢く。




「〜!?」




脳天に痺れが走る、そんな直前。
慌てて僚を引き剥がした。



「な、何っ!」
「何だよ」

途中でキスを拒まれ、不機嫌そうに僚が呻く。

「何だよはこっちの台詞でしょ!何でいきなりそうなるのよ!」
「イメージトレーニングだろ?」
「そうよっ!」
「だから、手伝うって言ったろうが。」
「それが何でそうなるのよ!」
「ま、ヤレば解るから♪」
「解るかあ!」

「いいから目、閉じてろ。」

顔を傾けながら僚が低く囁いた。
右手が顎に添えられ、左手は香の目を塞ぐ。

不意に訪れた闇に香は不本意にも心が跳ねた。









−*−*−*−









筋肉質の固い身体からは考えられない程、僚の唇は意外に柔い。
軽く何度か唇が触れ合い、それから再び舌が割り込んだ。


「う、ん」


あれから香は目を開けていない。
瞼をひくりとでも動かそうものなら「閉じていろ」と手の平が視界を塞ぐ。抵抗など、とうに諦めた。
感覚だけで僚の行為を受け入れる。


ソファーに寝かされて数分。
いつもなら性急に服を脱がしに掛かる僚が未だ香に着衣をさせたままなのが奇跡的だ。
それどころか

「り、僚……?」

一向に脱がす気配もなく、大きな手が感触を確かめるかのように服の上を彷徨う。

「何して―――」
「黙ってろ」

そう言われて諦めた香が体の力を抜いた。
ふう、と一息吐いてみる。

すると途端に瞼の裏の視界が開けた。

自分がソファーに横たわる姿が眼前に浮かんでくる。
その上に乗った僚が、ゆっくりと自分の腰に手を当てくるのが見えた。


ひく、と腹の辺りが熱くなる。


     ―――こんな事だけで。

コットン素材のシャツの上から、過剰なまでに掌の熱を感じた。
手はなぞるように臍の辺りを這い、それからゆっくりと胸元までせり上がってくる。

「………ぁ……」

思わず香が口を抑える。だがすぐにその手は掴まれてしまった。

「抑えるな」
「だ…っ…て……」

恥ずかしい。
いつの間にか息が乱れ、その先を待つ自分がいる。
目に頼らない感覚がこれほどまでとは。

羞恥に負けて、香は遂に目を開けた。


「開けるなっつったろうが」
「もう…いいから」
「折角教えてやってるのに」
「アタシが教えて欲しいのは―――」
「同じだろ」
「全然違うわよ!」

「じゃ、やめる?」
「………」




「やめ……」

言うにも言えず、香が唇を噛む。



「黙って閉じとけ」
再び視界を閉ざした僚の手の平はじわりと汗ばんでいた。

ドレープ加工の蒼いシャツ。
更に皺を増やしていくかのように服ごと胸元を掴まれ、布と肌の擦れる感覚にゾクッとする。
目を閉じていると、瞼の裏側に見てもいない情報や感覚が一気に浮かんでは消えを繰り返す。




…気が狂いそうだ。




掴まれていない胸元にカリッ、とした痛みが走るのは僚が歯を立てたから。
次はきっと、と思ったその場所に柔らかく温い感覚。
首筋を舐め上げられて
「は…ぁ………っ…」
艶やかな声を上げてしまう。

スカートは脱がしてはくれない。その中に隠れた下着だけをするりと抜き取られた。

「……だ、」

どれだけ自分の躰が反応してしまったのかが解るであろうそれを見られているかと思うと舌を噛みたくなる程恥ずかしい。
僚の手の平に目隠しをされたまま香は狼狽えた。

「いい眺め。」

僚がククッと笑う。



「ん………な…っ、りょ―――」

初めて抵抗をしようと試みたその時、その部分だけが熱くなるのを感じた。
すべり込むように指が侵入してくる。





「あ…ぅ……っ!」

躰が無意識に跳ね上がるが、僚が体重を掛けた所為でベッドに再び押しつけられる。
加重の熱もまた快感に変わり、
「や…あああっ!」
ゆっくりと粘液を掻き回された香は声を堪える事をやめた。

トロトロと生温いその中で、二本の指が粘膜の収縮に抵抗するように動く。

「やっ、りょ…ォ……!」

目の前にいるのに見えない、意地悪な男。
切れ切れに名前を呼ぶと
「上出来なイメージトレーニングだな…」
からかうような囁きが聞こえた。



『遊ばれている』


いつもなら思うところだが今日は何故だかそう思えない。
香は悶えつつも、ある事に気が付いた。

感覚が研ぎ澄まされ、僚の息遣いもが近くに感じられる。
的が大きく見えた時と同じ感覚だ。


「僚……」
「何だよ…」

やっぱりそうだ。
香は確信した。

僚の声色が熱を帯びている。
火照っているのは自分だけではなかった。

焦れている。
それが解ると同時に更に熱を帯びる自分の躰。


こんな生易しい触れ方じゃあ物足りない。
瞼の裏の自分は、とうに――――



「もう――――…」










繋がっている。














目を閉じたその世界と現実が一致するなり、香は息を詰めた。


「………っ!」


瞼には僚の手の温度が依然感じられるが最早自分は目を閉じているのか、そうでないのかが解らない。
目の前に同じように息を詰めた男が見えた気がする。

性急に腰を埋めたくせに、引く時はやけに緩慢だ。
僚がゆっくりと腰を引く度に温い液体が淫猥な音を立てて自分の躰から流れ出ていくのを香は聴いた。


「は……んっ……!」


詰めた声が耐えきれずに厭らしい吐息に変わる。
香の声のトーンが上がっていく度に、僚の手は香の躰のどこかしらを強く掴む。
目隠しはとうに外れていた。


「あ、っ………ん……!」


掴まれた箇所はきっと痣になるだろう。
其程の力だがそれさえも快感だ。





「りょ…お……や、あ…ッ!」
「香――――!」





瞼の裏。
自分の名を呼びながら、果てる僚の顔を見た。
いつも自分が翻弄される瞬間で、見ることのできない男の顔。
余計に躰が疼く。









香は目を閉じる事の意味を知った。









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