彼女は決まってミルクティーを注文する。
必ず窓際の席に座って旅行雑誌を読んでいる。
時々窓の外を見つめながら頬杖をつく。




ふと目があった。
彼女は何気なく微笑んだ。
そう、何気なくだったと思う。
けれど私はその笑顔に魅入られてしまった。


それは一目惚れだった。
















彼女は今日もミルクティーを飲んでいる。

やっぱり今日も窓際の席だった。
私が店に入ってきても気がついた風でなく、ぼーっと外を見つめていた。

柔らかそうな癖毛のショートカット。
しゃんと伸びた背筋。
きりっと整った顔は中性的だけど色香が滲み、この上なく魅力的だ。
どうしてこんなにも心惹かれるんだろう。私だって女なのに。
女性相手にこんな感情を抱いた事すらないのに。



















これでもう、何日目になるんだろう。
余程この店がお気に入りなのか家が近いのか。

気になる。









彼女の携帯が鳴る。
店内を気にしながら彼女が電話に出た。




「もしもし」





たったそれだけの声に私の心は大きく高鳴った。
少しだけハスキーで、でも良く通った綺麗な声。
初めて聴く彼女の声。


素敵、素敵。
何もかもが素敵だ。



「ええ。そっちはどう?…あらそう、じゃあ戻るわ……。何言ってんの、任務続行!」
多分仕事なのだろう。相槌を打つその表情は活き活きして見ていて気持ちの良い顔だった。


「悪うございましたね……って誰が男日照りだばーか!」
少し乱暴な口調も彼女らしくて似合ってる。


男日照り。


そうか、彼氏はいないんだ。
そう思ったら嬉しくなって笑みが零れた。

















今日もきっと来るだろう。
私は心躍らせながらいつもの席に座った。


「ご注文は」
そう訊かれ、迷わず答えた。
「ミルクティー、ホットで」


きっと彼女は今日もこれを選ぶんだ。
同じものを口にする事を思うだけで私の心は躍る…ううん、大きく跳ね上がると言った方が正しいのだと思う。









ここ数週間で分かった事。

彼女は旅行が趣味で、いつも旅行雑誌を読んでいる。
きっと職場が近いからこの店に通っていて、窓際がお気に入り。
ミルクティーが一番好きな飲み物。

そして、彼氏ナシ。












ほらきた。

やっぱり窓際に座った彼女はいつものようにミルクティーを頼んだ。
注文を終えると一度立ち上がって旅行雑誌を手に戻ってくる。
広げながら窓の外に目をやる。
いつもの彼女にホッとすると同時に、誰に対するでもなくちょっと優越感。

もしかして私は彼女を誰よりも解ってるんじゃないか、って。


「ふふ」

……しまった。
思わず声を出して笑ってしまった。

顔を上げると彼女と目があった。
ああ、多分私の顔は真っ赤に染まってる。
恥ずかしいのではなく、ときめきのせいだ。



「……」

彼女はニコリと微笑んだ。それから何事も無かったかのように雑誌に視線を戻す。
私を気遣うスマートな流れ。
嬉しくてまた頬が熱くなった




今度目があったら声をかけてみようかな。でも何て?

『ミルクティーお好きなんですね?』
『旅行に行きたいんですがおすすめはありますか?』

…ああ、考えるだけで幸せ。
もう、私――――――









「お前ミルクティーなんか飲んだっけ?」
「?」




間の抜けた男の声で夢から醒めてみれば、目の前の彼女は今まで見た事のないような顔をしていた。
彼女が見上げるその先には大きな男が立っている。


何、この人。
そりゃあ彼女だって変な顔にもなるわ。
服のセンスも髪型もいまいち。元は悪くないんだろうけど丸めた背中とよれたシャツがだらしない!

でも……… 

でも。




「じゃあ何頼むのよあんたは」
「水で充分」
「こら、僚っ!」


僚と呼ばれた男と一瞬目が合った。






―――嫌い。






私の本能がそう言っている。




リョウさんとやら、貴方は知らないでしょう?

彼女は 旅行が趣味で、いつも旅行雑誌を読んでいる。
きっと職場が近いからこの店に通っていて、窓際がお気に入り。ミルクティーが一番好きな飲み物。
そして、彼氏ナシ。

知らないでしょう。

優越感に浸っていると彼女と向かい合って男が座る。

…ちょっと貴方、デカすぎ!

彼女が全く見えなくなり、声ばかりが響いてきた。






「見て僚、秋のオススメ観光スポットですって」
「おま…そんな雑誌読んだだけじゃ旅行ってできないのよ」
「ほっといてよ、他に読みたい雑誌がなかっただけ!」
「いらっしゃいませ、ご注文は」
「水と君のもっこ……ででででで!」
「折角のカフェなんだから何か注文したら」
「さっき美樹ちゃんとこで飲んで来たからノーサンキュー」
「何ですって!」
彼女は小さく驚きの声を上げる。
「やっぱりミルクティーじゃ物足りないわ」
「じゃあコーヒーにしたらいいんでないの」
「わざとそんな事言わないで。あの二人が入れるコーヒー以外で飲みたいと思えるのなんてそうそうないわ」
「舌が肥えたんだな」
「そう」
「肥えたのは舌だけかな……ぎゃん!」
「一言余計だバカ……それにしても」
「ん?」
「こう人の流れが多いと酔っちゃいそう。窓際って落ち着かない。やっぱりカウンターでゆっくりお茶したいものだわ」
「同感」
「終わったら一杯行く?」
「酒の誘いみたいだな」
「ふふ、確かに!遠出して仕事したご褒美って事で」
「じゃあ乗るとするかな」
「当然!」













…………私は、何も知らなかった。


彼女は旅行が趣味なわけでもなく、窓際に座りたいから座っていたわけはなく、職場からここは遠く離れていてミルクティーは好物ではない。
私だけの知っている事なんか何一つなかったんだ。






とっくに飲み干してしまったカップの中を覗き込む。
悔しくて涙が浮かんだ。
涙が零れてしまわないように顔を上げると窓の外に目をやった男の横顔が飛び込んできた。

何よ、満たされた顔しちゃって。
呆気ない恋の終わりにバカバカしさを覚えながら立ち上がる。
もう二度とこの店には来るまいと誓いながら伝票を掴んだその時だった。









「伏せろっ!」
「?」








男が急に覆い被さってきた。


「きゃあ!」


窓が何度かピシ、と鳴った。
何が起こったのか全く分からない。














「……行ったか」

頭上で呟く男の声が聞こえる。
すい…と腰を抱かれ、いとも簡単に立たされると割れたグラス、倒れた観葉植物、呆気にとられる店員と客が目に入った。
窓ガラスには穴が開いている。


誰かが石でも投げた?
ピストル?
ううんまさか!
そんな事どうでもいい。
それよりも彼女、彼女は!?


どうしてこの男は彼女じゃなくて見知らぬ私なんかを助けたの?


「ちょっと、貴方ね―――――」




もう男は私を見てはいなかった。




「お前…その避け方マイナスよ」
「仕方ないだろバカ!死角を考えたらこれしかなかったんだから!」
「大股開いてないで早く立つ。目の毒だ」
「うっ、うるさいわね」

男が差し出した手を取り彼女が立ち上がる。


また、目があった。

やっぱり彼女は優しく微笑んだ。




「あの、お怪我ありませんか?」
「は…はい」
「よかった。ね、僚」


男は彼女を見、それから私を見ると言った。










「君も可哀想に」










――――――――!










同情しないで、と叫んで店を出た。
きっと何も知らない彼女はびっくりしただろう。

でも私には解った。


わけのわからない事故に巻き込まれたそれではなく、報われない恋を言った意地悪なあの男。

悔しいけれど、私が仮に男だったとしても彼には到底敵わない。







走った所為か涙の所為か、喉元に込み上げてくるそれをやっとで抑え私はしゃがみ込んだ。

二度と飲みたくもないものを思い出し、私は声にならない声を上げた。



















ミルクティーおまけ?
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