あたしはその時、彼の言った言葉の意味が解らなかった。

解らなかったのだけれど。










「リョウに会いたいそうだ」

ミックから玄関口でそう告げられて、あたしは少し戸惑った。

ニコニコと微笑むミックの後ろには、一人の男性。
勿論あたしの知らない人。
髪の色も目の色も、おまけにスーツの色までもがミックと同じだった。


「……」


ただ、その人はミックよりも一回り程、歳をとっているように見える。蓄えた顎髭の所為かしら。そして何よりも――――


「ああ。お察しの通り」
「え」
「元・同業者です、私も」

流暢な日本語で彼は自らを名乗った。

「ジャスパーと呼んで下さい、レディ」
「!ご、ごめんなさい、私ったら失礼な―――」
自分の探るような視線をあたしは恥じた。
大仰に頭を下げると
「カオリ、大丈夫だよ。彼は安全だ」
ミックが笑いながらそれを止めた。






















「僚ったら、昨日も飲み歩いて……」
まだ寝ているんです。
コーヒーを出しながらそう伝えると、ジャスパーさんは目を大きく見開いた。

「寝ている?」
「?」
「リョウが?此処で?」
「え…ええ」
「部屋は?」
「じ、上階です」
「部屋は?決まっている?」
「も、勿論」

「………Oh」

辺りをぐるりと見回したジャスパーさんは、最後に天井を仰ぐと呻り出す。
ミックはそれを苦笑しながら見ている。
全くワケがわからない。

「あの、今すぐ起こしてきますから」
「No」
「え?」
「待ちます」

ジャスパーさんは落ち着きを取り戻し、逆に落ち着かない私を尻目にコーヒーを啜りだした。

「美味しいですね。コーヒーがこれだけ美味しいという事は、料理の腕は相当なのでしょう」
「い、いえ、滅相もない!あたしなんか…」
「いやいや、カオリの料理の腕はプロフェッショナルだよ。」
「ミック、言い過ぎよ」
「じゃあ今度ご馳走になってもいいですか?」
「あ、ええ、あたしなんかのでよければ………」

ジャスパーさんはあたしの目をじっと見て、ニコニコ笑いながら話をする。
大きく青い目はまるで宝石のようで、思わず引き付けられてしまう。

「スシ、テンプラをお願いします」
「バカ、外人の一つ覚えだと笑われるだろ」
「ミックったらそんな事ないわ、和食を楽しんでもらえるのは光栄よ」
「ミソスープもできますか?」
「勿論!」
「Oh!」

本当に愉しそうに、顔をくしゃくしゃにして笑うジャスパーさんを見ていると、あたしまでつられて思い切り笑顔になってしまう。
不思議な人。

本当に元・同業者なのかしら。
そうあたしが思い始めた頃だった。



「……ところでリョウは本当にこのアパートにいますか?」

ジャスパーさんが真顔であたしにそう訊いた。

「え?ええ、本当です。」
「……」

ジャスパーさんは途端に困った顔をしてミックを見る。

「だからもう何度も言ったろう?ジャスパー。もう昔のあいつじゃないんだよ」
「という事は腕も落ちたという事になりますね」
「ちょっと、それは……」

カチンときて思わず立ち上がったあたしをジャスパーさんがやんわりと抑える。
あたしは肩に触れられただけで、ストンと素直にソファーへ沈んだ。

「……っ」
「quiet」

彼は囁く。
そして懐から銃を取り出した。

「ちょ……ッ」

ミックを見ると、まるで無関心を装ってコーヒーを飲んでいる。
…という事はやっぱり大丈夫なのかしら。

ジャスパーさんは弾倉から弾を一つ取り出すと、おもむろにそれを床へと落とした。
キン、と小さな音が一つ。

「………ふむ」

何に納得したのだろうか、ジャスパーさんは頷いた。

「あの、何か――――」
「カオリさん」
「はい?」

「死んで下さい」
「え」

ガチリ、とリボルバーの音。
背後でミックが殺気立ったのが分かった。















「!」















「ああ、本当だ」
「……?」


ゆっくりと目を開ける。


「彼は確かに此処にいる」
ジャスパーさんがまた天井を仰ぎ見ていた。
彼の額にはうっすら血が滲んでいる。

彼は銃を持った手を僅かに持ち上げる。
すると天井にもう一つ穴が空き、それを弾き落とした。


「器用なヤツだ」
ミックがダーツを懐にしまいながら苦笑した。




「リョウ!下りてきてください!」

ジャスパーさんは天井に空いた銃痕に向かって大声を上げる。


「殺されるぞ、お前。」
ミックがそう言って立ち上がる。

「紹介はしたからな。俺は帰るよ」



















−*−*−*−*−















「改めてお二人に自己紹介します。私はフリーライターのジャスパー・ト……」
「な〜にがフリーライターだ、危ねぇモン持ち歩きやがって」

自己紹介を遮って僚が不満げに吐き捨てる。
結局あたしは彼のフルネームを知る事ができなかった。

「アメリカは銃社会デース」
「……」

ジャスパーさんが僚の質問に戯けて返した所為で、ますます僚は不機嫌そうな顔をする。

「大体引退したなんて聞いてねえぞ」
「無理もありません、最近ですから」

メールかお電話でもすればよかったですか?とジャスパーさんが笑う。
余りにも楽しそうに彼が笑う所為で、あたしまでつられて笑ってしまう。


「ったく、何しに来たんだよ」
「戦争に関する調べ物です。」
「…悪趣味だな」
「残念な事にその悪趣味が高じて仕事になってしまったんです。協力してください。」
「いやだ。」

きっぱりと僚がはねつけると、ジャスパーさんは困った表情を浮かべた。
外人はオーバーリアクションだとは思ってたけど、ジャスパーさんのそれは本当にオーバーすぎて、逆にリアルだ。


「ウィークリーニュース誌内での特集です。貴方断るとミックも困ります」
「いいんじゃねぇの?俺今んトコあいつに借りも義理もないしィ」
「僚っ」

あたしは見かねて僚を窘めるが、僚は不機嫌そうに舌打ちをするとソファーに寝転んだ。


「大体、天下のウィークリーニュース様はいつから反戦主義になったんだ?」
「あくまでも公平な立場での戦争公論です」
「どうだかね」
「質問に答えてくれるだけでいいんです。お願いします」

ジャスパーさんは両膝に拳を置き、まるで日本人のように頭を下げる。
けど僚はそれを見ようともしない。ソファーに寝転んだまま興味無く呟いた。

「…やだね」

「それなら私にも考えあります。しばらく此処にお世話になります」
「勝手に決めんな!」
「カオリさん、スシテンプラ楽しみです」
「はい…」
「香っ」

僚は、がばりと起きあがった。そしてつられて返事をしてしまったあたしを慌てて止める。

が、時既に遅し。
ジャスパーさんは手を差し伸べた。




「宜しくお願いします、カオリさん」



……条件反射。

がっちりと固い握手を交わしてしまったあたしに、僚の盛大な溜め息が降ってきた。













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