『夏だから』と、わけのわからない理由をつけられ真っ白なビキニを宛がわれた。
要は丸腰で来いという事だろう。
遠い記憶を呼び起こしながら香は溜め息を吐いた。

「………はぁ、またこのパターンなのね…」

仕方がない、これは仕事なのだと自分に言い聞かせる。

(もう…折角高級ホテルのプールに来られたのに泳ぐことさえできないなんて)

仕事だとしても普段の自分なら稼がにゃ損だとプールに飛び込んでしまうだろう。
そして僚も。
だが今回はそうはいかないようだ。
香は僚が見せた真剣な表情を思い出す。


珍しく男からの依頼を素直に受けた挙げ句、「後は俺がやる」と香を通さずに交渉を始めた。
どんな依頼内容なのか問えば曖昧な返事が返ってくる。

「……明日だな。来るか」

静かにそう問われ、強く頷いたのが昨日だった。
















「………」

念のため、着用前にビキニの裏表を念入りに調べていく。
パットの部分も一度取り出し確認すると、背後で着替えを見張る女性秘書が抑揚のない声音で言い放った。

「ご心配なく、ご用意させていただいたものは新品でございます」
「……そう」

ボトムの股間部分にあたる処にはテープが貼ってあり紛れもない新品である事は解っていたが心配無いはずがない。



念入りに調べ上げた水着に着替え終え、ゆっくりカーテンを開くと待ち構えていた秘書と目が合った。

「あの、パレオか何か―――」
「ございません」
「タオルを―――」
「プールにてご用意させていただきます」
「………」
「冴羽様は既にプールサイドでお待ちです。お急ぎください」


暫し考えた香は脱ぎ捨てたジーンズを手に取り、ビキニの上から履こうとする。が
「社長の指示です、ご了承ください」
「きゃっ、何すんのよ!」

情け容赦無くそれを下ろされてしまった。




「参りましょう」
「……」
「脱いだ服と銃はそちらのロッカーへどうぞ」




銃。




素人としか思えない秘書の口から出た言葉に香は挑戦的な笑みを浮かべた。

「……本当に返して貰えるんでしょうね」
「ロッカーの暗証番号はご自分で設定できますのでどうぞご自由に」

「………」


渋々、ロッカーへ洋服と下着を放り込む。
予防にもならないとは思ったが、クリーム色のブラジャーの中へ包むように銃を隠した。

ここまで執拗に丸腰であることを求める社長の要求とは一体何なのだろう。
香は嫌な予感を振り切るように頬を張った。













−*−*−*−*−*−*−*−













TVで見た事はあったが足を踏み入れるのは勿論初めてだ。


「わ……」


高級ホテルの屋上プール。南国を思わせるような造りに思わず見とれてしまうが、いけないと香は首を振る。

(屋上…逃げ場はエレベーターと非常階段のみ…周りで此処を十分に狙える高さがあるビルは2カ所…)

併設されているバーは無人。
貸し切りになっているらしくどこにも人気はない。
ただ一人、デッキチェアに寝そべっているのはパートナーだ。


「僚」
「よ、香ィ」
「よ、じゃないわよ。あんた何てカッコ……」


思わず目を逸らす。
ボクサートランクス型の白い水着は股間部分がはち切れんばかりに盛り上がっている。
背後の秘書が息を呑む音を聞いた香は慌てて僚を転がし、うつぶせの体勢を無理矢理作らせた。

「そ、そんなピッチリした海パン履くバカがどこにあるのよ!」
「だってこれを履けっていわれたんだもんよ」

物を隠すゆとりを一切与えない相手の徹底ぶりに思わず溜め息が零れた。

「………はぁ、目の毒だわ」
「お互い様な」
「何を〜!」


「社長が参りました」

「…来たか」


目の前に現れた男も自分たちと同じく水着姿だった。
若く見ても40半ばといったところだが、ライムグリーンのサーフパンツに日焼けした肌、そして顎髭の貯え方が若者を意識した風で、気持ちの若い男なのだと香は思った。


「いやお待たせして申し訳ない。社長の皆本です」
おまけに物腰が柔らかい。
到底悪人とは思えないのだが対する僚の表情が険しい。


「………」


俯せになっていた僚がゆっくり立ち上がった。






「約束が違うんでないかい、社長さん」

「…といいますと?」
「あんたから言い出した筈だぜ?『お互い全てさらけ出してオープンに行こうじゃないか』ってな」
「ふふ、貴方は本当に噂通りの方だ」
「こちらもあんたの事は調査済みだ」
「はは、やはり隠し事はできないようだ」
皆本は微笑を浮かべると女性秘書に目配せをした。
秘書は頷くと懐から携帯電話を取りだした。


「屋上へ」


「香、気をつけろ」
僚の言葉に香は小さく頷いた。
「うん」
「ヤツは――――――」









「水着のもっこりちゃんが好きだ」














・・・・・・・・・・・・・・・・・。












ふらり、と倒れかけた香の目の前に色とりどりの水着を来た女性達がずらりと並ぶ。





「うわぁお、もっこり秘書軍団〜!」
「何をいうか冴羽君、君のパートナーこそ最高だとも!」

「………何なの……これは……」

「社長のご趣味です」

香を今まで見張っていた秘書も自らの衣服を脱ぎ捨て、水着姿になっていく。


「社長は元々下着専門に事業を展開しておりましたが、プールで水着美女をご覧になりたいという強い御意志からホテル経営に着手なさいました」
「………………」


「私の依頼はね、貴女を捜す事だったんだよ槇村くん。数年前に見たエリ・キタハラの水着コレクションが忘れられなくてねえ!デザイナーに訊いたらたどり着いたわけだよ」
「俺のもっこり美人秘書コレクションファイルにもあんたの会社がよく挙がっていたんでな、利害が一致したわけだ」
「…って事はあんた達、お互い水着が見たかっただけでこんな交渉したって事!?」
「「その通り!」」
僚と皆本は握手をしながら声を揃えて返事をした。







「この…もっこりバカ男たち………」
「「タンマ!これには深〜いワケが……!」」

狼狽え方まで瓜二つ。
脱力感の後には沸々と怒りが込み上げてくる。


「えーい、そこへなおれ!あんた達まとめて―――」


















「まとめてぶっ殺してやるよ、てめぇら!」

「―――えっ!?」

「お前ら全員手ぇ上げろ!」










誰もいなかった筈のバーカウンターから男が一人飛び出し、銃を突きつけた。

「おい社長さんよ、手ぇ上げてこっちへ来な」

皆本は黙って両手を挙げると飄々とした様子で男の元へ近づいていく。
あっさり男に捕まると困ったように僚を見た。

「冴羽くん、キミ私の事守ってくれるんじゃなかったのかい」
「守ろうにもボクちん丸腰なの」
僚は上げていた両手をヒラヒラと頭上で振った。

「あんたが海パン一丁で来いって言ったんだぜ」
「まあ、そうなんだがねえ…」
「本当に丸腰だとはお笑いだ!ボディーガードが聞いて呆れらア!」
「…そうね、俺って正直者」




(ボディーガード?)




「僚…どういう事か説明してもらおうかしら」
「なはは…ご想像にお任せってワケには―――」
「いかないわね」

口にするのもくだらないが確認せずにはいられない。
香は僚を振り返った。






「私に黒幕だと思わせていた社長さんが実はボディーガードの対象者。社長さんの命を狙う犯人をおびき寄せるためにあんた達は大層なご趣味の水着鑑賞会を開く情報を流した。けど大目玉くらう事を知っていたからパートナーであるあたしには内緒で計画を立てた、と」
「はは…言葉に棘があるんでないの香ちゃん」
「で、美人秘書達の水着に浮かれて丸腰のところを見事に狙われてしまった――と」

「「はは………面目ない」」

再び僚と皆本が声を揃えて頭をかいた。


「面目ないで済む話じゃないだろ!あんたたちがバカな事考えてるからこっちは何も備えができなかったじゃないのよ!」
「いやいや香さん、水着ならいくらでもほかのデザインを用意させましょう」
「誰が水着の備えの話をしてるんだこのバカ社長!」
「お、お前ら勝手に談笑してんじゃねぇ!」

自分の存在を無視されて逆上した男は銃を皆本のこめかみに当てた。


「ふざけた余裕見せやがって…目の前でぶっ殺してやる!」


「まあ落ち着けよ、いいモン見せてやるからさ」
「何―――――」
首筋に一瞬、熱を感じて香はハッとする。














――――――はらり。




ビキニの紐を解かれ、咄嗟に胸元に手を当てた。




「いやあ〜!」

「「みっ、見え…………」」

今度は社長と男が声を揃える。
その間に銃声が一発響き、気づけば男は倒れていた。

解放された皆本は「惜しかった」と残念そうに呟いた。






「………」












言いたいことは山ほどあるが、今はと言葉を飲み込んでビキニの紐を結び直しながら振り返る。
掌に収まる小さな銃を手に
「あんなのにはこれで十分」
のんびり呟く僚の姿があった。

「僚、あんたさっきまで丸腰だったのに一体どこからそんな……」

言いかけて香は気づく。
周りの秘書達が頬を赤らめながら顔を見合わせている。


「見た?」
「……見えた」
「すごいわ…」
「立派…!」



「なはは、これぞ秘技!もっこり隠――――」
「や…やらんでいいわこのバカ〜!」













−*−*−*−*−*−*−
















「…ったく、無駄な時間を過ごしちゃったじゃないのよ」
腕組みして口を尖らせる助手席の香に僚は乾いた笑いで何度目かの謝罪をした。
「はは…しーましぇん………」
勿論顔には天誅の痕が生々しく残っている。

「でも勉強になったわ」
「あん?」
「ううん、こっちの話」


銃でないにしろ、これからは何かしらの準備をしておかなければと香は思った。




「うーん…例えば…」
自分のタンクトップの中を覗き込む。

「無理無理!お前の凹凸の無い体じゃ―――」






轟音が響き窓ガラスが割れた。
風通しの良くなった車内で






「『夏だから』よ!」

香は更に口を尖らせた。






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