ビルの屋上から見下ろせる向かいの小さな事務所。
二階の端に目標はある。
ターゲットは古美術品の壺。

依頼人石岡さんと悪徳古美術商の目の前で壺を狙撃せよ。
まるでそれが第三者からの恨みだというように見せかけて、粉々に。
それが今回の依頼。

「いいですか、必ず3時ぴったりに事務所へ入って下さい。それから物を渡したらなるべく窓や対象から離れてください。」
アタシの言葉に依頼人の石岡さんが大きく頷く。
手はずを確認するとアタシは依頼人と別れ、僚の元へと向かった。











−*−*−*−*−*−










「行ってきた」
「ああ」

依頼人と別れて屋上に上がると、僚は丁度缶コーヒーを飲み干したところだった。
コンクリートにはコーヒーの缶が今のを合わせて3本。
「飲みすぎよ」
「だって寒ぃんだもんよ」
酒じゃあるまいし気にするなと僚がぼやいた。

「今日に限って雨なんてついてねえの」
「ホント。昨日まであんなに晴れていたのに」

叩き付けるようなそれじゃなく、霧雨程度なんだけれど、秋雨はしくしくと体の芯まで冷やしていく。
今まで待機していた僚は濡れたコートの上から腕をさするとくしゃみを二回した。
「う〜…寒ィな」
「早く終わらせちゃいましょ」
「じゃ、準備にかかるとしますか」
ぶるりと震えながらも頷いた僚は、ケースからライフルを取り出す。

「あら」
「あん?」

いつもと使うライフルが違う。

「どうした?香」
「あ…ううん、別に」

ただ珍しいと思っただけだと言おうとしたけれど、寒くてそれさえ億劫だわ。
僚はそんなアタシの様子なんか気にもとめず、ふうんと興味無さげに呟きながらスコープを取り付けた。



「あと何分だ?」
「そうね、あと5分……あら、どこ行くの」
「ちょっとトイレ」
「僚!時間が迫ってるんだぞ!」
「あと5分もあるんだろ」
「5分前行動しろ、バカ!」
「じゃあ僚ちゃんここでション……」
「あーっ、それはダメ!」
「もしターゲットが来たら撃ってていいぜ香ちゃん」
「んなっ…そんな事できるわけないだろが!」
「ほんじゃよろしく〜」
「こら待て僚!」






………。






僚が股間を抑え、小走りで屋上から去っていった。
ま、まあ仕方ないわよね。もっこりとは違う生理現象だし。
幸い時間は僅かだけどあるし
「ったく…万が一にも予定が早まったらどうするんだよ―――…」

と、見下ろしたビルの下。
約束5分前に依頼人が現れた。
「!」
時間は3時ぴったりにって言ったのに!

彼はオドオドした様子でビルの中へ消えていった。
「どうしよう…僚!」
振り返っても僚が戻ってきそうな気配はない。
慌てて依頼人の携帯電話にコールしてみたけれど、既に電源を切っていた。
続けて僚の携帯にもコールしてみたけれど、留守電。

「—−−−−もう!」

僚が来るまではと思ってアタシはスコープを覗く。
緊張しているらしい依頼人が急ピッチで話を進めている。

「ああっ、もっと引き延ばしてよ…」

そして二言三言交わした後に、大きな桐箱から大きな壺を丁寧に取り出した。


依頼だ。
壊さなくちゃいけない。
今、あれを。
でも僚はいない。

どうする。
どうするの、アタシ。



もう一度振り返る。
僚はやっぱりいない。


どうする、どうするの。
どうする。






――――行け!







「えーい、アタシだってシティーハンターなんだから!」

アタシはライフルを掴むと、目立たないように腹這いの姿勢を取る。
覚悟決めた。
依頼は絶対に完遂する!






「ええと…確かこうやって…」
ああ、こんな事なら海坊主さんに狙撃の仕方も教えて貰うんだった。
記憶を頼りに、ほっぺたと肩を使って何とかライフルを固定しながらアタシは後悔していた。
依頼人が悪徳古美術商へと壺を手渡し、ゆっくりと後ずさると視界から消えた。大分後ろへと下がったらしい。
これで依頼人の身の安全は確保できたわね。
問題は……

古美術商が壺を抱きかかえ、愛しそうにほおずりをしている。
ダメ、これじゃあアイツも一緒に撃ってしまいそう。
そう思った時、古美術商がおもむろに壺を持ち上げた。
きっと僚ならこの時点で撃っている。でも…


「ダメ…まだ……ううん…でも…」


ダメだ。
こんな葛藤していたら絶対失敗するに決まってる。
一旦しんこきゅ―――






(あ、今だ!)





着信があったらしい。
古美術商が胸ポケットから携帯電話を取り出して、壺から数歩離れた。
(いける!)
根拠も技術もないくせに、その時アタシはそう思った。
指が勝手に引き金を引く。




―――ター…ン



僅かな手応えと共に、壺が欠けた。
やった、と思ったのはほんの一瞬だ。
ど真ん中狙ったつもりだったのに壺の縁が少し欠けただけ。

まずい。
あれなら修復可能なレベルだわ。

二発目を撃とうにも、慌てた古美術商が壺に向かって突進してくる。


「―――ああっ」
もうだめ。
そう思った時だった。



「よくやった」



すい、と肩が軽くなったかと思うと直ぐさま銃声が響く。
向かいのビルで古美術商があたふたしている様子が肉眼でも見えた。
バクバクと煩い心臓を抑えながらゆっくりと振り返る。
そこにはライフルを下ろしたばかりの僚が立っていた。

「……僚」
「やるじゃんお前」
何でもない事のように僚が言い、口笛を吹いた。それから携帯電話を耳に当てる。
「…チッ、あいつ切りやがった」
僚がもういちど電話を掛け直すと、向かいのビルで古美術商が慌てふためきながら携帯を耳に当てるのが見えた。
「お前にも石岡にも、取り引きがうまくいかれちゃあ困るんでな。悪く思うな」
それだけを言うと、僚は電源を切った。




「あんた、まさか…」

着信があった事でターゲットから離れた古美術商。
あのタイミングで離れてくれたからこそ、アタシは引き金を引けた。

そして今日に限って普段あまり使わない連発可能なオートライフル。
まるで今日は一発じゃ仕留められないと解っていたかのような。

そして何より僚がここにいなかったという事実。
あの見計らったようなタイミングは…


「わざと!?」
「ちゃうちゃう、偶然」
「いつからココに!?」
「『アタシだってシティーハンターなんだから』の辺りかな」
「……」
「成長したな、かお…」
「そんなに前からいたんならさっさと代われ!」
「ぐえっ!」
怒りに任せてヘッドロックをかけ、失神寸前で投げ飛ばした。
「ったく…反省しろ、反省!」

そう言いながらもアタシはさっきまでの事を思い出し、その間の僚はどうしていたかに気付かされた。
きっと僚は、アタシがダメだった時の準備はできていたんだ。
最初からそれを取り上げなかったのはきっと僚の――――




「ねえ、僚?」
「ほんじゃお先」
「ちょっ、待」
「今日はホントに寒いのな。僚ちゃんまたもよおしてきちゃったの」

再び股間を両手で抑えた僚が非常階段を滑るように降りていった。

「後片づけヨロシク!」
「おいこら待て、僚ぉ!」
「頼んだぜパートナー!」
「……」

パートナー。

その言葉がいつも以上に嬉しくて、アタシはケースごとライフルを強く抱き締めた。
霧雨はまるでアタシを讃えるかのように温かく降り注ぐ。




翌日、風邪をひいたことは言うまでもないかしらね。










 

 

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