「香さんを狙っている輩がいるみたいよ。まだ正体不明なの……気をつけて」

そんな冴子からの忠告を香にそのまま言える筈もない。
言われるその度に香の表情が見ていられなくなる様へと変わっていくからだ。
できれば僚もお目にかかりたくはない表情だ。自分がウィークポイントであることを感じる度に泣きそうな顔で空笑いをして強がる。香はそういう女だった。
こんな時だけ僚はあいつがもっと図々しい女だったならと。
いっその事、守られるのが当たり前だと開き直って欲しいものだと思うのだった。

「ごめんね…僚」

必要の無いその謝罪はもう聞きたくない。
そう思った僚は冴子からの情報を独り胸の内に留めておくことにした。そう珍しい事ではない。
香に気づかれる前に危険因子を取り除く。
これは当たり前に起こる事のひとつだった。








だがそんな日に限って狙っているかのように香は行動的になる。

「依頼人は女性だからあたし一人で用件を確認しますから」
「………明日にしようぜ香」
「何言ってるの!善は急げよ!」
「……その依頼人が俺のもっこりガールフレンドでも?」
「何ですって…?」
「更に依頼内容は俺とのデートだとしても?」
「お……おのれは……!」
「ぎょえ〜っっっ!」


「僚ぉ」
「あん」
「美樹さんがバーゲンに行きましょ、って。ちょっと行ってくるわ」
「……いいけどおまえ、金あるの?」
「あるわよ、へそくりの――――ああっ、無い!」
「悪い香、それ昨日の飲み代だわ……って待て香ぃ!」







なにがあっても守る覚悟はあるが、できる事なら最善策を取りたい。
裏を取る為に情報収集。
相手の所在が分かり次第、夜にでも潰しにかかれば香が気づく間もなく全てが終わる。
そう思う僚がイライラしていくのも無理はない。

懸命に外出の目的を壊しにかかっても、次から次へと香が外へ出ようとする理由ができる。

「さ、バーゲンも行きそびれた事だし依頼が無いか見に行ってくるわ」
「あー、今日は僚ちゃんナンパがあるから明日明日!」
「何言ってんの、あたし一人で行くから大丈夫よ」
「…」
「ナンパでも何でも行ってらっしゃいな」
「………あー、そぉ……」







−*−*−*−*−*−









「僚」
「あ〜」

「あんた…何か隠し事あるでしょ」



結局ナンパにも行かず香の後ろを歩く僚。
もうすぐ新宿駅に着こうかという時、香は足を止め僚を振り返った。
勿論僚はとぼけるより他はない。


「……別にぃ」
「嘘つき」
「スイーパー嘘つかない」
「じゃあどうしてナンパに行かないで私の後ろをついて歩くわけ?」
「それはお前のもっこりヒップが魅力的だからさ」

香は一瞬息を止め、何かを堪えるように目を閉じた。
それからぐっ、と僚の胸ぐらを掴み、思い切り自分に引き寄せた。





「あたし、狙われてる?」





「………」
「当たりなんだ」
「……気づいてたのな」
「おかげさまで。何年パートナーやってると思ってんのよ」

やっと認めた僚の言葉に、香は薄く笑みを浮かべた。


「………」


我慢していた一日分の鬱憤がじわじわと喉元に込み上げてくる。
笑ってごまかすつもりだったが自分でも止められない感情を覚え、それに任せて口を開いた。




「ならそれなりの行動を取ったらどうだ?」
「んなっ……!」

「防御策も取れないでシティーハンターが務まるかと言っているんだ」
「………」
「依頼確認は明日だ、帰るぞ」


「………言わせておけば…あんたっていつもそうよ!」


逆上した香が自分を叩きのめして終わってくれたらいい。
そう思っていた僚の予想は外れた。

「言ってくれなくちゃ分からない!パートナーなのに…自分が狙われている事さえ教えてもらえないの!?」
「香、」
「僚は私が傷つかないようにしているつもりだろうけど…自分が足手まといになっている事に気づけない方がよっぽど残酷よ…ッ」
「………」
「包み隠さずなんでも話せ、僚のスカポンタン!」
「待て香」
「待たない!どうせ冴子さんに訊けばいろんな事が解るんでしょうから!」


香は鬼の形相で歩き始める。
それを追いかけていた僚だったがやがて200メートル程離れたところで追う事を諦めた。
香は振り向きもせず歩道橋を昇り始める。

「………」

僚は小さく舌打ちをした。

香の言うことは尤もだ。
此処は素直に謝るとしよう。

独り苛立っていた自分を反省しながら歩道橋を昇り終えた香の後ろ姿をゆっくり見上げる。

と。






「――――――!」








香の向こうに見えた遠いビルの一角が一瞬だけ光った。
瞬時にそれが何なのかを悟り、体は弾かれたように動きだす。

遠距離からの狙撃だ。避けるしか術はない。




「――――伏せろ香ッ!」

「え?」


不思議そうに振り返る香と目が合った。



「!」



きょとんとした表情も束の間。
僚の表情を見るなり自分に何が起ころうとしていたのかを瞬時に悟り、香の表情が強張っていく。
何処から狙われているのかも分からない自身の体を少しでも守ろうと伏せの姿勢を取ろうとするが、それはまるでスローモーションのように見えた。


「かお―――――…」


前かがみになった香のこめかみに小さな血しぶきが走る。


「――――ォ…う……」


僚を凝視していた香がやがて声にならない声を上げながら白目を剥き、階段を転げ落ちる。
途中ゴン、と鈍い音を立てて落ちた香にやっとでたどり着きすぐさまそれを受け止めた。


「香……しっかりしろ香っ!」













−*−*−*−*−*−













「こめかみから出血はありますが幸いかすり傷です。傷自体は問題ではありません。ですが階段から落ちた際に強打した影響でしょう、おそらく……」
「……おそらく?」
「……まずは彼女と話をしてみてください。話はそれからまた」






医者に促されゆっくりと病室のドアを開ける。

香は起きていた。
僚は、窓の外をぼんやりと眺めている横顔に確かめるような口調で名を呼んだ。


「香」
「………あ」

ゆっくりと香は振り向く。
額に巻かれた包帯が痛々しい。だがその他に異常も見られず、香の眼差しもいつもと同じにさえ感じられた。
だが何故か、僚は違和感を覚える。

香ではない。
知人に久しぶりに会った時のような感覚。
だが目の前にいる香は紛れもなく自身のパートナーの香だ。



「………痛むか」
やっとで二言目を口にすると香が目を細めた。

「…、………た」
「ん?」
「また…逢えた」
「香?」

「冴羽さん」
「かお…り」
「冴羽さん、また…逢えて嬉しい…」


細めた目から涙がこぼれ落ちる。
涙もそのままに香は僚を見上げる。




「覚えていませんか?冴羽さん」
「お前…」
「私、ずっと待っていました。」
「香、何を………」
「晴海で貴方は確かに言ってくれたから。だから私――――」

「!」







「過去に記憶喪失になられた時もこちらの病院にいらっしゃったようでしたのでカルテを確認しました。おそらくその時の人格でしょう」
「………」
「間違いなく槇村香さんですが、なんと言ったらいいのでしょう、槇村さんは彼女でありながら彼女ではないのです」
「………………!」








僚は何も言えずその場に立ち尽くした。














−*−*−*−*−




「遼と香が喧嘩した後、事故かなにかで香が記憶喪失になって遼のことを忘れてしまうちょっと遼が切なくなる話。でも最後は思い出してハピエン甘甘でエロなし話」
というリクエストです。続きます

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