その病室には3つ並んでベッドが置かれていたが香の分を除く2つは空いていた。
個室の様に使える其所で、香は窓際を望んだ。
「ここなら駐車場も見渡せるから冴羽さんも見つけられる」
そう言って笑った香に冴子は思わず立ち上がった。
一日経った今もまだ香を狙った犯人は特定されていない。
低層階の角部屋な上に窓際。
不意を突かれた時の事を考えれば限りなく危険だ。

「あのね香さん、窓際は危険なの。」
「冴子さん…どうしてですか?」
「あなた実は狙―――」

「冴子」

冴子の言葉を制止した僚は
「わかった」
香にそう答え、穏やかに笑いかけた。
香は躊躇い、冴子と僚の顔を見比べると小さな声で訊いた。

「……問題があるんですか?それならわたし…」
「問題ない、大丈夫だ」
「僚…」








−*−*−*−*−






「姉さん、持ってきたわよ香さんの着替え」
「ありがと、麗香」

冴子は入り口側の空いたベッドに腰掛けていた。
麗香も病室に入るなりそれに倣って隣に腰を下ろす。

「よいしょっと。……ところでお二人さんはどう?」

冴子が無言で窓際を指さす。

「ずっとあんな感じよ?」
「何て言うか……」
麗香は言いかけて姉を横目でちらりと見た。
「そうね」
姉の冴子は妹の無言を肯定した。


「これが本来の男女交際ってやつなのかしらねぇ」





「はい、どうぞ冴羽さん」
「ああ…悪い」
「いいえ、一緒に食べた方が楽しいから」

僚が適当に買ってきた果物から林檎を選んで取り出すとナイフを取り出し手早く皮を剥く。
手際の良さは変わらない。だが明らかに変わってしまった二人の雰囲気に、姉妹は激しい違和感を覚えた。

「姉さん…こんな時、本来の香さんだったら何て言うかしらね」
「『あんたの分もついでに剥いてやったから早く食べなさいよ』…かしら」
「そうよね…それで僚が」
「『実より皮の方が厚いんじゃないのか』とか何とか言って」
「香さんがハンマー出して」
「……そうよねぇ………」

二人は改めて目の前の僚と香を見た。
ニコニコと機嫌良く笑う香と、それを見つめ返し穏やかに受け答えする僚。

「何て言うか…」

もう一度麗香が呟いた。

「こんな二人、異様だわ。」





ちらりと僚が姉妹を振り返る。
二人は咄嗟に視線を逸らした。

「悪いな麗香」
「い…いえいえどういたしまして!はい、香さんの着替え」
「ありがとう、麗香さん」
「いいのいいの!香さんにはいつも良くしてもらってますから。『公私共に色んな意味』でね!」
「そうだったんですか…よかった」

「………何だか私まで毒気抜かれちゃう」

麗香はがくりと肩を下ろす。それから思い出したように香の着替えが入った紙袋を漁った。


「そうだわ僚、これ」
「ん?」
「郵便受けにこれが」
「……」
「今回の件と何か関係があるんじゃないかと思って…それで」

宛名の無い一通の茶封筒。それを開くと
『午前2時 晴海5丁目**倉庫』
それだけが記されていた。


「ところで香さん、着替えは持ってきたんだけど化粧品がわからなくて――――」
手紙を覗き込んだ後、麗香はさりげなく香の横に腰掛ける。
僚と冴子は何も言わず病室を出た。








「あんな狙われやすい場所を許したのは香さんへの罪滅ぼし?今度こそ香さんを守り通すっていう決意の表れ?」
「別にぃ。来たら追い返すだけさ」
「…そう。私も約束の時間までにできるだけ情報を集めておくわ」
「ああ、頼む」
「こっちは任せて頂戴。どうせこうなるだろうと思ってファルコンにも声をかけておいたわ」
「悪いな」

「………私こそごめんなさい」
「冴子」
「不確かな情報であなた達を混乱させたわ。私の所為ね」
「いや―――…」

僚は言い淀み、冴子と視線を合わせることなく背を向けた。

「僚」
「俺以外に悪いヤツがいるかっての!」

「何処へ行くの?」
「何か買ってくるわ」
「もう花はやめなさいよ、特にスイートピーはね!」
「………」

冴子が背中に声をかけるが、僚は振り返らないままヒラヒラと手を振った。











−*−*−*−*−









「麗香さん」
「なあに香さん?」
「今の私と冴羽さんの事を教えてください。」
「今の?」

麗香は少し考えると思い出し笑いを堪えながら口元に手を当てた。

「ふふっ!相変わらずよ、僚は夜遊び三昧ナンパ三昧だし香さんはハンマー振り回し三昧、僚の所為で万年ジリ貧状態だし…まあ、その分絆が深まってきている事は確かだけど」
「絆………」
「本当お似合いよ、あなた達」
「それで私……私は……」
「?」

香が必死に何かを訊きだそうとするのだが言葉が続かない。
麗香は首を傾げた。

「どうしたの香さん」
「私は……私だけど…私じゃない……」
「香さん、」
「私はそんな乱暴した事もないし…そんな冴羽さんは…知らない……」
「あっ」

香が混乱を起こしている事にやっと気付いた麗香は慌てて香を宥めにかかった。

「私の知っている冴羽さんは誠実で優しくて……私を守ろうと…私に応えようと一生懸命で……」
「大丈夫よ香さん、じきに記憶も戻るんだから」
「戻る……でも……でも私は!」
「落ち着いて香さん!」
「だって―――…そうだ、アニキ!」
「アニキ?」
「麗香さんはアニキを…槇村秀幸を知っていますか?連絡を!」
「槇村秀幸さんって…確か亡くなったお兄さ――――」

言いかけてから麗香は気付く。
(そう言えば香さんの記憶の中ではお兄さんが生きていた!)

「……アニキ…が…?」
「違う、違うの香さん、今のは…」
「どうしたらいいの…私…私………!」





「槇村さん検温ですよ…あら」

看護師が入室した。

「どうしました槇村さん?」
「いやっ!」

体温計を手渡そうとする手を払いのけると香は頭を抑えた。

「もう…いや…!私……冴羽さん…冴羽さんっ!」
「槇村さん、落ち着いてください、槇村さん?」
「いや、来ないで!冴羽さん…っ!」
「待ってて香さん、今僚を呼んで―――」




「香」





僚が看護師と麗香の間を割って入り、腕を伸ばす。
缶コーヒーがガコン、と音をたてて床に散らばる。





「冴羽さん…!」





顔を上げた香は素直に身を任せると大人しく抱き上げられ、涙に濡れた目を閉じた。

「僚!」
「外の空気に当ててくる」

香を抱きかかえたまま、僚は病室を出て行った。




「………いつもそうしてあげたらいいのに」

やっかみ半分に麗香は呟いた。













−*−*−*−*−












夕日が沈みかけ、屋上は薄暗い。
うっすらと相手の表情が見えるその明るさを今は丁度良いと香は思った。涙でぐしゃぐしゃになった自分の顔を見られたくなかったからだ。


「冴羽さん……もう大丈夫…」
「ああ」

香の一言で僚はゆっくりと香を下ろす。

「ふふ…そういえば裸足だった」

裸足でコンクリートの感触を味わいながら香が笑う。
僚はつられてふ、と笑んだ。



「さっき麗香さんにアニキは死んだって聞かされました。だから私……」
「俺が嘘を吐いた所為だ、すまない」
「いいえ、それは……」

香は俯きかけたが、自身の言葉にハッと我に返ると顔を上げた。


「冴羽さん、貴方の口から聞かせてください。」
「聞かせるったって…何を」
「アニキの事、そして私と…冴羽さんの事」

「……そうだな、何も知らないってのは残酷だ」

「冴羽さん?」

苦笑しながら懐の煙草に手をやる様は、何処か悲しそうに見えた。

「?」

ちくりと胸が痛む。
だが今の香にはそれが何か分からない。




「香」
「……はいっ!?」

不意に名を呼ばれ、返事が上擦った。
そんな香に少し笑いながら僚が言う。



「守れなかった、それだけさ。」
「それだけって…」
「お前のアニキもお前の事も俺の所為だ。それが全てさ」
「冴羽さん…」
「情けない男だよ、俺は」
「違う…違うわ冴羽さん」

ちくちくと胸の痛みが増していく。香は堪らず僚に抱きついた。
口に運びかけていた煙草が落ちる。



「そんな顔しないで…冴羽さん!」
「香……」
「悪いのは私、貴方にこんな悲しい顔をさせる私がいけないんだわ…」
「香、」

「悔しい……私、私が恨めしい……!」
「お前…」

香を抱き止めた僚の手が一瞬、揺れた。

「私ならそんな顔、冴羽さんにさせたりしない…」

今までの自分が憎いと香は思う。
あの時の自分と今の自分は違っている事に香は気付いていた。
想いが伝わり合い、心も体も結ばれたのだ。なのにどうして目の前の愛する男はこんなにも傷ついた顔をして自分を責めるのか。

分からない。

「記憶なんか戻らなくていい、私……冴羽さんと一緒にいられたらそれでいい…!」
「香…」

僚が香の背に腕を回す。
香は意識的に目を閉じるが、その手は座り込んだ香を立たせただけだった。

僚は背を向ける。


「寒くなってきた、部屋に戻ろう」
「………冴羽さん」






夕日はとうに沈んでいる。
お互いの表情が確かめられないまま、二人は屋上を後にした。

















−*−*−*−*−




あと一回続きます
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