『駐禁ですってよ?僚』
「何つうトコに停めてんでしょね、アイツ」
『でも目立つ場所で乗り捨ててくれたおかげで足取りが掴めそうだわ。また何か分かったら連絡するわ』
「ああ…頼む」














記憶喪失である今、新宿の土地勘が殆ど無い。香はでたらめに車を停め、でたらめに歩き回る。
「香ちゃん」
時々声を掛けられるがただ笑う事にした。
そうすれば大抵は冴羽さんによろしくやら今度寄ってねやら口々に言いながらそれ以上踏み込む事無くすれ違っていく。




「香さん!?」




またか、と辟易しながら振り返る。
愛想笑いを浮かべかけていた唇は一瞬凍ったように動きを止めた。




見た事も会った事もない女性だ。
しかし記憶のどこかは彼女が同業者であることを香に告げていた。
ちょっとやそっとの愛想笑いですれ違う事はできない。

「う…あ……と…」
「もう大丈夫なの香さん!?」
「ぇ……ええ、すっかり…」
「よかった、これからお見舞いに行こうと思っていたのよ、入れ違いになるところだったわね」
「そんな……いいのに…」
同業者であろう女はにっこりと笑った。
目を合わせる事ができない。

香は彼女の目元のほくろに視線をやった。





「そうだ冴羽さん、冴羽さんは?こんな事になったのにあの人が一緒じゃないなんてどういう事!」
「あ…ああ、いいのよ…」
「良くないわ、私が呼び出してあげるから香さんは―――」
「やめて!いいの、本当にっ!!」
「かおり…さん…?」


携帯を取り出した彼女を見ると、香は明らかな動揺を見せた。


「あ…ごめんなさい…あたし…」
「ううん、私こそ口を挟むべき事じゃなかったわね…ごめんなさい」

じゃあ、と彼女は手を振った。
「本当はすぐそこのお花屋さんでお見舞いの花を買っていこうかと思ってこっちへ来たの。」
「花屋……」

「お大事にね、香さん」

香もゆっくりと手を振る。




「………花……」







































−*−*−*−*−*−*−*−


「――――香ッ!」










歩道橋を上り終えた直後だった香はゆっくりと振り向く。そして僚の姿を認めるとゆっくり微笑んだ。

「冴羽さん」












「絶対来てくれると思ってた」
「話はいい、そこを」
「来ないで!来たら飛び降りるから!」
「バカ言うなッ!」
「バカは冴羽さんです!どうして愛してくれないんですか!?」
「香……」







「私は……いいえ、私だって香です!今まで私にしていた事を全部してください、今の私に!」
「………」
「近づかないで!」

一刻も早く香の身を守らなければならないが、当の本人は近づかれる事を拒否する。
焦りを感じながらビル群に目をやるが異変は感じられない。




「落ち着くんだ」
「嫌です、だって狡い………貴方が狡いから!」










言い放ってから香は後悔した。
目の前の男が一瞬笑ったように見えた。





「…………その狡い男に今まで付き合ってこられたのが香だ」
「…………!」

「今までしていた事、ね。」
「……」
「君の言う『狡い』事ばかりさ」
「!!」
僚が歩道橋を上り始める。



「来ないで…来ないでください!」
香が咆哮するが僚は怯まなかった。
香は狼狽した。


『君』と呼ばれた。
自分を見る僚の目が明らかに変わった。

『お前じゃない』
そう言われているような感覚を覚える。









「…もう……もう嫌……来ないで」




数段上りかけ、対向車に目がいく。
歩道橋下を通り抜けた弁当配達の軽ワゴン車が不自然にスピードを緩めた。











「香ッ!」

香はそれがただの配達車でない事に気づいた。

パワーウィンドウが下り、自分に銃口が向けられたのを見て取ると思わず指先に力がこもる。
撃たれる事への恐怖感とフラッシュバックで目の前が歪む。




香は僚を見つめ、涙を浮かべながら笑った。










「ごめんなさい」









歩道橋を上るよりも狙撃を防ぐ方が早い。
僚は瞬時に銃を抜いた。













銃声が一度だけ響く。














「――――香!」












狙撃銃と血の滴が路上に転がり落ちる。
後続の車が銃を踏みつけ過ぎていった。




「……!」




撃たれた筈の無い香が歩道橋を転がり落ちた。
既に意識を失っているその体を受け止めながら僚は声を張り上げた。









「香ッ!」




背後からパトカーの音が近づき軽ワゴン車の前で止まったが、僚は振り返らなかった。











「香、しっかりしろ香ッ!」

「………だいじょうぶ……」

「香!?」
「ごめんなさい冴羽さん……私……」
「無事ならいい、喋るな。今―――」

「喋らせてください…もう…………だから………」

「香…?」

「冴羽さん…晴海でいつか言ってくれましたよね………    って……」
「……ああ」
「あの言葉……今度はちゃんと…言ってあげてください…私に…」
「………」
「約束」
「……ああ」


念を押すと香はポケットに手を差し入れた。

「これ……渡したかったんです」




「もう…二度と会いません」
「ああ」

「お幸せに…冴羽さん……」
「………」






僚の手に一輪の花を持たせると香は意識を失った。


「香!」
そう叫んだ僚の手には赤いスイートピーが握らされていた。









−*−*−*−*−*−*−








「…で、どう思うのよ姉さんは」
「どうって…よかったじゃない、香さんの記憶が戻って」
「そっちじゃなくて」
「……」


冴子は腕組みをして一瞬考え込む。

「眩暈を覚えて歩道橋から落ちたように見えたわ、あの時は」
「そう見えただけじゃない?」
「わざとだって言いたいのね」
「あの人格の香さんならやりかねないわ。少なくとも私なら同じ事するもの。僚を別の女にとられるくらいなら目の前で死んで僚が一生私の事忘れられないようにしてやるの」
「………はは…我が妹ながら恐ろしいこと!」

でも、と冴子は後ろを振り返る。


病院の低階層、角部屋の窓際。
退院したばかりの同じ部屋で香は目を閉じている。




「もう一度同じ状態でショックを与えれば記憶が戻ると思ったんじゃないかしら、彼女」
「……そうかしら」
「僚が悲しむのをこれ以上見たくなかったのかもしれないわ。身を引いたのよ」
「……うーん」
「ま、どっちだったとしてもおかしくないわね。彼女だって聖人じゃないんですから」
「そうよね……あら、」


麗香も香の寝顔に視線をやる。
呼応するように香の瞼が小さく痙攣した。


「香さん!?」
「ん…」
「香さん!」

姉妹で交互に名前を呼ぶ。やがて
「はい?」
ぱちりと目が開き、香が勢いよく飛び起きた。


「ここは……痛っ」
「ああ、無理しないで香さん。貴女歩道橋から落ちたんだから」
「歩道橋………」
「覚えてる?香さん。」

「………私―――そうだ、僚は!?」
「冴羽さんなら煙草買いに…ああ、私呼んでくるわね」
「いいわ麗香さん、私が行くから」


「「…………?」」


「そもそもアイツが私に隠し事なんかするからいけないのよ。とっちめてやるわ」


訊かずとも記憶を取り戻したことは明白だった。姉妹は無言で頷いた。

「そうだ冴子さん。私、狙われているのに僚が全然教えてくれないの。何か情報持っていないかしら?」
「はは…もう狙っていないわよ……だぁ〜れも………ね」
「へ?」


「あら僚、おかえりなさい」
「ああ」
「タイミングいいわあ、僚」
「……ああ?」
「香さん記憶が戻ったんですって」
「あ…あああ……?」


手にしていた煙草がゆっくり落ちた。
香の目が据わっている。
背後にはハンマーの気配すら感じる。


「「じゃ、お二人ともごゆっくり♪」」
「ちょっ、待てお前ら」




バン!




非情にもドアが閉められ、僚は顔を青くした。







「あの……香ちゃん…?」
「なあに」
「記憶が戻ってよかったね…はは…」

「夢を見たの」
「はあ…夢ね…」

ハンマーを振り下ろされなかった事に安堵しつつ僚が相槌を打つ。


「そこには私が二人いて――――――」
「………」


「あ〜、やっぱり我慢できない!」
「へ?」








ズウ…………ン!









前触れもなくハンマーを振り下ろされ、避ける術もなかった僚は潰れながら叫んだ。

「んな……なんだってんだよおまあは!」
「は〜、やっぱりこれに限るわ」
「聞いてんのか香」
「僚」
「あぁ?」

「ゴメン!」
「?」
「ごめんね。」


「ごめん」
初めは晴れ晴れとした表情で謝ったが、徐々に香の眉間には皺が寄っていく。
やがて香は泣き出した。
こぼれ落ちる涙を一生懸命拭うが止まらない。


「あれ…私……」
「………」
「何か……自分が…自分じゃないみた……」
「………病後だからな、仕方ないさ」

落ちた煙草を拾い上げ、何でもない事のように僚が言った。

「うん。……うん…っ」
子供のように何度もかぶりを振る。
ついに口から嗚咽が漏れた。




















fin
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